鶴ノ介を連れて、料理屋『角兵衛』へと着いた助五郎。一階の広間と座敷は、既に満席だと言われて、仕方なく二階へと上がります。
直ぐに角兵衛の女将が、助五郎の顔を見付けて、自ら二階の助五郎の注文を取りに参ります。
女将「此れは、若親分じゃ御座いませんか?随分お見限りで。本と、若親分は現金な方ですよ。若い酌婦の連中が、皆んなして江戸に帰っちまうと、トンとお姿をお見せに成りませんからねぇ。」
助五「嫌味を申すな女将。若い酌婦目当てに来て居た訳ではない。この春は、長らく風邪を引いて、外出を控えていたダケだ。鶴公に聞いてみろ!?」
女将「本当ですか?まぁ、宜しいですよ、来て頂いたんですから、此れ以上愚痴を言うと、野暮でしょうから、今日はどの様に致しましょう?」
鶴公「女将、まだ芸者は上げられねぇ〜のかい?」
女将「ハイ、公儀の新しい『改革』とかで、江戸の方から徐々に御達しが参りましてね、先々月、正月の松が取れた辺りから取締が厳しくなりましてね。
何でも水野様とか申されるご老中の考えだとかで、間口の大きさ、又は、門跡が二間以上の店でないと、芸者を上げる商売は出来ない決まりになりました。」
助五「何だ?其れは。」
女将「つまり、市を通しての公儀への上納金が、間口と門の広さで決まりますから、上納金の少ない店では、芸者遊びはするな!と、言う訳なんです。」
助五「其れは、公儀の不条理な横車だなぁ。上納金の多い店は、高級で高い店だろう?料理は仕出、芸者も他所から連れて来る。
幕閣や大臣旗本、それに大名は、元からそんな料亭しか使わねぇ〜から関係ねぇだろうが、庶民は困るし、第一、芸者が一番困るだろう?」
女将「そうですよぉ!だから、この辺りの芸者は、法度の外にある温泉街に行くか、江戸へ出稼ぎに行くしかないんですよぉ。
ただ、田舎芸者の芸で、江戸の客を相手出来るのは一握りだし、温泉地は温泉地で、地元の座(組合)がしっかり在るから、よそ者はなかなか入れないそうです。」
助五「そりゃぁ難儀な事だなぁ、女将。」
女将「其れが、そうでも無いんです。うちの江戸から流れて来ていた酌婦の連中は、改革とやらの恩恵(おかげ)で、江戸で芸者代わりにお声が掛かって戻っちまったんですからねぇ。
その江戸へ帰った酌婦の代わりに、今度は、うちが地元の芸者を酌婦兼女中として、雇う事にしたんです。
まぁまぁ、年季の入った大年増の芸者ばかりですが、此れが結構、働いてくれるんです。」
助五「流石、角兵衛の女将だ。転んでもタダでは起きない!!アッパレだぜ。」
鶴公「女将、ならその芸者上がりの女中さんは、三味線が弾けたりすんのかい?」
女将「其れは、ご祝儀次第だねぇ。」
助五「此れは女将にだ、少ないが取っておいてくれ。そして、早速で悪いが、その芸者上がりの女中を、此の席に二人付けてくれ。三味線も忘れずになぁ。」
女将「畏まりました、若親分!!」
助五「其れから、他の客や役人が文句を言って来たら、この席は男女の客同士だと言ってくれ。清元でも、常磐津でも構わないから、師匠を連れて弟子が飲んでいる事にしてくれ。其れなら角が立つまい。」
女将「ハイ、了解しました!!」
二分の祝儀を貰い女将は、ホクホク顔でハシゴを降りて行った。
助五「この店の女中は、酌婦が江戸へ帰ったとなると、お清、お政、お重、お虎。。。この四人だったか?」
鶴公「もう一人、お熊さんって婆さんが居ますよ。」
助五「五人かぁ?料理番は?何人居る。」
鶴公「若!なぜ、そんな事を聞くんです?」
助五「奉公人全員に等しく祝儀を切るからだ。」
鶴公「全員に???料理番の小僧達にもですか?」
助五「そうだ!」
鶴公「エッ?なぜ。」
助五「今、女将に祝儀を切ったろう。此の後、元芸者の女中が来たら、その二人にも祝儀を切る事になる。」
鶴公「まぁ、そうですねぇ。」
助五「其れを知った五人の古株の女中は、どう思う?いい気持ちはしないよなぁ、芸者上がりの新参の二人だけご祝儀貰って。。。いじめや村八分は、こうして始まるんだ。」
鶴公「それなら、女中五人だけに、祝儀を切れば済むんじゃありませんか?」
助五「だから鶴!貴様は、半端のまんまなんだ。女中連中だけに祝儀を切ったら、料理番たちは、どう思うよ。
接客する女中だけが、客をいい気持ちにさせてる訳じゃねぇ。角兵衛全体を見渡せばだ、遥かに料理番が作る料理に満足して、客は来てくれてるんだし、銭を払っているんだ。
ならば、角兵衛の事を考えると、いや!角兵衛がいい店で在り続けて欲しいと思うご贔屓ならばだ、
女中連中と料理番たちは、互いに揉めないで仲良くして欲しいはずだ。
だから、俺は、女中五人だけじゃなく、料理番にも、ご祝儀を切らないといけないんだ、分かるか?鶴。此れが真の贔屓ってもんなんだ。」
鶴公「若のお考え、重々分かりますし、いちいちご最もですが、アッシには真似できません。飲み食いしたお代すらツケにしますからねぇ、いわんや、ご祝儀をや!って奴です。
因みに、料理番は、親方、花板、立板、煮方、焼方は二人で、小僧が四人の十人です。」
助五郎は、女将に二分を祝儀に渡したので、三味線を弾いてくれる女中二人にも同じく二分、一方料理番の親方、花板、立板、煮方にも同額の二分、
そして、女中五人と焼方の二人には一分、更に小僧四人にはそれぞれ一朱の、合計五両二分の祝儀を切ることにした。
鶴公「若!、五郎蔵親分も同じ様な事を、よく為さいますよね?こんなにたんまりご祝儀切るんなら、俺は、飲みに出るの考えちまうなぁ〜。
だって明らかに、飲み食いのお勘定よりご祝儀の方が高く付いてますモン。やってらんねぇ〜よ、オイラなら。」
助五「いいかぁ、鶴、俺たちの商売は、見栄の商売だ。吝や因業、赤螺屋と言われたら、即終わりだ!!
そして、親分(オヤジ)も口酸っぱくして何時も言うが、堅気さんあっての俺たちだからなぁ。忘れるなあ!鶴、肝に銘じておけ。」
そんな事を鶴ノ介に教えていると、芸者上がりの女中二人が、けたたましくハシゴを昇がり、三味線片手に、もう一人は、何処から調達したのか?〆太鼓を持ってやって来た。
女中「お招き!有難う御座います。さて、何から始めましょうか?」
鶴公「その前に、ご両人!ご祝儀だ、勿論、俺からじゃない、若親分からだ。お礼を申して。」
女中二人「若親分!有難う御座います!」
助五「其れじゃぁ、『さのさ』の尽くしから頼みますよ、お姐さん方!!」
女中「では、水尽くしから」
お酒 米の水 飲めばぁ〜、狂気(きちがい)水とぉやぁ〜らぁ
京で清水 江戸でお茶の水。。。
端唄、小唄、そして都々逸の廻しっこになり、いよいよ、酔いが回った鶴ノ介は襦袢一枚で、かっぽれを踊り出していた。
其処へ、浪人風のやや月代が伸びた、朱鞘の大小を二本差した、歳の頃は四十二、三くらいの色黒のガッチリした侍が二階へ通されて来た。
武士「二階へ昇がれと言われたが。。。」
女中「ハイ、いらっしゃいませ。履物をお預かりします。此方へ!」
と、女中はこの侍を、ご祝儀を貰った助五郎の席からは遠い三番の席へと案内した。二階は、ガラガラで二組しかないが、俠客と侍の相性の悪さを女中は熟知していたからだ。
武士「取り敢えず、酒だ!!」
女中「熱燗ですか?其れとも冷?」
武士「この温気(うよき)だ!熱燗に決まっておろう!!熱燗!其れと、酒を手酌で飲むのは、酒が不味くていかん!酌婦をお願い致す。」
女中「申し訳ありません。酌婦は、月始めに全員江戸へ帰ってしまいまして、今は居ないんです。相すみません。」
武士「ならば、芸者を呼んでくれ。」
女中「芸者は。。。」
武士「芸者はどうした?!貴様では用が足りん!!この店(や)の主人を呼べ!早く致せ!早く!!」
女中が逃げる様に下へ降りて、主人を呼んで参りますが、主人も、侍は嫌だ!苦手だなぁ〜と、憂鬱な気持ちで二階へとハシゴを上がります。
主人「申し訳有りませんお武家様、女中が至りませんで。。。ただ、芸者は、お呼びできんのです。公儀からのキツい御達しでして、この店に芸者は上げられません。」
武士「左様に申すが、向こうの座敷は、三味線と太鼓で、かっぽれを踊っておるではないか?あれは芸者ではないと、申すか?!」
主人「ハイ、あちら様は、清元の師匠とお弟子さん達の発表会帰りの反省会で御座います。芸者では御座いません。」
武士「清元の反省会?かっぽれを踊るのか?」
主人「発表会の罰の趣向なんじゃ、御座いませんか?」
助五郎は、角兵衛の主人が、侍の客に苦戦しているのが分かるので、女中に清元を何か三味線で弾かせ様としますが。。。
助五「急に三味線と太鼓を止めるのは、まずい。。。明烏か?梅の春辺りを、弾いてくれぬか?」
女中「清元は、無理ですって。。。あんな退屈な唄は、御座敷では披露できませんから、弾いた事がありません。」
助五「何かできんのか?清元。」
女中「そうですね、老松なら、少し」
助五「古今亭志ん朝みたいだけど、老松でいい、やってくれぇ!!」
女中が老松を弾き始め、主人は「ねぇ!反省でしょう?」と、侍を無理矢理納得させようとしていた。
武士「分かった。ならば、あの清元の反省会に、拙者も相席できないか?主人、尋ねて来て欲しい。どうだ?」
主人「エッ!そんなぁ〜、彼方は彼方で楽しんでいらっしゃいますから。。。其処に他人が加わるなんて!」
武士「主人!貴様の意見はどうでも宜い。彼方の席の方々に、聞いて参れ!!」
柳に風と侍を受け流せなんだ主人は、済まなそうな表情で、助五郎の座敷に現れて、『此方へ来たいと言っています。』と、伝えた。
助五郎も、主人の誠意を汲んで侍の同席をゆるしたが、侍が、席に着いて、又、一悶着起きる。
助五「どうぞ!お侍様。」
武士「すまんなぁ、無理を申して、酌婦が居らんと申す由、此方の座敷が楽しく見えてしまい、我がままを許して下され。」
助五「なんのお侍様!此方こそ、宜しくお願い申します。何をやりましょう?」
武士「清元の師匠は、何方かえ?」
助五「その件は、座興でして、この二人は店に雇われたばかりの元芸者で。。。今がお試し中でして、怒らないで下さい!お侍様。」
武士「貴様に怒る積もりも、又元芸者のお二人にも遺恨は無いが、主人には、一言申したい。」
と、再び主人が呼ばれまして、この侍からの、ご最もなお小言が炸裂します。
武士「ご主人!拙者には、酌婦も芸者も駄目だ、居らぬと申されて、係るご常連には、提供されておる。
この様な料簡は、拙者、武士として、一言だけ申し上げたい。人を最初から悪人とみるか?善人と見るか?は、其れはご主人の勝手に御座るが、
今回の様に、最初から悪人と見なされ接客を受けた側は、家族友人は元より、たとえ仇に対してすら、『角兵衛へは行くな!!』と、進言されるものと心得よ!!」
角兵衛の主人は、青菜かなめくじが塩を喰らった様にシュン!となります。此の暗い重い空気が淀む中、助五郎が口を開きます。
助五「ご意見、いちいちご尤もでは有りますが、角兵衛のご主人の気持ちもお察し下さい。拙者は、こう見えても、この辺りを島内に致して居ります銚子ノ五郎蔵の身内に御座んす。
一方、お侍様は、こう言っちゃぁー失礼ですが、通り縋りの一見の客に過ぎません。主人がアッシ達を贔屓し、お侍様を其れなりに扱うは、商人の道理です。
ですから、責める相手が違います。どーせなら、私を責めて、角兵衛の主人は、許してやっちゃぁ、貰えませんか?」
武士「若いのに、なかなか筋の通ったお人だ。其方の顔を立てましょう。此れ以上は、野暮になろうから、水に流します。
其処でだ。主人!拙者は、腹が減った。其方にお任せ致すので、刺身、塩焼、煮付の三品を三人前で各二分、合計一両二分で手一杯の料理をお願いします。
侍が、先渡しで一両二分の銭をしに握らせて、出て来た料理の質と量を見て助五郎が驚きます。
助五「お侍様、何んか海老で鯛を釣った気分です。肴は荒らさないのが自慢だが、今日は、旦那の奢りの料理を腹がハチ切れる迄、頂きます。」
武士「拙者が二階に来た時、此方のご家来が踊っていらした、かっぽれから、やり直そう!!」
蟠りが取れた三人は、元芸者の三味線と太鼓に大盛り上がりで、唄に踊りに料理に酒にと、楽しい時間が流れて行った。
武士「流石に、今宵はそろそろお開きに致そう。楽し過ぎて朝まで騒いでいたいのは、山々だが、拙者、明日は佐原へ九ツに参る都合が御座る。よって此処でお開きに願いたい。」
助五「分かりました。私は、此処沼田の在、田中の元締をしております、銚子ノ五郎蔵の甥で助五郎、そして、この若衆は子分の鶴ノ介に御座んす。」
武士「拙者とした事が、先に名乗るべきだったなぁ。拙者は、常陸國は笠間の浪人、井上伴太夫に御座る。」
一気に酔いが醒める思いの助五郎でした。父の仇、井上伴太夫が目の前に居るのですから、無理も有りません。
そして、助五郎、常に懐中に仕舞ってある例の鉄扇を、伴太夫に見せながら質問致します。
助五「井上様、この鉄扇に見覚えは、御座いませんか?」
井上「是は。。。拙者の鉄扇だが、何処で!!なぜ、貴殿がお持ちなんだ?」
助五「ヤイ!井上伴太夫、俺は、貴様に浦賀で殺された相良藩浪人、青木源内の息子だ!観音様のお告げを信じ、この日が来るのを今か!今か!と、此処銚子で七年待ったんだ!イザ、尋常に勝負!勝負!」
井上「貴様!あの青木源内の倅か?貴様の父親はなぁ、遊びで打っておった碁の席で、拙者が願い出た『待った』を許さず死んで行った愚か者だ!
そんな奴の倅に、拙者が遅れを取るものか!!宜かろう、此処で、相手になってやる!返り討ちにしてくれるワぁ!!」
助五郎は、新刀『関和泉守兼定』を腰にブチ込んで、井上伴太夫に申します。
助五「この先に、坂東太郎(利根川)の土手がある、其の向こうは広い河原だ。其処で一対一の勝負だ!宜いか?伴太夫。」
井上「よかろう!その刀を見ると、少しは出来るようであるなぁ、だが、容赦はせんぞ!助五郎。」
井上伴太夫は、助五郎に渡された鉄扇を帯に刺して、足拵を再度十二分に行い、坂東太郎の河原へと、助五郎と共に向かいました。
さて、いよいよ次回は、大利根河原にて、朧月(おぼろづき)の下、二人の決闘が繰り広げられます。
つづく