江戸表を出た助五郎は、下総國は銚子湊へと乗り込みましたが、此の土地に頼る先が一切御座いません。
さて、父の仇討の為、三年から七年、この土地に住む事を決意して参った訳ですから、江戸表の時の様に旅籠に泊まる訳には参りません。
助五郎にとっては、右を見ても、左を見ても他人様ばかりの土地で御座います。そんな助五郎、旅の休憩に、或る茶店へと入りました。
助五「御免なさいよ、茶を一杯お願いします。」
爺「ハイ、いらっしゃいまし。旅のお方ですね?」
助五「えぇ、江戸表から参りました。」
爺「お若いのに、一人旅ですか?」
助五「そうです、一人です。」
爺「此方に親兄弟か?親類がお在りで?」
助五「いいえ、在りません。其れで、少々困っております。」
爺「と、申されますと?」
助五「此処、銚子に暫く留まりたいのですが、親類縁者が私には全く御座いません。何か住み込みで働ける様な所は、此処、銚子に御座いますか?」
爺「そうですね。銚子湊は漁師で栄えている町だが、残念だがら漁師は絶対に、流れ者や他所者を仲間に致しません。
じゃがぁ、銚子湊には、漁師に負けない名物が御座います。其れは『侠客(ヤクザ)』です。日本国中の博徒や喧嘩自慢、そして浪人の剣客たちが、銚子の長脇差の所に草鞋を脱ぎます。
銚子の親分衆は、其奴等の中から気に入った奴を食客にして、無償(タダ)で食事や遊すびの面倒を見てくれて、好きなだけ家に居候させてくれます。
ただし、阿吽の呼吸じゃがぁ、世話になる食客の方も、親分に対しては、何某かの見返りを残して応える。正に其処には仁侠道があるのじゃぁ。」
助五郎「では、そんな侠客の中で、銚子一番の親分は何方ですか?」
爺「其れは、此処、銚子観音のお膝元。銚子沼田に田中と言う所が在り、其処に居なさる木村五郎蔵親分、通称・銚子ノ五郎蔵親分だよ。間違いない!!
この人は房総三ヶ國の大親分中の親分だ!どうせ草鞋を脱ぐなら、この銚子ノ五郎蔵親分にしなさい。」
助五郎「親切に有難う御座んす。では、田中へ行ってみます。」
茶店の親切な爺さんに教えられて、銚子の長脇差の中では頂点に君臨する銚子ノ五郎蔵親分を訪ねて、沼田の在、田中と言う土地を目指します。
途中に、銚子観音を見付けた助五郎、此処、圓福寺は、坂東三十三ヶ所にも数えられて、その第二十七番目の札所で御座います。
十間四方の広い境内へ入りまして、『浅草の観音様に導かれて、此処、銚子は沼田へ参りました。どうか父の仇討が成就出来ますように!』と、祈るのでした。
此処、圓福寺の門前町の田中は、講釈場に芝居小屋、茶店、露天商の物売が、市を成しており、其れは其れは繁盛している賑やかな町で御座います。
そんな門前町を助五郎が進みますと、一際大きな門を構えに、立派な石塀に囲まれた広い屋敷が目に飛び込んで参ります。
木村五郎蔵
大きな表札の掛かったその家が、房総三ヶ國の大親分、銚子ノ五郎蔵の屋敷で御座います。助五郎は、門を潜り荒格子の玄関戸を開けて、中へと入りました。
助五「御免下さいまし。」
「ハイ!」と取次の声がして、出て来たのは、まだ幼い助五郎と年廻りも同じくらいの三下の若衆でゲス。
取次「何処から来なすった?」
助五「私は江戸表から参りました者に御座います。もし親分さんがご在宅であれば、是非、お願いしたき事が御座います。宜しくお取次願います。」
取次「其処で、少し待ってなよ!!」
助五「へぇ。。。」
取次の若衆は、一旦奥へと下がり暫くすると又出て参ります。「親分がお会いになる。」と言うので、ひと安心の助五郎です。
助五郎は、勝手の方へ連れて行かれて、其処で足を洗え!と言われます。草鞋を取り足を雑巾で綺麗に拭いて畳へ上がります。
そして、若衆の後に従って屋敷の奥へと通されると、見た事の無い位に大きな、欅(けやき)の如輪木の長火鉢の前に、大あぐらを掻いてキセルを咥えた初老の漢が居ります。
此れが誰あろう、銚子ノ五郎蔵親分です。歳は五十二才。でっぷりした貫禄で、助五郎の方をジロっと睨み付けます。
五郎「ささっ、こっちへ寄んなぁ!今、うちの若衆から聞いたが、江戸から来なすったってねぇ。五郎蔵に何んぞ用が在って来なすったそうだ。アッシが本人の五郎蔵だ。用を聞かせて、貰いやしょうかぁ?」
助五「実にどうも、親分さん。恐れって御座います。お初にお目もじして恐縮ですが、どーかぁ、周りにいらっしゃる若衆、ご一頭様を彼方の方へ、やっちゃぁ〜貰えないでしょうか?」
いきなり江戸から来たと言う小僧の口から、『お人ばらいを!』と言われて、五郎蔵の方が面食らった。しかし直ぐに身内の若衆を二階に下がる様に指図した。
又言われた若衆も驚いた。親分同士の面会で、席を外せ!と言われるのならまだしも、あの小僧は何者?と、不思議がるのでした。
五郎「是々!!後はピッタリ締めて行け!!あの野郎、雪隠に入っても穴(ケツ)をちゃんと拭かないなぁ!?」
若衆「恐れ入ります。締め直します。泡食って出たから、忘れちまって!御免なすって。」
障子戸を締めて、けたたましくハシゴを上がって消える若衆。五郎蔵が、再び、助五郎をジロっと睨みます。
五郎「オィ!何だぁ〜、もっと火鉢に寄れよ!小僧。」
助五「有難う存じます。私は遠州相良は、田沼玄蕃頭の家来だった青木源内の倅で助五郎と申します。
父は私が三つの時に由(ゆえ)在って浪人となり遠州、駿府、相州と流れて、相模は浦賀に私が九つの時に、書法指南所を開設し此処に留まります。
其れも束の間、浦賀に来て半年も過ぎぬうちに、碁の上のイザコザで、一刀流の剣客・井上伴太夫と申す浪人に斬り殺されてしまいます。
此れで、私と母は、親切な網元の三浦三右衛門さんに養われますが、私も十五になり一人前の漢となったからは、父の仇を討ちたくなり、
先ずは、江戸表に出て、浅草観音様に願掛けして、仇の行方を探していると、偶然、根岸の八卦見、青雲堂幽斎先生の存在を知り、
先生に占って頂いた所、私の仇討は、銚子へ行けば三年から七年のうちに必ず本懐を遂げられると知り、仇討の為に銚子に参りました。
其処で親分!!私が父の仇を討つまでの三年から七年。どんな雑用でも致しますから、此処に置いて下さい!お願いします。」
五郎「こいつは驚いた!まだ、十五で父親の仇討たぁ〜、恐れ入った。実に親孝行だなぁ。
貴様、助五郎とかいったなぁ、こんな家で良ければ三年、七年と言わず、十年でも十五年でも居て構わねぇ〜が、
此処で、客分だろうと子分だろうと、お前の歳で今入ると、貴様が一番下のぺぇぺぇだ。食客は六七十人居て、子分も全部合わせると百を超える。
つまり、二百人ぐらいの兄貴分が、今から突然出来る事になる。そんな中で、お前さん、仇討が出来るかい?」
助五「そりゃぁ、親分さえ、此処に置いて頂けたら、アッシは死ぬ気で頑張りますから、決して挫けたりは致しません。我慢していじめや理不尽に耐えて精進させて頂きます。」
五郎「お前さんは、意志が強そうたじ根性もお在りだろうが、其れで耐えても、立派な侠客、長脇差には成れるだろうが、親父さんの仇は取れねぇ〜ぜ。何よりも、仇討を優先しないとなぁ。」
助五「では、親分!此処へは置いて頂けないのでしょうか?」
五郎「そうは言ってねぇ〜。お前の目的はあくまでも仇討だ。銚子ノ五郎蔵一家に草鞋脱ぐ事、銚子ノ五郎蔵の盃を貰う事じゃねぇ。」
そう言った五郎蔵は、目を閉じて、火鉢の前で腕組みをし、キセルを咥えながら考えていた。やがて一つ、ポーンとキセルを鳴らして目を開けた。
そして五郎蔵が、大きく分厚いゴツい手で、パンパン!と柏手を二回鳴らすと、先程の若衆がハシゴを下りて部屋に飛び込んで来ます。
若衆「御用でしょうか?」
五郎「用が在るから、手を鳴らしたんだ。家ん中の子分、食客と、近所に住んでる子分連中全員に集合を掛けろ。」
若衆「出入り?!。。。何処へ殴り込みを?!」
五郎「馬鹿!違う。いいから、次の間に全員直ぐに来い!と言え。四半刻で集まらない奴は破門だ!」
次の間に、殆どの子分と食客が集められて、唐紙が開いた。雛壇に座らされた連中をみて、助五郎は驚いた!今から何が始まるのか?
不安で!不安でたまらない助五郎を他所に、五郎蔵が次の間に向かって喋り始めた。
五郎「皆んな、今日はご苦労。取り敢えず、俺の話を聞いてくれ。俺には、十五年程前に、此処を飛び出した妹が居る。
古参の子分は知ってるなぁ!安、秀、オメェ達は知っているよな俺の妹。お役者様みたいな色男と手に手を取って駆け落ちした、あの妹だ。
俺は去る者は追わずだ。たった一人の身内の妹だが、俺は敢えて連れ戻したりはしなかった。
まぁ、ママゴトみたいな夫婦ごっこに飽きて、現実の厳しさを知ったら、直ぐに銚子帰って来ると高を括っていたんだが。。。
妹は、俺に似て頑固な奴でなぁ。兄一人妹一人の兄妹だから、俺が親代わりだ。妹には躾のつもりで、ついつい厳しく接して嫌われたと思っていた。
在る時、武蔵國川越の兄弟分から、妹が江戸の下谷に居る、どうだ?会いに行くか?と言われたが、長脇差の兄貴が嫌で、男と駆け落ちした奴ですからと断った。
妹と会うって事は、その相手の野郎とも会う事になる。俺が、頭に血が昇ると、血の雨が降るかも知れねぇ、そう思って俺は断った。
所が、今、知ったんだが、その相手の野郎は、駆け落ちして二年の後にオッ死んだそうだ。俺は全く知らなかった。誰に聞いたかぁ?って、此処に居る助五郎にだ、此奴は俺の甥っ子だ。
これも、今、聞いたんだが、半年程前に、妹も流行病で死んだそうだ。臨終際(いまわのきわ)に、実の兄貴が銚子に居る、お前の伯父さんだ!沼田の五郎蔵だ!と、教えてくれたそうだ。
其処でだ。この助五郎を今日からうちに置く。此奴は俺の甥だ。妹の亡き今は俺の唯一の身内だ。皆んな!!倅みたいなもんだと思ってくれ。
だから、いいかぁ!此奴の身の回りの事は、いちいち子分のお前達が全部してやれ!お櫃から自分で杓文字使わして、飯を食わす様な真似はするな!!
いいかぁ!俺の、銚子ノ五郎蔵の恥になる事だから肝に命じておけよ!御膳の世話から、穴の糞拭くの迄、全てオメェ達がしてやれよ!いいなぁ?!」
へぃ!!
二百人の子分と食客が、返事して解散となったが、五郎蔵一家の子分は驚き半分、あの小僧が一家の跡目を継ぐのか?と、懐疑的な嫉妬半分だった。
そして、助五郎が五郎蔵一家の輪に加わり、銚子での生活が始まりましたが、子分達に全てをやらせろと、親分は言うが若い助五郎は、出来る事は自分でやります。
すると、子分達は慌てて「親分に叱られますから!」と、側へ飛んで参ります。御膳の支度、着物の着付、風呂では背中流しと、流石に雪隠までは来ませんが、
助五郎の全ての身の回りは、子分達がする様になります。しかし、助五郎の偉い所は、ふんずり返って遣らせるのではなく、子分達への感謝を忘れず、品と粋な態度で接します。
其れから三年が経ちますと、助五郎は、完全に五郎蔵一家の『若』として、子分一同から信頼される存在へと成長します。
最も助五郎が、子分たちに一目置かれる様になったきっかけに、賭場の運営があります。五郎蔵一家の賭場は、銚子だけでなく房総三國に、実に三十六箇所も御座います。
ところが、賭場を任されている身内は、各胴元の都合で開帳致しますから、客の取り扱いになるのは必定!思う様に寺銭が上がりませんでした。
其れを、助五郎が五郎蔵の名代として、隣接する賭場同士の開帳日調整をした結果。開帳する日数は減ったのに、寺銭は多くあがり助五郎の株が鰻昇になりました。
又五郎蔵も、方々の寄合や花会に助五郎を連れて参りますし、時には、助五郎を自身の名代に立て、一人で任せる事も増えて参りました。
そんなある日、助五郎が五郎蔵に呼ばれて、例の長火鉢の居間に参りますと、五郎蔵の前に一人の武家が座っていました。
五郎「おう!来たか助五郎、此方は、武蔵國は埼玉郡行田、十万石の譜代、松平下総守様の剣術指南役の斎藤新八郎殿だ。
お前が、かねてより井上伴太夫を討つには、剣術の心得が必要だと申すから、ならば、超一流の指南役を思ってお招きした。」
助五「親分!有難う御座います。今から、剣術にも、助五郎、精進致します。」
五郎「今からは、よかったなぁ。此れまで、銚子には強い道場は無く、優れた剣客も見当たらず、三年も待たせてしまったが、この斎藤先生は新陰流の達人、折紙付の本者だ、励めよ。」
助五「斎藤先生、五郎蔵の身内で、助五郎と申します。宜しく御指導、お願いします。」
新八「斎藤新八郎で御座います。助五郎殿のお噂は、常々、五郎蔵殿より伺っておる。一刀流の親の仇を討つ為の修行とか。拙者も、微力ながら、仇討にご助勢致します。」
助五郎は大喜び致しまして、その日から新八郎による稽古が始まります。一日おきに、五郎蔵の家を訪れる斎藤新八郎。
午前は四ツから九ツまで、昼食を挟み、九ツ半から暮六ツまでという剣術漬けの日々となります。
また、時に助五郎が昼間の稽古で、疑問・質問が湧いて来ると、夜中でも、新八郎の宿を訪ねて稽古を願いますから、その上達は目を見張るものが有ります。
そんな剣術漬けが三年半も続き、斎藤新八郎が、もう助五郎には教えるモノは何も無いと言う位に剣術の腕前は上達致します。
そんな助五郎が、銚子ノ五郎蔵一家に入って七年の月日が流れた弥生三月の事。桜が満開を迎えて、漸く暖かい風が吹き始めた頃です。
助五郎、十日ばかり前に酷い高熱の風邪を引いて珍しく寝込み、やっと食事も普通に食べられて、剣術の稽古も再開しておりました。
十日も床に着き家に篭っている間に、花も満開となった事だ!久しぶりに表に出て夜桜などを眺めながら、料理屋で美味い酒を頂こうと思います。
お気に入りの子分鶴ノ介を呼びまして、飯沼の田中に在る、料理屋『大六』へでも飲みに行こうと考えております。
助五「鶴公!花を見ながら酒でも飲みに参らぬか?」
鶴公「いいですね、若。お伴致します。」
ただ酒が外の料理屋で飲めるんですから、大喜びで出掛ける支度をする鶴ノ介です。襟無しのめくら縞の着物に博多帯、田舎の若者が好む三尺では無く敢えて角帯で、黒い細身の大刀を一本落と差しにします。
一方、助五郎はと見てやれば、古渡り唐桟の細かい縞の単衣に、筑前本場の紺献上の帯、羽織は同じく唐桟では有りますが、裏地に琉球麻の朱に染った派手な造りで御座います。
是に、最近造らせた二尺七寸の大刀、樫の柄に牛皮を巻いた上から群青の化粧紐、凝った目貫がハメられて、鍔は南部銕、鞘は朱色に漆を塗った鮫鞘です。
二人は、銚子観音を先ずはお詣りして、川端の桜並木の夜桜を眺めながら、フラッカ!フラッカ!どの店に行くか、話しております。
助五「俺は、気分は『大六』なんだ。店の内装を新しくして、店が大そう綺麗になったと聞いている、鶴!『大六』でどうだ?」
鶴公「駄目です、『大六』は。」
助五「なぜだぁ?」
鶴公「肝心の料理が不味いでしょう?彼処。」
助五「料理が不味い?『大六』の料理がか?お前の舌は、どうかしてねぇ〜かぁ?俺は、親分(オヤジ)に連れられて、色んな料亭や旅籠・本陣の料理を食って来たけど、
『大六』の料理は、銚子でも三本の指に入るぞ!其れなりの値は取るが、アレが不味いなんぞ言う奴は帰れ!!」
鶴公「若?!察して下さいよ、不味いの意味をぉ。。。」
助五「察するだぁ?不味いの意味?マズい。。。アッ!お前、ツケが在るのか?」
鶴公「へぇ、三両と二分」
助五「。。。」
助五郎、鶴公の頭を、ゲンコツで一発殴ります。
助五「馬鹿タレ!侠客が、地元の素人さんの店で祝儀を切るどころか、無銭(タダ)で飲食するたぁ〜、どう言う料簡だ!!」
鶴公「若、面目ねぇ〜」
助五「俺も今日は三両二分しかねぇ。大六は諦めるかぁ、それなら、伊勢徳はどうだ?」
鶴公「伊勢徳も不味い、二両三分ツケが有ります。」
助五「じゃぁ、少し遠くなるし、格も落ちるが、角兵衛はどうだ?」
鶴公「角兵衛はよーガス。彼処は二分しか有りません!」
助五「ヨシ、分かった!では、角兵衛に行こう。」
二人は夜桜を見ながらを、川端通りを北へ昇って料理屋『角兵衛』へと参りますが、この選択が、七年目が百年目へと変わる仇に出会います。
つづく