此れより私が語りますお物語は、外題『天保水滸伝』と申します。この物語の主題は、天保十五年(1844年)八月六日、笹川に侵入してきた木村助五郎率いる飯岡一家と、
此処笹川に、旅籠『十一屋』と言う居を構えて居ります岩瀬の重蔵率いる笹川一家が激突し、死者双方合わせて百六名を出した決闘、通称『大利根河原の決闘』で御座います。
この空前絶後の長脇差同士の大喧嘩。講釈では長く語り継がれていたのですが、講釈師=嘘、と思われたせいか、百六人の死者どころか、この決闘の存在すら、昭和になりますと眉唾だと思われておりました。
ところが戦後になって、笹川重蔵がこの講釈の中で殺害されたとされる場所で、その首無しの死体が見付かり、更に決闘が有ったとされる利根川付近でも、骨や頭蓋骨が夥しい数出て参りまして、
この噺が実話だったと世間は驚き、偶には、講釈師も本当の事を伝えるモノなんだと、妙な感動を生んだように思います。
さて、遠州榛原郡相良の城主、一万石取りの田沼玄蕃頭意正、この人はあの田沼意次の四男で、長男暗殺後に意次が失脚すると、公儀の田沼一族粛清と共に領地没収となりましたが、
文政六年(1823年)忠友の跡を継いだ水野忠成の推挙や十一代将軍家斉公の尽力もあって、旧領である遠州相良への復帰を許されます。
その相良藩の浪人で、青木源内と言う人が有りました。源内は妻子を連れて、國元を離れ、流れ流れて、相模國は三浦半島、浦賀へと参ります。
浦賀には、船持ちの三浦三右衛門と言う豪家の網元が御座いまして、この三右衛門に源内は大そう気に入られ可愛いがられます。
また、此の青木源内が、三右衛門に気に入られた由は、源内の筆跡が誠に美事で、武家なのに威張る所が無いからでした。
そして、源内は、三右衛門から家作を無償で提供されて、此処浦賀に留まり、子供達に手習いと素読の指南をする寺子屋の経営を始めます。
是は源内にとっても渡に船。妻子を抱えて諸国放浪の身が、住む場所と仕事を世話してくれると言うのですから断る理由が有りません。
二つ返事で源内が「何分、宜しくお願い申します。」と快諾し、翌日から三右衛門から提供された家作に『書法指南所』と看板を掲げて浦賀に住む事となります。
また、三右衛門は、浦賀の網元として自身が面倒を見ている村人に、子供があると、「源内さんの所で手習いをしなさい。読み書きは是からの時代必要です。」と宣伝、勧誘して廻ります。
一方の源内の方も腰低く、月謝は現金ではなく米や味噌、場合によっては魚でも厭わないと弟子の子供を受け入れますから、直ぐに五十六人の弟子を抱える指南所に成ります。
ですから、直ぐにこの『書法指南所』の経営は軌道に乗り、源内は、この収入で女房子を養えるまでなりました。
又源内には、助五郎と言う息子がおります。歳は九つで、九つにしては大きな子で十一、二歳に見える体格のいい息子です。
此の息子も読み書きを学ばせていますが、源内の『書法指南所』ではなく、近くの寺に態々通わせて、手習い素読を寺の和尚から習っております。
と、申しますのは、助五郎は五つの時から、源内に筆学の指導を受けておりますので、村の子供達より、遥かに高い次元の読み書きの知識が御座います。
由に、この子供達と一緒の教室で教える事が、源内には出来ないので、一計を案じ、あえて、助五郎は寺へと修行に出しておりました。
また、助五郎の方も此れを望み、寺では素読と手習いだけでなく、槍術の稽古や、薪割りなどして体も鍛えておりました。
源内の『書法指南所』は、五ツ頃に生徒である村の子供達が三三五五、家の用事が済んだ者からやって参ります。
そして一旦、四ツ半に昼食で家へ帰り、そのまま家の手伝いがある者は半日で終了。午後も勉強する弟子は、九ツから八ツまで一刻、再び学びます。
ですから先生である青木源内は、八ツを過ぎるとやる事が御座いませんから、毎日の様に、三浦三右衛門の家へ、ご機嫌伺いに碁などを囲みに参ります。
此の日も、八ツに弟子達がみんな帰ると女房に、教室の掃除を頼んで、三右衛門の家へと出掛けて行きます。源内の家からは七、八丁の距離です。
源内「御免下さい。」
下男「へぇーい。是は青木の先生、いらっしゃいまし。」
源内「三右衛門殿は、ご在宅かな?」
下男「ハイ、居りますが、今、お客さんが来ておりますから、少しお待ちを。」
下男が、玄関脇の板の間に、敷物を置いて源内に座って待つ様にと申します。そして、下男は奥に消えて直ぐに戻って来ました。
下男「先生!旦那は、お客さんと碁を打っておられます。脇で見て待ってて宜ければ、上がって下さいとの事です。先生、どうします?」
源内「分かりました。ならば脇で勝負を見させて貰います。」
源内は、下男に通されて、奥のいつも自身と三右衛門が碁を囲む居間へ行くと、歳の頃は三十七、八の、見知らぬ顔の色黒で、身体のガッチリした大きな男と三右衛門は碁を打っていた。
既に、勝負は終盤で、白の三右衛門が何目か勝っていそうな展開だが、かなりの接戦である。そして、四半刻ぐらいで勝負が決し、三目差で三右衛門の逃げ切り勝ちだった。
三右「是は青木先生、ご紹介します。此方は、常陸國笠間のご浪人、井上伴太夫殿です。ニ年程前、私の家作に居られましてなぁ、一刀流の免許皆伝の腕前の達人です。」
井上「初めまして、井上伴太夫で御座る。」
源内「此方こそ、お初にお目に掛ります、遠州相良藩浪人、青木源内と申します。縁有って三右衛門殿のお世話で、此処に書法指南所を開いておりまする。」
三右「青木先生、暫くは伴太夫殿は、この家に滞在して貰う予定です。武士は武士同士、どうか今後とも宜しくお願いします。」
源内「御意に御座います。ところで、井上様、明日の八ツ過ぎに、何ぞご予定は御座いますか?」
井上「いいえ、当地に参ったばかりですから、特に予定は御座らぬ。」
源内「其れは良かった!早速、此方へ使いの者を明日八ツに迎えに来させますから、私の笊碁の相手をお願い出来ませんか?
その後、ささやかでは御座いますが、我が妻の手料理など振る舞おうと、存じます。如何でしょうか?」
井上「是は是は忝い!喜んで、碁の相手をさせて頂き、是非、ご内儀の手料理、ご相伴に預かりたい。」
源内「では、明日八ツお迎えをよこします。」
そんな井上伴太夫との出会いが、有りましたが、此れが青木源内に、思わぬ災いを招きます。
翌日、八ツになり子供達が帰ると、妻に申し付けて、三浦三右衛門の家へ、井上伴太夫を迎えにやります。
青木源内本人は、子供達が散らかした教室と、居間の掃除をしながら、井上伴太夫の到着を待ちます。そして、間もなく井上伴太夫が妻に連れられて、やって参ります。
井上「御免!ご厄介になり申す。」
源内「是は、井上先生。むさ苦しい所ですが、どうぞ!お上り下さい。居間へ向かうには、この指南所の教室を通ります由、子供達が汚しておりますが、ご容赦願います。」
井上「お気になさいますなぁ。拙者は、一向に構いません。」
二人は居間に入り、茶など飲んでから、早速、一番!と、碁盤を囲みます。
井上「拙者が、黒で。。。」
源内「何の私が黒で。。。」
と、最初は互いの手の内が分かりませんから、おたがい譲り合いながらの腹の探り合いです。そして結局、源内が白で伴太夫が黒で勝負開始です。
パチリ!パチリ!と勝負が始まり、勝負も中盤になり、互いの差す一手が遅くなり出します。そして、伴太夫が散々考えて、黒い石に指を長く止めて、其れを離します。
すると、其れを待ち構えたかのように、源内は次の一手を電光石火で、お見舞いします。
パチリ!!
井上「イャぁー、青木氏。此の一手は待って下さい。拙者、飛んだ失策(うちそんじ)をしました。待った願います。」
源内「イヤハヤ、井上氏、待ったは卑怯で御座るぞ!其れに、此処を待つと拙者の方が不利になるのは必定、待つ訳には参りません。」
井上「此処を待って頂かないと、拙者の方は立ち行きません。」
源内「だから、待つと拙者も同じ事。此方が立ち行きません。」
井上「遊びでは御座らぬか?待って下されぇ?!」
源内「遊びとて、武士同士の真剣勝負、待つ訳には参りません。」
井上「どーしても待てませんか?」
源内「ハイ、待てません。」
井上「ウーン。。。こう迄願っても、駄目で御座るか?ならば致し方無い。其れでは、刀にかけても、お待ちしてもらわんくなければなるまい!!」
源内「其方が、刀にかけてと申すなら、私、源内も刀にかけても、待てませぬ!!」
井上「何にぃ〜!」
と、元より気の短い井上伴太夫ですから、直ぐに刀の柄を取り、鞘を払います。
井上「お相手致す!!抜かれよ。」
売り言葉に買い言葉、碁の上の喧嘩が、命のやり取りになります。後へは引け無い青木源内も刀を抜きます。
が、
「えい!」と、言って斬り掛かって来る井上伴太夫は、一刀流の免許皆伝、正に達人です。源内は刃を受け止める事すら出来ずに、肩から袈裟懸けに斬られて、夥しい鮮血を流して事切れます。
一方、怒りに任せて斬った井上伴太夫は、血刀を祓った所で、冷静になり初めて事の重大さを感じましたが、もう後の祭りです。
家人が帰る前に、逐電するしかないと、居間を血の海にして、その場から逃げ出し何処かへ消えてしまいます。
やや後から食材の買い出しをして、寺へ助五郎を迎えに行って帰宅した妻は、この惨劇を見て悲鳴を上げ、夫の傍らに泣き崩れます。
息子助五郎は、父親の死がまだ受け入れられないのか、泣く母と斬り殺された父の前に呆然と立ち尽くすのみです。
そんな助五郎の目に、何かが飛び込んで来ます。『何だ?アレは。』ゆっくりと、其れに近付き拾い上げる助五郎。
其れは。。。
つづく