喜三郎は、気乗りのしない相対間男を、早く終わらせて銭を取って帰ろうと、卯兵衛の煙草入れを持つと、日本橋四丁目の大文字屋の店先、暖簾を潜る。


手代「いらっしゃいませ、どの様な御用件でしょうか?」

喜三郎「いや、オイラ、商売で来た訳じねぇ。番頭の卯兵衛さんに用事があって来たんだ、卯兵衛さんは居なさるかい?」

手代「へい、番頭さんなら帳場格子ん中です。呼んで参りますので、あちらでお待ち下さい。」

喜三郎「はいよーぉ。」


小上がりに成った板の間に腰掛けて、喜三郎が待っていると、四十がらみの如何にも大家の番頭風の貫禄の、喰ない様子の男が現れた。


卯兵衛「私が、大文字屋、番頭の卯兵衛で御座います、どちら様でしょうか?」

喜三郎「俺はお虎、吉原は大坂屋で、花鳥と言う源氏名で出ていたお虎の兄貴で、喜三郎と申します。昨夜は、番頭さんに妹が、大変可愛いがって頂いたそうで。。。」


喜三郎が鋭い視線で睨みますが、卯兵衛も海千山千の商人です。全く動揺する素振りも無く、悠然と言葉を返します。


卯兵衛「花鳥のお兄さん。そのお兄さんが、私に何の用ですか?」

喜三郎「アッシは、駆け引きってもんが苦手なんで、単刀直入に申します。妹の落とし前に百両頂戴しとうござんす。」

卯兵衛「百両?何の話ですか?妹さんからは、妾にしてくれろと頼まれて、月々三両か五両のお手当で囲うお話をしたダケですよ?」

喜三郎「だから、それは言葉の綾なんだよ。すべこべ言わず、百両出してくれ!そしたら、これっ切りにしてやる。悪い女に騙されて、高い買い物をしたと、思っておくんなせぇ〜」

卯兵衛「私も大文字屋の番頭です。百両出せ!と、言われてハイそうですか?とは言えません。ここに五両在ります。半紙に包みますから、今日はこれで帰って下さい。」

喜三郎「やい!番頭。俺は百両出せと言ってるんだ。そんな五両なんて、目腐れ銭は要らねぇーんだよ!!」

卯兵衛「脅しても、無駄です。それに、百両なんていくら私が大文字屋の番頭でも、右から左には無理で御座います。」

喜三郎「面倒な野郎だなぁ、この煙草入れを見ても百両駄目かい?お前が百両くれないと、この煙草入れを持って、この屋の主人に物申す事になるぜ!!それでも百両払わないと言うのかい?!」

卯兵衛「構いませんよ、旦那に妹さんとの関係をブチ撒けられても。その代わり私は煙草入れは道に落としただけだと申しますし、百両なんて旦那様がお出しにはなりません。

さぁ!!五両持って帰るか?旦那様を呼びますか?さぁ、さぁ、さぁ、どっちにします?」

喜三郎「あぁ〜、七面倒臭ぇー!やい、卯兵衛。俺は佐原の喜三郎って長脇差だ。花鳥のお虎の兄貴じゃねぇ〜、亭主だ。

あのお虎とは、三宅島から島抜けした仲で、お上に捕まれば、磔獄門の兇状持ちなんだよ。だからなぁ、人の女房に手を出して、知らぬ存ぜぬは許されねぇーぜ!!道連れにしてやるから、覚悟しなぁ。」


そう啖呵を切って喜三郎が、匕首の鞘を払う。余りに迫力のある啖呵と刃物に、流石の卯兵衛もビビリます。顔が青ざめて、ガタガタ震え、上の歯と下の歯が噛み合わなく成っております。

そこに、紋付袴姿の浪人風の男が、刀を二本差して同じ店先の反対側から喜三郎の方へと歩んで参ります。それを見た喜三郎が『誰だ?こいつ、何となく俺に似てやがる?!』


卯兵衛「どどどぉ、童斎さん!たたたぁ、助けて下さい。」

童斎「貴方が、佐原の喜三郎さんですか?」

喜三郎「あぁそうだ!俺が佐原の喜三郎だ。」

童斎「ならば、番頭さん、申し訳ない。私は貴方の味方ではなく、喜三郎の側です。観念して、それ相応の銭を出した方がいい。」

卯兵衛「エッ!」

童斎「人の女房を寝とったんだ、出す物を出さないといけませんよ。ただ、喜三郎さん、この人は番頭さんだから、百両は無理だ。三十両で我慢しなさい。」


喜三郎は、卯兵衛から三十両を受け取り、その童斎と呼ばれていた男の家へと招かれた。


喜三郎「あんたは、いってぇ誰だい?」

童斎「私は春木童斎と申しまして、ここ日本橋木本町で寺子屋を開き、手習と算盤の指南をしております。あそこ、大文字屋さんには、丁稚、手代の皆さんに十日に一度、出張して教えております。」

喜三郎「その童斎先生が、なぜ俺の強請を助けてくれたんですか?」

童斎「家に着きましたなら、ゆっくり教えて差し上げます。着きました、着きました。ここです。ただいま、お峰さん!お客様です。お茶をお願いします。」


日本橋木本町の小ぢんまりした家に、春木童斎は、お峰と言う女中と二人暮らしをしている様だった。


お峰「ハイ、ご主人様、お茶で御座います。あのぉ、私、少し外出して来ても宜しいでしょうか?夕飯の買い物のついでに、馬喰町へ寄りたいのですが?」

童斎「馬喰町?」

お峰「叔父の与次兵衛が狩豆屋と言う旅籠に来ているので、逢って話をしてきたいと思います。」

童斎「それは、行って来なさい。叔父様には、私からも宜しくと伝えて下さい。」


女中のお峰を外出させて、居間で童斎と喜三郎は、サシで話を始めた。


喜三郎「それで、なぜ、私の強請を助けてくれたんだい?」

童斎「私は、今は春木童斎と名乗っておりますが、本当の名は梅津長門と申して、四百石取りの旗本だったんです。

それが、大坂屋の花鳥と知り合って、吉原に借金が貯まり、大音寺前で田舎の大尽を斬って二百両盗んだら、これを岡っ引の竹蔵って奴に見られて、

花鳥が点け火までして俺を逃してくれたんだが、頼る先が無くて、昔の女が番町に戻って暮らしてたのを見付けて、そこに紐みたいに入り込んで、やっと人並みに暮らしていたら、

その女、お嬢お兼と言う夜鷹なんですがね、役人に捕まって牢屋に入れられて、なかなか出て来ない。銭は心細く成って来るし、結局、竹蔵の野郎だけは許せないので、あいつを叩き斬って奥州に逃げたんです。

その間、何でもしました。ある時は賭場の用心棒、そしてある時は旅人の懐を狙う胡麻の蝿、そしてまたある時は、恨みを晴らす殺し屋・仕掛け人。

何とか五十両と言う銭が貯まり、最後は仙台で仕事してこの江戸表へと帰り着いたんですよ。そんな訳なんで、花鳥は元気していますか?」

喜三郎「なんだ?!お前が、梅津長門さんかい。どおりで俺に面が似ている訳だ。女中が、それで俺の顔をジロジロ見てたのかぁ。

花鳥、お虎は元気だよ。今は俺の女房だ。でも、お前さん、少し恨まれているよ?!さっきの、お嬢お兼の件で。」

童斎「それは仕方ない。さて、お峰が帰って来たら酒、肴の用意をさせますから、今夜はとことん飲みましょう。」

喜三郎「そりゃ有り難てぇ。梅津さんあんた干支は?丑かい、俺は巳だから、四つ歳上かぁ、ならあんたが兄貴で、俺が舎弟だなぁ。」

なんとも不思議な縁で、蟠りなく自然と仲良くなり、腹を割り語り合う二人でした。


一方、馬喰町の老舗の旅籠『狩豆屋』では。

支配「信夫の与次兵衛お大尽!お峰さんて女性が下に見えておりますが、如何しますか?」

与次兵衛「それはワシの姪っ子だ、上に上げてケロ」

お峰「叔父さん、お久しぶりです。」

与次兵衛「お峰!元気しているか?まだ、江戸に居るつもりか?兄貴が、あんな殺され方をしてもう四年半になるがぁ、お前はこの広い江戸で父親の仇を探すだかぁ?」

お峰「はい、四年半前の晦日の二十日に、お父様が吉原土手に近い大音寺前で斬り殺されて、二百両と言う大金を盗まれましたが、

やっと信夫を二年前に出て江戸へと来て、仇探しをしていますが、お父様を殺した梅津長門ってお侍の手掛かりは何も掴めておりません。

しかし、絶対に梅津を見付けて仇を討ちます。そうでないと、私を男手一つで育ててくれた、父上様に本当に申し訳ない。」

与次兵衛「兄貴は信夫で一番の造り酒屋の主人で、人に恨まれたりしない本に良い人だった。だから、お前さんが男ならば、剣の修行をして、宮本武蔵のように、全国六十余州を仇討ちの旅で巡るのも良いが、

お峰、お前は女だから、剣の修行と言う訳には行かない。もし、江戸での仇探しに疲れたら、いつでも信夫へ戻って婿を取って兄貴の酒屋を継いでケロ。」

お峰「分かっていますが、もう、二、三年は神信心して、お父様殺しの梅津長門を探し続けたいです。今、奉公している春木先生も、良くして下さるし。」

与次兵衛「そうだ!その春木童斎とか言う先生は、本当に大丈夫か?お峰、お前はまだ、十八の娘だ。それが、三十男と二人っきりの生活は、本当に大丈夫か?叔父さんは心配だ。」

お峰「春木童斎先生は、二人の時でも冗談一つ言わない堅物だからぁ。独身で男前だけど、浮いた話もない。そうだ!今日は双子のようにそっくりな弟さんか、兄さんかが、先生を訪ねて来ていました。」

与次兵衛「お前がそうまで言うなら、あと、二、三年江戸で辛抱してみろ。さて、そろそろ春木先生がお前の帰りを、首を長くして待っておられるぞ。」

お峰「じゃぁ、ご主人様の所へ帰ります。叔父さんはあといく日江戸に居ますか?四日ここに居るんですね、また、顔を出します。」


お峰は夕飯の買い出しをして、春木童斎の家に戻ると、喜三郎がまだ居て、童斎からは酒と肴の支度をと頼まれた。

喜三郎は、春木童斎こと梅津長門から、十二分に接待を受けた事をお虎に伝え、卯兵衛からは三十両を巻き上げた事を話した。


翌日、八ツ過ぎに、春木童斎宅をお虎が一人で訪れていた。


童斎「驚いたなぁ、花鳥、お前がここへこんなに早く来るとはなぁ。上がりなさい。今、子供たちも女中のお峰も居ない、私独りだから。」

お虎「長門様も、お元気そうで。。。うちの人から聞きました。卯兵衛さんから、掛け取りするのを、手伝って下さったとか。」

童斎「掛け取り?」

お虎「私への借金だったんですが、女の私が行くより、夫の喜三郎が行った方が、いいかと思いましてねぇ。」

童斎「掛け取りと言うよりも、あれは、強請だったぞ。しかも、百両と最初から飛ばしぎみにふっかけていた。」

お虎「嫌ですね。うちの人は、梅津の御膳とは違って長脇差の博徒ですから、言葉がゾンザイなだけですよ。」


と、その時、お峰が帰宅する。昨日の喜三郎に続き、今日も来客とは珍しいと思うお峰。お峰が春木宅で働き始めて二年、女性のお客様は初めてだ。遠慮して、廊下で中の様子を伺っていると。。。


お虎「吉原では、大そう贔屓にして頂きましたから、梅津長門様が江戸に居られると聞いて、逢いに来ない訳にはいきませんワぁ。」

童斎「もう今は、春木童斎だ。梅津長門の名は捨てたし、過去ももう忘れた。」

お虎「勝手ですね、御膳。私は貴方が大音寺前で、田舎者のお大尽を斬り殺して二百両奪って来た大坂屋で、貴方を逃す為に、店に火を点けて、

牢屋で海老だ、石だって責められて、三宅島へと流されて地獄を見て来たと言うのに。貴方は、昔の色だったお嬢お兼とか言う遊女と、夫婦ごっこをしていたと聞かされてねぇ〜、随分、恨みましたよ、梅津の御膳。」

童斎「なぜ、お前がお嬢お兼を知っているんだ?!」

お虎「世間は狭いんですよ、御膳。私が居た小伝馬町の女牢に、お嬢お兼も入って来てねぇ。ベラベラと、梅津長門様とまた一緒に暮らしたい!と、惚気て行きやがったんですよ!あのアマ!!

童斎「まさか?花鳥、お前がお嬢を。。。殺したのか?」

お虎「人聞きの悪い事を言わないで下さいよ。お嬢お兼は獄中で病死したんですよ。」

童斎「で、花鳥。そんな恨み節だけを言いに、ワザワザここへ来たのか?銭はないぞ。」

お虎「御膳に大金が無いのは分かりますよ。だけど、慰謝料は貰いますよ、月々わずかな額でも。取り敢えず、今日の処は十両頂きましょうか?」

童斎「お前、変わったなぁ。」

お虎「御膳、変えたのは貴方ですからねぇ。」


十両を受け取るとお虎は深川へと帰って行く、そして、お峰は直ぐに狩豆屋へと駆け込んで、春木童斎が梅津長門だと叔父の与次兵衛に知らせると、

与次兵衛が狩豆屋に頼んで、幕府の評定所の役人を派遣して、春木童斎こと梅津長門を捕まえてしまう。

梅津長門は、お峰が大音寺前で自らが殺したお大尽の娘だと知りながら、罪滅ぼし半分で雇い続けており、お峰に討たれるなら本望と、評定所では素直に取調べに応じた。

そして、捕まってから十日後、山田朝右衛門の介錯で、切腹と決まり、梅津長門、三十六年の生涯に幕を閉じるのでした。



つづく