昨晩の吉原の火事は、幸い大坂屋の在った江戸町二丁目と三丁目の一部を焼き、廓が三軒全焼、二軒が半壊という程度の火事で済みます。
全焼の大坂屋では、火事による負傷者が数人ありましたが、主人、女将、番頭、女郎、花魁、禿、やり手、牛太郎、女中、下男に至るまで全員命は無事でした。
取り敢えず、大坂屋の根岸の寮に暫くは全員仮住まいと言う事になり、勿論、花鳥も其処に居りましたが、薬缶でやかん頭をやられた金造親分が黙っておりません。
金造「やい!花鳥、よくも俺様の顔に泥を塗ってくれたなぁ。」
花鳥「アチキが、親分の顔に?泥を?何の事ざんしょう?!」
金造「おうおう、白らこいのぉー、白ばっ暮れて貰っちゃ困るぜ!花鳥さよぉー。惚れたぁ男を逃す為に、店に火を付けたのは分かってるだ!!」
花鳥「アチキが?梅津の御膳の為にですか?火付けは死罪、しかも火炙りの刑ですよ。八百屋お七じゃあるまいし、廓(なか)の女郎が、そんな真似しませんって!!」
金造「お前が、花火師の弥助って野郎から火薬を手に入れたって裏が取れてるんだよ。それに、明らかに焼跡の二階部分からは硫黄の臭いがするんだ!!ネタは十分なんだよ、覚悟しろ!!」
花鳥「火薬?何の話ざんしょ?」
金造「あくまで白を切る気だなぁ。梅津は何処へ逃した?!そうしてられるのも今のうちだ。奉行所に突き出して、小伝馬町の牢屋送りにしてやるからなぁ!!覚えてやがれ。」
捨て科白を吐いた木村屋金造。大坂屋の関係者の証言と火薬の一件を陳情書に認めまして、花鳥の身柄と共に町奉行所へと訴えて出ます。
そして、取り調べの期間は小伝馬町の牢屋、石出帯刀殿の預かりと言う身分で花鳥は牢屋に入れられます。
連日、牢から出されての拷問を受けすが、花鳥は一切火付けを認めません。この江戸時代のお裁きでは、自白しない者は現行犯でもない限り状況証拠だけでは罪に問えません。
そんな訳で、小伝馬町の牢屋にも長く拘留される事になります。そしてもう一つ、この時代の牢屋と言えば、時代劇でもお馴染みの牢名主という存在があります。
牢屋の中の畳を隅に高く積み上げて、一般の囚人は板張りの上で生活し、牢名主様だけが、畳を使う事ができると言うシステムです。
この当時の小伝馬町の女牢も、ご多分に漏れず、一番の牢名主は品川奥番場に住む、子供を誘拐しては人身売買する鬼婆のお亀でして、それ以外にも亭主を三人殺したとも言われている毒婦で御座います。
また、二番は四ツ谷鮫ヶ橋のお豊。このお豊は行商人の亭主作次郎が留守なのをいい事に、土方金太郎と言う郷士と密通。
金太郎と示し合わせて、金太郎の妻美代とお豊の夫作次郎が心中したと見せ掛けて二人を殺しますが、金太郎が熱病に侵されて、二人殺しを白状してしまい牢屋に入っておりました。
で、このお亀とお豊の牢名主トップ2に大変、花鳥ことお虎は気に入られておりまして、実の娘か?と、疑うような可愛いがりよう。
お亀「本当にお虎は、強い女だね。水責めにも耐えたね。」
お豊「水責めや竹刀の責めまでは、色んな奴が我慢できるが、次に引き出されると、遂に『海老』が来るよ!『海老』が。お虎!耐えられるかい?」
お虎「海老ってのは、そんなにキツい責めなんですか?」
お亀「そうだねぇ。体が硬い老人には堪えるね。でも、お前さんはまだ若いから。」
お豊「海老に耐えられたら、何か欲しい物を外から私が取り寄せしてやるよ、何がい?タバコか?甘味か?」
お虎「初鰹が食べたい!熱燗で。」
お亀「贅沢だね、この子は。」
そんなお虎が役人に呼ばれて、縄で縛られます。首と足が縄で縛られて、締め上げると海老反りになり、これが通称『海老』と呼ばれる拷問です。
お虎「お役人様!恐れ入りまして御座います。」
役人「火付けをしたのは、その方であるか?」
お虎「恐れ入りまして御座います。」
役人「だから、何に恐れ入っておる?」
お虎「生きてお尻の穴が見られるなんて、恐れ入りまして御座います。」
役人「えーい、海老を喰いながら、そんな事を申すとは、ご同役!海老を喰って、人を喰った様な奴に御座る。」
海老に耐えたお虎が、牢に戻ると、またお亀とお豊が迎えてくれて、牢屋の隅の畳の上で、お亀/お豊/お虎三人のガールズトークに花が咲きます。
お亀「海老に耐えたねお虎。でも、次はいよいよ石だよ。」
お豊「何枚耐えられるかねぇ。二枚は自力で絶えないと、必殺技が使えないからねぇ。」
お虎「必殺技って何ですか?」
お亀「石攻略の必殺技さぁ。」
お虎「教えて下さい!!必殺技。」
お豊「それはねぇ。二枚までは自力勝負で耐えるしかなくて、三枚目に備えて、口ん中に『ツル』を仕込んで置くのさぁ。
このツルを役人には見えない様にして、石を運んで来る下男だけに見える様に口ん中を見せてやるのさぁ。
すると、下男が運んで来た石と、膝の上の石との間に手を入れて重さを加減してくれるのさぁ。更に四枚目が来たら下男じゃ無理なんで、
こん時は、上手くやるねさ、口ん中を噛んで血を吐いて気絶したふりをするの。そしたら慌てて石を退かすから。」
翌日、お虎が呼び出され、石を抱く。お亀とお豊に教えられた通りに、ツルを舌の裏に仕込んでおいて、三枚目でそれを見せて、四枚目で口ん中を噛んで血を吐きます。
何とか二十日間の拷問フルコースに耐えたお虎は、火付けでは裁かれず、人殺しの下手人を故意に逃した罪で、三宅島への遠島が言い渡されます。
三宅島へは、囚人専用の船で送られるのではなく、年に二度、二月と八月に干物船が三宅島からやって来る。此れに帰りは囚人を乗せて戻るのでした。
頃は天保三年、七月二十八日。江戸は秋風が吹き始めており、今年も三宅島行きの船がもうすぐやって来る季節に御座います。
お虎が八月になると三宅島へと運ばれると言うので、牢名主のお亀とお豊が八両、他の三十七名の囚人たちが、二両を出して、お虎のサヨナラパーティーを開催する事になります。
勿論、酒宴であります。役人と下男に賄賂(つる)を掴ませて、酒と肴、そして三味線と太鼓まで用意させます。そして、四十人での大宴会となるのですが。。。都々逸の廻しっこも終わり宴も丈なは、お虎が中〆のスピーチをしました。
お虎「私は、近く三宅に島流しされると、二度と江戸表へは生きて帰れないかもしれない。だから、この皆んなとの宴を、一生忘れない為に、一人ずつ、惚気でいいから、恋噺を聞かせてはくれないかい?それを土産に島へ行きたいんだ。」
お亀「じゃぁ銭悦ですが、牢名主の特権で、開口一番!えー、頃は元亀三年壬申年十月十四日。。。」
やがて、最後に二日前に入牢した『お嬢お兼』と二つ名で呼ばれる夜鷹が恋噺の番になった。何処となく品があり、夜鷹女郎のスレた様なのが丸で無いその女に、お虎が尋ねた。
お虎「お前さんは、お嬢お兼とか呼ばれているよね?お嬢と言うぐらいだから、武家の娘なのかい?」
お兼「ハイ、番町の尾崎藤五と申す旗本の娘に御座います。隣の家の、梅津長門様と言う同じ旗本の方となさぬ仲となりましたのを、父に見付かりまして。。。」
お虎「梅津長門!!」
お兼「梅津様をご存知で?!」
お虎「いやぁ、知らないよ。噺を続けなぁ。」
お兼「実に厳しい父でして、その様なふしだらな娘は我が娘ではない、家の恥だ!手打ちに致すと言うのを、本所の叔父が『ワシが引き取る!命ばかりは』と、助けられたんですが、
この叔父が鬼畜の様な奴で、私の体をさんざんもて遊び。。。耐えられずに叔父の家を抜け出して、でも番町の家へは帰れず。。。
途方に暮れて晦日の街を歩いていると、偶然、梅津長門様と再会して、梅津様も悪い女に騙されて散々な目に合ったとかで、
地獄を見た者同士、傷を舐め合うように一つ屋根の下で、夫婦同様の暮らしをしておりました。梅津様は武士で潰しが効かないので、私が客を取り、長門様は『お直し!お直し!』と叫びます。
そんな慎ましい幸せも、この度の手入れで私は捕まり牢に入れられましたが、夜鷹の初回の罪なんで、十叩きくらいで娑婆に戻れると思いますから、早く長門様の元に帰り夫婦仲良く幸せに暮らしたいです。」
お虎「良い噺を聞かせて貰ったよ、お兼さん。旗本のお姫様が、好いた男と一緒になる為に落ちる所まで落ち、どん底を見ながらも小さな幸せにすがるとは、泣かせるじゃないか?!
江戸での最後の思い出に、本当にいい噺を聞かせて貰った。お嬢!私の盃を受けておくれよ。」
そう言ってお虎がお兼を側に呼んで可愛がります。やがて、宴会が終わり全員が寝静まった丑三刻、お虎は一人ムッくり起きて隣のお嬢お兼の寝息を確かめます。すると、
お亀「そいつを殺すんなら、縄や手で絞め殺しちゃだめだよ。跡が残るから。」
お虎「何を言うんですか?今日初めて会って口を聞いた女を殺しはしませんよ。」
お豊「私達の目は節穴じゃないよ、あんたのあの顔、あの目、あの表情を見たら分かるよ、こっちも何人か殺しているからね。」
お亀「アタイとお豊で、手足を抑えるから、お前は手拭いを濡らして来るんだ。その娘の胸に馬乗りになって、濡れた手拭いで娘の鼻と口を抑えちまいなぁ。」
牢の隅の瓶に手拭いを漬けて戻るお虎。お亀とお豊が動けない様に布団の上から手足を押さえます。お虎が馬乗りになり、手拭いで鼻と口を押さえて息が出来なくします。
気が付いたお嬢お兼が物凄い形相になりますが、手足も動かせず、直ぐに事切れてしまいます。
翌朝、お嬢お兼が起きて来ないと言うので、大騒ぎはなりますが、全く外傷はないので、病死と言う事で決着します。
そして、天保三年八月二十日、三宅島行きの船に他の罪人と一緒にお虎は流されて、島に着いたのは九月八日になっておりました。
つづく