岡っ引の木村屋金造が、子分の竹蔵を連れて、引手茶屋『若松』へ来た時は、ちょうど五ツの鐘が鳴っておりました。


主人「これはこれは木村屋の親分、竹蔵さんまで一緒に、何用ですか?」

金造「今晩、此処から大坂屋へ送り込まれた梅津長門って旗本を知っているなぁ?何か変わった様子はなかったかい?」

主人「変わった様子ですか?梅津様は、久しぶりに見えられて、そう言えば五十両の借金を払って下さいました。また、今日は前金だと十両置いて行かれましたよ。博打で儲かったとかで。」

金造「そうかい。そいつは良かったなぁ、と、言いたい所だが、その銭、六十両はお上に返さねぇと駄目な銭なんだ、若松の旦那、すまないが出して貰うぜぇ!!」

主人「何を仰るんですか?この五十両は半年前にお貸しして、秋口に番頭に掛け取りに行かせたら、梅津様の屋敷は荒れ放題。

畳はめくれて障子、襖は穴だからけで、ふんどし一丁で刺青(モンモン)だらけの渡世人が薪ザッポ持って三人現れて、掛け取りだったら力ずくで来い!!と、言って追い返されたんで、

もう、五十両は戻らない!!と、諦めていたら、この暮に返して貰えたんですから、此れは私どもの物でしょう?親分さん。」

金造「そいつは、もう諦めてた銭なんだろう?ならお上に返した方がいいぜぇ!!その銭は梅津が、大音寺前で、田舎の大尽を斬り殺して奪った銭だ。

それを使うとなると、若松の旦那!お前さんも同罪だぁ。十両盗めば首が飛ぶんだ。六十両、使い込んだら、お前さん、女房子と一緒に磔になるがそれでもいいのかい?」

主人「分かりました。手文庫持って来てくれ、さっきの六十両、親分さんにお返し申す。」

金造「もう一つ、梅津は腰の大小はここに預けて行ったかい?」

主人「それはもう。廓(なか)の決まりですから、こちらで預かって御座います。」

金造「ヨシ、それならいい。これから大坂屋にも話をするから、主人、大坂屋へ案内をしてくれぇ。」


番屋に待たしてあった取方十人を連れて、金造と竹蔵の二人が大坂屋へとやって来る。店の牛太郎が何事か?と、店の主人を呼びに入る。


喜兵衛「私が、大坂屋の主人、喜兵衛にございます。」

金造「こちらに、引手茶屋の若松から梅津長門って旗本が上がったと思うが間違いねぇーかい?」

喜兵衛「梅津の御膳なれば、間違いなく先程お見えになり、花鳥花魁を呼ばれて本部屋へ。」

金造「その梅津が、今日の日の暮れ時分に大音寺前で辻斬り強盗を働いた下手人なんだ。まだ、大引け前で他の客も大勢居る。

それに相手は旗本で、刀は取り上げてあるが、死ぬ気で抵抗されると、店には迷惑だろうし、暖簾にもキズが付くだろう。

そこで、内々に事を運びたいので、先ずは若衆に頼んで花鳥花魁を、ここ、御内所まで呼んで欲しい。俺が指図するから、ご主人!頼みます。」


若衆「えぇー花魁へ!えぇー花鳥花魁へ!」

花鳥「何だい!今日は梅津の旦那が来ているから、来るな!!と、きつく言ってあるだろう?何の用だい!ったく。」

若衆「すいません、御内所で、旦那様がお呼びです。早くお願いします。」

花鳥「喜兵衛の旦那が!?梅津様、大坂屋の主人に呼ばれては、行かぬ訳にも参りません。直ぐに戻りますから、酒で繋いでて下さい。寝たら承知しませんから。」

膝を花鳥にツネられて、長門、「痛いなぁー、もう!!」と鼻の下を伸ばします。花鳥は、何事か?と、思いつつ御内所へと向かいます。


花鳥「花鳥ざます。」

喜兵衛「すぐ入って。此方は浅草田中町の金造親分だ。」


ハゲた、デップりと太った四十凸凹の十手持ちの親分と、梅津長門と何度か座敷を共にした竹蔵が横に座っていた。


花鳥「その親分さんが、アチキに何の用ざんす?」

金造「今、お前が付いている客の梅津長門、あの野郎は、今晩、大音寺前で辻斬り強盗した下手人なんだ。

お前も知っての通り相手は直参旗本だ。事を荒立てたくないんだ。そこで、お前に梅津の野郎にしこたま酒を呑ませて、眠らせて欲しいんだ。

寝込んだら知らせに来てくれたら、後は俺たちが野郎をしょっ引く算段だ。分かるな?変な料簡は起こすなぁ?野郎の為に、店にも借金があるそうじゃないか?

それは、魚心あれば水心だ。借金も年期も梅津の召し捕りに手を貸してくれたら悪い様にはしないから、俺が約束する。いいなぁ?!花鳥。」

花鳥「分かりんした。その代わり、アチキが合図するまで、ハシゴを上がって来ないでくんなまし。梅津の御膳に気付かれますから。」

金造「分かった!合図があるまでは、二階には踏み込まない。宜しく頼んだぜ、花鳥花魁。」


花鳥が二階の部屋に戻り、少し不機嫌な様子なのを察してか?長門が花鳥に酒を薦める。しかし、これを嫌う花鳥。


長門「どうした?急に機嫌が悪いなぁ。」

花鳥「御膳、アチキに隠し事は無しにして、くんなまし。」

長門「隠し事って何の事だ?!俺は何も隠したりはせんぞ。」

花鳥「大音寺前の殺しです。」

長門「何でそれを。。。」

花鳥「部屋でお着物を預かった時に、裾に泥に混った血がありんした。それから御内所に呼ばれて行くと、浅草の金造親分が居りんして、

御膳が大音寺前で辻斬り強盗したと申します。その横に、御膳もご存知の竹ハンが居なんして、御膳の仕業だと。」

長門「竹蔵の野郎!!俺を売りやがって。。。」

花鳥「もう、取方が店の周りを囲んでいます。アチキが『此れ』で、何とかしますから、火事になったら、その戸を蹴破って屋根伝いに逃げてくんなまし。」

長門「火事?付け火をするのか?其れで。。。大丈夫か?お前。」

花鳥「辻斬り強盗する様な男に惚れんした女です。付け火くらいは何ともありません。旦那、アチキを捨てないで下さいね。」

と、一瞬凄い目をして花鳥が睨みますから、梅津長門も背筋にゾクゾクするものを感じました。


さてこの本の『此れ』は、火薬なんです。花火師でもないのに、何処で手に入れるんだ!?とは、思いますが続けます。


花鳥は、大坂屋の二階の要所要所に火薬を仕掛けて同時に大音響で、爆発と火災を起こします。各部屋かは女郎や客、それから牛太郎が慌てて我先に逃げ出します。

折しも暮れの極月二十日、風は西北から強く吹いていて、この風にも乗りまして花鳥が付けた紅蓮の炎は、天を焦がす勢いで火柱が上がります。

ヨシそろそろいいか?と、梅津長門も戸を蹴破り外に居た取方二人を投げ飛ばして、大坂屋の庭へと足袋裸足で飛び降りました。

ところが、木村屋金造も馬鹿じゃない。万一、梅津が逃げるとしたら、この辺りに来るだろうと踏んで、待ち伏せておりまして「御用だ!」っと飛び掛かる。

それをすんでの所で交わした長門、金造の頭を、側にあった薬缶で力任せに叩く!叩く!叩く!哀れ金造はやかん頭を薬缶で殴られ気絶する。


夢中で大坂屋を飛び出して、吉原の土手を越えて田圃の畦道まで来た所で長門は、吉原の方へ振り返ります。

花鳥が付け火した火事が遠くでぼんやりと、また美しく燃え続けています。『花鳥!逃げてくれよ。』と心に念じた梅津長門は、そのまま闇の中へと消えてしまいます。



つづく