天保二年の晩夏に起きた、佐原の喜三郎による芝山の仁三郎殺しは、下総の長脇差の間に大きな衝撃を走らせた!!
勿論、一方は妹婿を殺された成田の龍次で、もう一方は佐原の喜三郎である。しかも、喜三郎の親である常陸国土浦の皆次にも、潮来の花会で仁三郎は恥をかいており、
土浦の皆次vs成田の龍次
そんな抗争の様相を呈していた。そこにいち早く龍次とは兄弟盃を交わしている飯岡助五郎が火焔龍に三十人の子分を連れて、助っ人を申し出る。
対して皆次には、倉田屋文吉一家から十人と、笹川繁蔵が手を挙げて、繁蔵自らと平手造酒、勢力富五郎を連れての精鋭十人が加勢に加わった。
一触即発!!
そんな空気は、更に大きなうねりを呼ぶ。上州からは国定忠治が笹川繁蔵贔屓を理由に、皆次への助っ人名乗りを上げる。
すると、甲州の寝技師!黒駒勝蔵が、三州の安納徳次郎を誘って、成田の龍次側に付くのである。
更に更に、勝蔵と安納徳の動きに敏感に反応した、これまた三州の侠客!吉良の仁吉が兄弟分の山本長五郎、通称清水次郎長を誘って皆次の側へ。
更に一触即発!!
利根の河原『天保水滸伝』と、伊勢荒神山の決闘の前哨戦が!!ここ下総と常陸の国境で起ころうとしていた。
それを見て血の雨が降る前に動いたのが、関東一の弓張、そうです。上州のドン大前田英五郎!!この仲裁で、火焔龍と皆次は手打ちとなりますが、
喧嘩両成敗で、馬差の菊造は、成田の龍次一家から破門となり、佐原の喜三郎も、皆次一家からは絶縁されてしまいます。
皆さん、もうお気付きですね。これは「講釈師の見て来たような嘘」の典型であります。だって黒駒勝蔵は天保三年生まれですから!!!
アさて、此方は江戸表の喜三郎は、馬差の菊造の行方が気になりながらも、仁三郎を殺して逃げている身であるから、極力外出を控えていた。
金太郎「佐原の、確かにお前さんは代官所からのお尋ね者だがよ。火焔龍と皆次さん所の喧嘩も、大事になる前に大前田の親分さんが納めて下さったらしいじゃねぇーかぁ。
今月三月十八日、明後日から三社祭が、ここ浅草では始まるから、子分を二人案内に付けるんで、祭り見物に行っちゃぁどうだい?」
喜三郎「親分さんには、本当にご迷惑をお掛けしております。いやぁ、親分ねぇ。仇の片割れ、馬差の菊造が見付からないまんま、
こっちが祭り見物して、役人に捕まりでもしたら、洒落になりません。三ヶ月、半年は隠れて大人しくがよかろうと存じます。」
金太郎「喜三郎さん!何を仰る兎さんですぜぇ。ここは江戸、しかも浅草だ。三社祭には何十万って見物客が来る。
喩え、お前さんが万度、『俺が佐原の喜三郎だ!!』と名乗りながら歩いても、誰もお前さんに興味は示さねぇよ。それぐらいの街だぜ、江戸は。」
金太郎に、そこまで言われて断るのも角が立つと思った喜三郎。江戸の祭りッてヤツを観るのは初めてだし、金太郎の言葉に甘えて、子分二人と雷門から仲見世へと足を運んだ。そこで!
歳の頃は十二、三の小僧が、下から手をにゅっと伸ばして、喜三郎の懐の紙入れを擦ろうとします。
しかし、伊達に二つ名では呼ばれていません佐原の喜三郎。この巾着切りの小僧の手を掴み、逆手に締め上げた!!
思わず『痛てぇよ!』と低い声を出して紙入れを落としてしまう小僧。手を掴んだまま、小僧が落した紙入れを拾う喜三郎ですが、
仲見世ですから、雑踏の野次馬が何だ?!擦りらしいぞ?!と、喜三郎と小僧の周囲に集まり始めた。
しかし、このガキの度胸の座っている事。喜三郎が腕を握り、逆手に捻じられても、最初の『痛てぇよ』以外は言葉も発せず、何も語らず悠然としております。
すると喜三郎。。。
喜三郎「小僧!気を付けろ、お前の下駄で俺ッチの雪駄を踏んだんだ!以後、気を付けろ!!」と怒鳴り付けて、雑踏へと消えてしまう。
喜三郎と金太郎の子分二人は、そのまま、田原町から稲荷町の方へ出て、金太郎に教えられた小料理屋の暖簾を潜った。
女将「いらっしゃいませ、三名様!奥へ御案内!!すいません、ハイ、金太郎親分とこの方。まだ、河岸から板さんが戻らないもんで、お酒と香物を出しますから、繋いでいて下さい。」
喜三郎「分かったから酒を早くお願いします。そして、十二、三のガキが来るかもしれねぇが、来たらここへ通してくれ。」
金太郎の子分二人に、酒を飲ませて祭りの話をしていると、そこに、例の巾着切りの小僧が現れた。更に、河岸から板前が戻り仕入れが済んだと聞いて、早速、刺身で本格的に飲み直しだ!!
喜三郎「二人には済まないが、その刺身を食ったら席を外してくれ。この小僧と少し話がある。悪いなぁ。」
金太郎の子分二人を帰して巾着切りの小僧とサシで話をする喜三郎であった。
喜三郎「小僧!仲見世では、野次馬が大勢だったから、お前の仕事は内緒にしたが、お前さんは、一体何もんだい?
名前を尋ねるからには、こっちが先に名前を言うのが礼儀だなぁ。俺は『佐原の喜三郎』って、長脇差の渡世人だ!!お前は、何て名だい?」
庄吉「アッシは三日月小僧の庄吉と申します。生まれは江戸の赤坂今井谷でござんす。親父はボテ振りの八百屋で平助と申します。
産まれてすぐに母親が亡くなり、親父が男手一つで育ててくれましたが、手癖が悪く酒を飲み博打好き、手に余ったオヤジはアッシが七つん時に圓通寺に坊さん修行で預けたけど、
十で寺を抜け出して巾着切りの頭、嘉童って親方の身内になりました。それから半年もしないウチに、嘉童一門で、大名お抱えの相撲取り『玉垣』、
この玉垣が差している脇差、短い小柄なんだが、実に様子がいい。あれをスッた奴が嘉童一門の次の頭だ!って事になり、オイラも子分に成って半月たらずで、玉垣の小柄に手を掛けたんだが、
玉垣に見つかり橋の欄干に、手をその小柄で刺されて出来たのが、このキズなんですぁ。つまり、玉垣から付けられたキズが元で『三日月小僧』と二つ名で呼ばれる事になり。
『大した度胸だ!小僧。』と、玉垣関からは褒められて、『自分で抜け!』と言われてその小柄を貰う事ができて、
仲間に自慢したら、嘉童の親方が『三日月小僧に代替わりする!!』て宣言されて、仲間も律儀に玉垣の小柄を取ったから意義なし!!となり、今では三十人の子分を持つ頭なんです。
それと!佐原の喜三郎親分の事は、存じてますよ?!馬差の菊造と芝山の仁三郎との因縁も。なぜなら、私が成田で、芸者のお虎さんの紙入れを抜いたのが、そもそも事の起こりですから。」
喜三郎「じゃー、お前さんが、お虎さんの懐から五両盗んだねか?何て因縁だ。世間は広い様で狭いもんだなぁ。
さて、庄吉ドン。お前はいくつなんだ?十二、三にしか見えないが、本当の歳は?エッ十五か。それで、何時迄巾着切りを続けるつもりかい?」
庄吉「そんな事、考えた事も無かったよ。玉垣関には小柄を抜き損なったが、それが初めてのしくじりで、喜三郎親分、あんたの懐を狙ってしくじったのが二回目だ。
どういう訳か?スリに失敗すると、何故か?転機になり、運が良い方に転がるみたいです、俺は。ここいらが、巾着切りの元締を辞める潮目何ですかね?」
喜三郎「そうかい?なら、今日限り盗みは辞めると誓えるかい?お前がその度胸を売りに漢を極めるつもりなら、俺が土浦の皆次親分に、口を聞いてやるぜ、長脇差にならねぇか?」
庄吉「佐原の親分の様な長脇差になりたいと思いますが、皆次親分の下ではなく、アッシは喜三郎親分!あんたの子分にして下さい。一緒に馬差の菊造の野郎を探しましょう!!」
喜三郎「こんなぁ、下総から逃げて江戸に隠れている俺でいいのかい?」
庄吉「勿論です、親分!!」
喜三郎「じゃぁ、ここで固めの杯だ。それから、ここに三十両ある。これを持って子分達との別れをして来な!!」
庄吉「何から何まで。。。有り難とうござんす。子分だけじゃなく、赤坂今井谷の親父にも長脇差になるからと、伝えてから戻ります。」
喜三郎「ヨシ!そうしねぇ。」
と、三日月小僧の庄吉と固めの杯を交わして主従の関係となった喜三郎ですが、これっきり、庄吉は喜三郎の元へは戻りません。いや、正確には戻れません。何故ならば。。。
先ずは赤坂の親父さんに、巾着切りを辞めて長脇差になる話を切り出し、佐原の喜三郎と言う任侠に惚れたと伝えると、良し悪しは別にして、世間から後ろ指を差されない様にとだけ意見して庄吉を送り出してくれました。
そして、次に巾着切り嘉童一門の仲間を集めて話をしょうとした、その時、中に居るんですよ、裏切り者が。これがスリ集団が大きな会合を開くと奉行所に密告した奴が出て、嘉童の一味は一網打尽にされて、三日月小僧の庄吉は佃島の寄場送りとなり、入墨者となるのです。
しかし、このまま佃島に二年、三年と流されたまんまじゃ、三十両くれた喜三郎親分にすまないと、佃島から抜ける算段をします。
やがて、夏になり水無月の末になり、日照り続きの佃島は、蚊とノミが湧いて地獄の暑さで御座います。そんなある夜、遂に庄吉が狙っていた嵐/台風が接近する夜が来ました。
寄場の囚人、役人が全て寝静まった丑三時。庄吉は厠の糞壺の中を通り、目安の杭を伝って築地の方角の海へと飛び込む作戦です。糞まみれになりながら漸く杭へと辿り着き上へと上がります。
真っ暗な闇で、おまけに雨が激しく降っているので、だいたいの見当で海へと飛び込む庄吉。海にザブン!と入るはずでしたが、引潮で佃島の干潟/ヘドロへ突っ込みます。
有明海のムツゴロウになりながら、少し辺りが白んで雨が通り過ぎた頃に、やっとの思いで海に辿り着きますと、なぜか?海にオマル/虎子が流れて来て、これに捕まり岸へと泳ぎます。
確か三三師匠も言ってましたが、落語って海や川から虎子が流れて来る展開が少なく有りません。『野ざらし』にも虎子が流れて来ますよね?
さて、完全夜が明けた六ツ過ぎに、永代橋を越えた洲崎新地辺りに漂着した庄吉。漁師の小屋に隠れて佃島の囚人用の着物を脱いでふんどし一丁に成っていると、
そこへ都合よく十二、三才の小僧がお使いで通り掛かります。大紋付きの店のお仕着半纏に、めくら縞の股引、腹掛け三尺帯に手拭いを挟んでおりました。
これを襲って着物を奪い、手拭いで放っ被りして歩いていると、腹が減って減って仕方がない。喜三郎親分からは盗みは止めろと言われたが。。。
やがて八丁堀から深川八幡様へと抜けて永代橋へと掛かる。すると、前から三人連れの男が来る。真ん中の羽織姿の侍は、火付盗賊改方の同心、愛場重右衛門と岡っ引の藤兵衛、そして下男の三人である。
庄吉、まずい野郎に出会っちまったと思いますが、ここは塞ぎがちに下を向いて、挨拶をしながら通り過ぎる事にします。
庄吉「これは!愛場の旦那!!ご苦労様です。」
愛場「おう!」
と、すれ違った愛場重右衛門、どこの店の小僧だ?と、顔を見ましたが、流石に三日月小僧の庄吉とは気付きません。そのまま通り過ぎた永代橋の先で、
もう一人の岡っ引、新八が裸の泣いている小僧を連れていますから事情を聞くと、どうやら両国の巾着切り、三日月小僧の庄吉が襲ったらしいと聞かされて、ハタと気付く!!今すれ違った小僧!!庄吉の野郎だ。
踵を返して追うと、三日月小僧の庄吉は空腹のあまり、下手り込んでいて簡単に捕まってしまい。佃島の寄場から逃げたのがバレて、三宅島へと遠島になります。
さて、三日月小僧の庄吉、佐原の喜三郎と逢えるのか?まだまだ、物語は続きます。
つづく