江戸城大広間では、重い空気の中五ツ辰の刻より、将軍吉宗公は元より、老中・若年寄、南町奉行大岡越前守、北町奉行諏訪美濃守も同席しての『徳川天一坊』に対する最終評議が下された。
報告の内容は、紀州での山田惣右衛門、神山大門の調べ、及び、昨日の白洲での調書が読み上げられて、全員一致の評決で「天一坊は真の御烙印にあらず。」との結論に。
また、如何なる経緯で一味が、これ程巧妙な陰謀が企てられたか?それを明らかにすべく、南北町奉行には、一味を生捕りにせよ!!と、将軍吉宗公及び松平伊豆守より下知が飛ぶ。
両奉行、動かせられる最大の与力同心、そして、岡っ引など『仲間』も加えて、火消し鳶の頭なども加え品川に集結させた。
火消しを二組用意したのは、越前守の要請で、万一、追い詰められた一味が街に点け火をした場合への備えであった。
一方、天一坊の行列は大船を朝出て、戸塚の立場で休息を取り、行列を整備して、この日は川崎宿に『徳川天一坊の旅館』の立札を立てながら移動していた。
そして、明日は早朝より六郷の渡しを専用の貸切船を用意して、一気に江戸表へと入る手筈になっているので、一同は舌舐めずりして喜んでいた。
そこへ、物見係の蜻蛉寸達改め斎藤一八が外から戻り、
一八「今、川崎宿を一回りして参りました。」
大膳「して、街の様子はどうだ?」
一八「東海道の川崎宿の入口から横丁の細い路地まで、竹矢来で全ての街道の側面を塞いでいて、店と言う店は今日と明日は休みなんだとか?徳川家の威光と言うものを感じます。」
大膳「天一坊に沿道から手出しできぬ様に、神奈川の役人も大変だぁ、なぁ。」
実は、既に品川の半数を船に乗せて鎌倉に入れて、深夜には天一坊の行列の背後を固めた。そうしておいて、品川の残りは夜中に、六郷から川崎へと渡り、翌朝、天一坊の行列が進み始めた所を「御用!」と生捕りにする。
竹矢来で沿道を覆ったのは、一味を逃がさない為と、川崎宿の一般市民を巻き添えや人質にさせない為の越前のアイデアだった。
そして、天一坊が飴色網代蹴出しの輿に乗り、宿を出発しようとした瞬間、大岡越前守が馬上から取方に指図して、「御用だ!」「御用だ!」と天一坊の行列を生捕りに掛かった。
最初に天一坊の輿に取方が、「藤井六之助の倅、法澤!御用だ!」と、取り押さえると、天一坊はアッサリ生捕りにされた。
大坂で天一坊に雇われた家来は、何が起きたのか?理解ができず、逃げるに逃げられず、次々に縄を打たれて行く。
続けて、常楽院天忠と感応院も簡単にお縄となったが、赤川大膳と山村甚之助は、太刀を抜いて腕に覚えがあるので、必死の抵抗で容易には生捕れぬ状況です。
同心与力も、仲間が斬られて血を流すのを見ると恐怖が増して、なかなか、手出しできずにいると、竹矢来の奥から鉄砲隊が、二人の足を狙撃して、漸くこれも生捕りにします。
一味は全て小伝馬町の牢に入れられて、赤川大膳、山村甚之助、常楽院天忠、感応院、中村伝蔵、大森弾正、島左京、森田八十八、戸村次郎兵衛、本田彌六、そして住友様之助はお白洲で裁かれた。
アさて赤川大膳と山村甚之助が鉄砲で負傷した事もあり、最初に裁かれたのは伝蔵だった。この白洲には、母親おも代と女房お兼も呼び出されていた。
越前「おも代、この白洲に、そちの倅、伝蔵は居るか?」
おも代「居ります。アレなるが、伝蔵に御座います。」
越前「伝蔵、母に申す言葉があれば許す。最後に申したき事あらば、この場で申せ。」
伝蔵「オッカさん、伝蔵は五歳で神隠しに合ったと思って諦めてくれ。産まれ付き、ショウが悪かったと思って。。。
オッカさんを一生楽させてやろうと思ったんだが、親孝行を履き違えてた様だ。磔にされちゃぁ、極楽の親父さんには逢えないだろうから、残念だぜぇ。」
お兼「伝蔵さん!アンタ、とんでもない事してくれたよ、でも、オッカさんはアンタの分も私が孝行するからね。」
伝蔵「よく言った!流石、おれの女房だ。」
一味の吟味は進み、ここで飛んでもないオマケの犯罪が発覚します。それは住友様之助が用意した三千両が、実は偽金だったと申します。
一味は、総勢百四十五名、天一坊を替玉と知らずに参加した大多数は、江戸所払いで済みましたが、越前が自ら白洲吟味した全員が磔獄門の晒し首三日間でした。
そんな中、天一坊だけは、お上からの情けで、晒し首が一日で下げられたそうです。
大岡越前守忠相は、この功績で幕府より一万石の加増となり、江戸表での評判もウナギ登りです。
完