前回の『桂川市兵衛』の噺は、丸々脱線秘話でして、せめて八代吉宗の秘話にして欲しいですよね、とは言えあと二話で、大団円なんですねぇ。

その前に、二代目神田山陽先生のと、この本の大きな違いが、まず、知恵伊豆こと松平伊豆守と大岡越前との関係です。

山陽先生のは、知恵伊豆が大岡越前に対して『町奉行の分際で!老人首座の私が、御烙印に間違いない!と、言うのに、なぜ、再吟味などと上様にご注進申し上げる!!』

と、怒り狂い、吉宗に越前守の注進を取り継いだ用人伊勢守も、知恵伊豆の顔色を見て真意を伝えないので、越前守は将軍から重閉門を言い渡される。

しかし、重閉門なのに屋敷を抜け出して、三人の忠義の家来の活躍で、天一坊一味の悪事を暴きますが、この本のような確たる証拠とは言えません。


アさて、紀州和歌山亀澤村から戻った山田惣右衛門が、大岡越前守の役宅に馳せ参じ、例の二つの証拠の品、若君様の位牌と易の本を見せながら語りました。


山田「えぇ〜まず、常念と申す坊主の証言によりますと、元禄十五年極月二十六日夜に死産だった娘サワが産んだ子の死骸を、炭の消壺に入れて、

翌二十七日の朝、サワの母親で産婆のおさん婆さんが、この常念に預けて、高蓮寺で葬って下さいと回向を頼まれたと言うのです。

まず、十中、八・九、この死産した赤子が、本当の若君様だと思われます。なぜなら、そのサワが嫁いだ感応院の仏壇に、この位牌が置いて有った事が、何よりの裏付けです。」

越前「分かった。残念ながら吉宗公のお墨付は、死産だったのだなぁ〜。」

山田「常念坊主の話によると、おさん婆さんが、娘の子は九ヶ月の早産だったのが、死産の原因だったとか。」

越前「そうであったかぁ、然すれば、大坂城代の土岐丹後守殿からの書状にあった、天一坊と家老赤川大膳が瓜二つとの情報も、臭うなぁ〜。」

山田「臭うと申しますと、天一坊の赤川大膳、芝源助町に、同じ赤川で『赤川全龍』と申す易者がありまして、よく当たると評判の易者なんですが、これが暫く江戸を留守にすると言って、

弟子を芝源助町の借家に残して、本人は大坂に出向いたと言うんですよ。その赤川大膳が、紀州和歌山亀澤村の若松屋と言う宿に居て、感応院と会っていたのも事実で、二人して大坂へ、亀澤村から出て行ったようです。」

越前「どうやら、この赤川全龍こと赤川大膳が、諸国を巡り、サワと感応院の息子で国太郎、後の法澤とか申した子を天一坊と称してお上を騙す陰謀への仲間を集めたに相違ない。」

山田「では、お奉行!如何いたしましょうや?」

越前「明後日、四ツ巳の刻に白洲を開く。赤川全龍の関係者を本日召し捕り、番屋に一晩泊め置いてから、明日白洲に集めなさい。そして、芝源助町の町役五人組を呼んで、全龍に借家を貸した家主も、白洲に参る様に伝えなさい。」


いよいよ、お白洲です。 


まず、前日番屋にしょっ引かれた面々は、全龍の易の見習弟子で、留守番をしていた良助、更に、全龍と大坂へ行った浅草の巾着切りの元締、伝蔵の母親と女房だった。

更に、全龍に借家を貸した、伝通院前で酒屋を営む近江屋金兵衛、そして同業者で友人の今井多忠、並びに借家のある芝源助町の町役五人組が白洲には呼ばれた。


白洲で吟味を受ける一同同じ位置に座る同心が、シー、シーッと声を発すると、まず、書記と進行役の二名の与力が、一段高い上座に座る。

続いて、奥よりゆっくりと大岡越前守忠相が、上下姿で登壇すると、与力が一堂に吟味の趣旨を説明する。


与力「只今より、易者赤川全龍について、大坂にて公方様御烙印の騒動を引き起こしておる赤川大膳との関係に付いて吟味をいたす。

これより、お奉行様自ら、其方らにお問い掛けがある。嘘偽りなく真実のみを述べる様に。お上にも慈悲はある。この吟味に協力すれば、する程、罪は軽くせんことも、ないこともない。魚心あれば水心、押せば命の泉湧くである。」

越前「南町奉行、大岡越前守忠相である。一同、そのように硬くならず、ザックJAPANではなく、ざっくばらんに、知りおる事を有り体に申して頂きたい。

まず良助、その方は赤川全龍の易学の弟子とあるが、それに相違ないか?」

良助「易学なんてたいそうなもんじゃありませんが、全龍先生の弟子で御座います。」

越前「うむ、そちの師匠、赤川全龍は現在只今、何処で何をしているか?そちは存じおるか?」

良助「聞いて下さい!お奉行様。全龍先生は『ちょっと出て来る、留守を頼む!』って、湯屋に行くみたいにここを出て、大坂へ行ったきり、

確かに二分の銭は置いて行きましたよ、でも、去年の十一月に出て、もう四月ですよ。その間五ヶ月、手紙もよこさない!!あっしも困り果てております。」

越前「あい分かった、良助。そちも災難であった。では、その横のご老女。そちは全龍とは、どの様な関係であるか?」

伝蔵母「ハイ!お奉行様。私は全龍さんとは身内でも、師弟とかではなく、私の倅の伝蔵が、全龍さんと一緒に大坂へ行くと言い出して、こちらで帰りを待っております。」

越前「あい分かった。そのご老女の隣の娘、その方は全龍とは、如何なる関係じゃ?」

お兼「私は浅草玉屋に居りましたお兼と申しまして、こちらの婆様の倅、伝蔵の女房に御座います。」

越前「ご老女もそうだが、お主も、なぜどうして、赤川全龍と知り逢った?」

お兼「お奉行様、私と亭主の伝蔵は、美濃長洞のお坊さんで、常楽院天忠と言う方に頼まれて、越後の守門山で住友様之助と言う浪人村の頭に、お手紙を届けに参りました。

その旅の途中で、私と伝蔵さんは、法澤と言う坊様と知り合い、この方が、赤川全龍さんの息子さんだったもんで、それで母様と全龍先生の家に居たんです。」

越前「その法澤が、赤川全龍の倅と言うのは誠か?」

お兼「ハイ、越後の守門山でお会いした、住友様之助さんは、元は水戸藩のお侍で香洲何某と申されて、法澤さんの父上、つまり赤川全龍さんと水戸藩で一緒だったそうなんです。」

越前「お兼とやら、法澤と常楽院天忠の関係は?有り体に申せ。」

お兼「法澤さんは、守門山の住友様之助様から江戸にご両親が居ると聞いて、私達と一緒に江戸表に来て、私達が青雲寺の常楽院天忠様の元を頼りました関係で、

法澤さんも付いて来て、その流れで天忠様に弟子入りします。そして、ご両親探しを始めた矢先に、『赤川全龍』と言う占い師が良く当たると知り、

ここ芝源助町に出向いて、ご両親の居場所をと占って貰いに行くと、その占い師が父だと知れて、残念ながら母さんは昨年亡くなったそうです。

その赤川全龍と名乗る占い師は、元水戸藩の浪人で藤井六之助と言うのが本名の様子。これは旅の道中、耳にタコができるくらいに法澤から聞いたので、間違い御座いません。

そんな事が有って、二、三日後に、突然、あんなに繁盛していた商売を捨てて、常楽院さんも、赤川全龍さんも、大坂に行くと言うので、うちの亭主も付いて行きました。」

越前「ほーぅ。その水戸藩繋がりで、越後守門山の住友様之助と江戸芝源助町の赤川全龍が繋がると言う訳か?あい分かった。

次に、芝源助町町役人に尋ねる。この赤川全龍なる易者は、同町内には何時ごろから居付おる?有り体に申せ!」


町役「恐れながら町役人、進次郎申し上げます。昨年の春、三月より越して参りまして、商売の方は極々巧みに行いまして、繁盛のよしに御座います。」

越前「あい分かった、では借用の件に付いて尋ねる。あの広い一軒家であるが、借家契約か?それとも借地契約か?」

町役「当然、借地に御座います。」

越前「借家なれば保証人などは不要と心得るが、借地ならば、保証人が居るはず、保証人は誰であるか?」

町役「あの家は、伝通院前で酒屋をなすっておる近江屋さんが、旗本大隈様の家質だったものを買い取りなすった物に御座います。」

越前「あい分かった、さて、また良助に尋ねる、良助!全龍の元に、一番頻繁に訪ねて参る者は誰だ?」

良助「ハイ、それは間違いなく多忠の旦那です。全龍先生とは旅先で知り合われたとかで、三日と空けず見えていましたから。」

越前「この中に、その人物は居るか?」

良助「ハイ居ります。あの方です。」

越前「では、まず、赤川全龍に家を貸した、近江屋金兵衛に尋ねる。あの借家は如何なる目的で旗本屋敷を買い上げた?借家とするのが目的か?」

近江「違います。本来は発句の会や、茶会の為に購入しました。あの家には立派な茶室が御座います。ですが、赤川様は元は水戸藩の御重役の息子さん、藤井六之助様でした。

お父上は元能役者で藤井紋太夫様と言う方で、光圀卿の信任厚く江戸留守居役で、三百五十石取りの水戸藩の重臣でして、

水戸の江戸藩邸への酒の納品で、藤井様には一廉ならぬ便宜を賜りましたもので、今は浪々の身とは言え、藤井様のご子息から貸して欲しいと頼まれましたら手前どもは断れなません。」

越前「で、その六之助こと赤川全龍の父親は、なぜ、光圀公から暇を出されたりしたのだ?」

近江「噂程度の話ですから、真意までは分かりませんが、光圀様から綱條様へと代替わりして、光圀卿が西山に居を構えられた時に、藩政を江戸家老の香洲様、留守居役の藤井様で牛耳ろうと、幕閣へと擦り寄る動きがあり、

これが光圀卿の逆鱗に触れて、子飼いで本当に目を掛けていた藤井様はお手討ち!香洲様も切腹となり、両家は断絶しておるとか。

父上のなさった事で、六之助様は藩を追われて侍を止める事になり、実にお気の毒だと思い、易者を始めるのでと、芝源助町のあの家を貸せと頼まれますと、断りきれずお貸し致しました。」


越前「あい分かった、では次に今井多忠。」

多忠「ははぁー」

越前「その方、良助の話によると、占いを生業とする渡世でありながら、同業の赤川全龍の元へ頻繁に訪れて、時に泊まる事もしばしばと聞くが、お主と全龍の関係は如何に?」

多忠「今井多忠、お奉行様に申し上げます。小生も四国は丸亀にて武士をしておりましたが、故有って逐電致し、紀州熊野で易と祈祷の修行を致しておりました。

そんなある日、旅の空で全龍、当時は藤井六之助と奥様のお梅殿と出会い、一ヶ月程、旅を共にしました。その時、お梅殿は妊娠していて、もう産み月間近でした。最後に別れたのが紀州亀澤村でした。

そこで分かれて、私も何とか江戸で易者として一本立ちして食べて行ける様になったそんな頃に、突然、江戸に評判の易者が現れます、それが赤川全龍だったのです。

どんな奴か?と、見に参って驚きました。あの六之助とお梅さんだったのです。十八年ぶりの再会でした。そして、私が紀州亀澤村で別れた時に妊娠していたのに子供が二人にはありません。

そこで両人を問い質すと、亀澤村の庚申堂で男子を産んだが、育てる経済力が無く、その子を取り上げた産婆に里子として渡したと言うのです。

私もびっくりして深く聞いてみると、その産婆の娘が前日深夜に子を産んだが死産で、乳は出るから赤子を育てられるからと、両人からその子、男の子を預かったと言うのです。」

越前「あい分かった!一同、本日の調べはこれまで、取り敢えず、番屋に泊め置いた、三名も返すが、町役人五人組の監視の元、江戸表を出ない様に。追って沙汰を致す。一同、立ちませぇ〜」


これでほぼ一味の悪事の概要を掴んだ大岡越前守忠相は、老中松平伊豆守へ、今日の白洲の証言を書状として報告。

大坂城代の隠密が探りだした通り、家老の赤川大膳と徳川天一坊は親子也りと、結論ずけて、十分な証拠と証言ありと伝えた。



つづく