感応院へサワが嫁いでから、最初のうちは感応院と弟子、そして法澤の三人で施行して廻り、僅かながらの蓄えもできる様になっていた。

そんな感応院の元へ、おさん婆さんがやって来る。


感応「これは、母上、わざわざ何用ですか?」

おさん「こんな事を頼めるのは、貴方くらいだから、サワの耳には入れたくないから、一人で来ました。」

感応「どうぞ、お上がり下さい。弟子も法澤も施行で不在です。どんな事ですか?」

おさん「実は、貴方に元手を貸して欲しくて。最近、産婆の仕事も不景気で。。。寄る年波には勝てなくてねぇ。」

感応「何の元手ですか?幾ら必要なんです?」

おさん「勘右衛門が元締めの無尽に、前から出資してたんだけと、今月は苦しくて、一分何とかならないかねぇ?」

感応「分かりました。仲人の勘右衛門殿の無尽ならば、お貸ししましょう。ただし、証文と返す期日をはっきりさせて下さい。この寺も楽じゃありませんので。」

おさん「勿論だよ、大事な娘の嫁ぎ先だからねぇ。証文は書くし、返済期日は再来月の末日でいいかい?」


そう言っておさん婆さんは、感応院から一分と言う金を借りて帰った。それから三日、四日して久しぶりに、名主の勘右衛門が寺にやって来た。

何でも、所有する裏山の沼地にある池の水を全て抜いて、その沼地を整備して新しい小作人に畑として貸し付ける算段をしていたら、

水を抜いた池から、大量に、鮒・鯉・鯰・鰻が取れて、勘右衛門一家では食べきれないのでと、盥に生かした獲物を届けてくれた。

寺に、生臭を落ち込み殺生しろと言う名主も希有だが、知らぬ仲ではなく、感応院もそれらを有り難く頂戴した。

その際に何気なく感応院が、例の無尽の話を振ると、勘右衛門は怪訝な顔色で、無尽の元締めは勿論、無尽など参加した事がないと言う。


この時は、まだおさん婆さんが一分を何の元手にしたのか?感応院は知る由もなかったが、二月後に、一分が戻らないので、おさん婆さんを問い詰めて驚く!!

「札めくり」と言う加納将監宅の仲間部屋で開帳されている博打の元手にされていたのだ。激怒した感応院だったが、おさん婆さん、これを上手く交わして、

感応院を連れて、「札めくり」の仲間部屋へ。ビギナーズラックとでも言うのか、感応院は、貸した一分が直ぐ戻り、更に二分二朱と八百の銭を儲けてしまう。

二分二朱八百と言えば、感応院と弟子、そして法澤の三人で稼ぐ施行の二十日分にも相当した。完全に、木乃伊取りが木乃伊にされてしまった瞬間だった。


感応院は、午前中施行で稼いだら、その銭を持って仲間部屋へ行くようになる。まだ、自分の稼ぎだけで遊んでいるうちはマシで、

そのうちに、弟子や法澤の銭を巻き上げて、其れ迄持って「札めくり」に行く様になる。こうなると、弟子がまず馬鹿馬鹿しくなり寺を辞めて、何処かへ逐電してしまう。

そんな亭主に、サワも意見はしたが、感応院は「俺に博打を教えたのは、お前の実の母親だ!!」と、開き直る始末で、何とか法澤とサワの二人は、感応院に施行で手にした銭を奪われない様に注意していた。

法澤は賢く施行の対価を銭ではなく、物にして欲しいと檀家に頼んだりもして、感応院に巻き上げられない工夫をしていた。


アさて、感応院の変化(へんげ)があり、おさん婆さんと感応院とは、悪い関係でつるむようになり、やがて感応院は殆ど真面目に施行しなくなる。

そんなある日、施行の帰りに、法澤がおさん婆さんの家に水を飲みに寄った時の事だった。


おさん「法澤、久しぶりだね。お母さんは元気かい?」

法澤「うん!変わりなく元気ですよ。」

おさん「今日はらおはぎを作ったから、食べるかい?」

法澤「ハイ、頂きます。」

おさん「二つでも、三つでも好きなだけ、お食べよ。私一人じゃ、どおせ食い切れんからねぇ」

法澤「二つはここで頂いて、あと二つをおっかさんに持って帰りたいのですが、お婆さん宜しいですか?」

おさん「構わないよ、法澤は親孝行だねぇ。そうそう、感応院、義父さんが家に帰ったら、夜でも構わないから、今日中に、婆ちゃんの家を訪ねる様に伝えてくれぇ。相談したい事があるんだ。」

法澤「分かりました。義父さんに伝えます。お婆さん、おはぎ、ご馳走様でした。」


法澤はおさん婆さんに礼を言って帰宅すると、感応院は、まだ札遊びをしている様子で帰宅していなかった。

法澤は、おさん婆さんが感応院に、家へ夜でも構わないから必ず来いと呼んでいる事を、先ず伝えてから、

母親のサワにおはぎを渡した。母から湯屋へ行くように薦められたが、昼間の施行で疲れたと言って、食事を食べたら直ぐに休むと言って床に入った。


法澤が寝て一刻半後、もう日がどっぷりと暮れてから感応院が帰宅した。案の定、札めくりでオケラにされて戻り、法澤は風呂にも入らず、疲れたと言って寝ていると、サワが言う。

そして、母親おさんが、夜中で構わないから、相談があるので、家に来いと言っていると、サワから聞かされる。


『また、札めくりの元手を貸せと言うのだろうか?』


気の進まない感応院でしたが、おさん婆さんの呼び出しなんで、飯をかっ込んで、おさん婆さんの家へと向かった。


感応「義母さん、札めくりの元手なら貸せませんよ!?」

おさん「そんな、乞食博打の話で、わざわざ貴方を夜中に呼んだりしないよ。今日は安く見積っても五千両、上手くすりゃぁ、一万両、いやいや三万両にも成ろうって儲け話だからねぇ。」

感応「やけに大きく出ましたね、義母さん。いやぁ、おさん婆さん。勘右衛門の無尽の件もあったから、話だけじゃ乗りませんよ、あっしは。」

おさん「まずは、この二つを見てくれよ。」


おさん婆さんは、娘サワが法澤に見られたくないとおさんに預けてあった『お墨付』と形見の短刀を、感応院に見せた。


其の方、懐妊に及び、候事覚えあり。即ち、我が子なれば、男子出生の折は、召し出されるべし。また、女児の折は、婚礼の祝いを用意するものなり。

元禄十五年八月二十四日 夜認     源六郎。


感応「これは、サワが源六郎様、つまりは、将軍吉宗公の実子、うちの法澤が御烙印だと言ってるのか?」

おさん「それなら、お前に相談なんてしないよ。御上に名乗り出て、法澤を将軍様の家来にしてもらうだけだからねぇ。」

感応院「じゃあ、俺に何がして欲しいんだ。」

おさん「サワが、源六郎様の子を生んだのは、確かなんだが、九ヶ月の早産で死産だった。源六郎様が、まさか、将軍様になるとは思わないから、

若公の死骸を、菩提寺の高蓮寺に埋葬して、和尚に方丈へ引導渡してくれと、仁助ドンに頼んでしまったんだ。

まずは、この高蓮寺の若公の死骸を取り戻して、誰にも分からねぇ様に処分して貰いたい。私が直接やると塩梅が悪いから、宜しく頼むよぉ。」

感応「分かった。高蓮寺の死骸を処分すれば良いんだなぁ、それから?」

おさん「法澤の事をサワが産んだ源六郎様の御烙印だと、紀州藩に訴え出て、法澤を召抱えて頂いて大名か旗本に取り立てて貰うのが最終目的なんだがぁ、

法澤の実の両親と言うのが居て、水戸藩浪人の藤井六之助と妻の梅と言うんだぁ。コレは、十五年前に法澤を私が取り上げた時に、えかく貧乏で、赤子一人育てられねぇと言う有様だった。

だから、もう死に絶えた可能性が高いのだが、これが生きていると厄介だから、何とかして消息を見極めた上で、紀州藩には訴え出たい。

それと、この話に、サワが最初から反対なんだ。お前は亭主として、先ずは、サワを説得して、その気にさせて欲しい。三万両の大仕事だから、頼んだでぇ、感応院!!」


えらいデカい話に、最初は戸惑っていた感応院も、次第に、おさん婆さんのペースに巻き込まれて、最後はその気になり、先ずはサワを説得に掛かった。

サワとしては、また、その話か?法澤は源六郎様の子ではなく、藤井六之助とお梅さんの間に産まれた子だからと、感応院の説得には、一切耳を貸さなかった。

感応院も、一度で簡単にサワが懐柔できるとは思えないので、長期戦を覚悟して、先ずは明日、高蓮寺の死骸の始末から掛かる事にして、その日は床に着いた。


烏カァーで夜が明けて、台所でサワがおまんまを炊いていると、いつも朝寝坊の法澤が起きてきて、いきなりこう切り出した。


法澤「母様(かかさま)、私には別に実の両親があると申す、父上の話は本当ですか?」

サワ「お前!昨夜、旦那様が喋っていたのを聞いたのかい?」

法澤「私を将軍様の御烙印とすり替えて大名にする話も、全て聞いてしまいました。」

サワ「お前!それを聞いてどうするつもりだい?」

法澤「兎に角、私がこの家に居ると、父上と祖母さんが悪事に走り、御烙印をでっち上げようとします。だから、一層私が家出してここから消えてしまえば、二人の悪い夢は無くなります。」

サワ「お前は、ここから家出して、どうするつもりだい?」

法澤「幸い私は施行ができます。仏の道を解きながら諸国を行脚して、実の両親探しをしとう御座います。」

サワ「分かりました、では、父上が起きて来る前に出発しなさい。母は確かに貴方の実の母ではありませんが、

乳を上げながら其方を育て、十五年、常に一緒に苦楽を共にして来ました。貴方が実の両親に逢いたい気持ちも分かります。辛い時は、この母を思い出して下さいねぇ。」


サワは、法澤にそう言葉を掛けて、持たせられる銭を渡して送り出した。二人の別れに涙は無く、同じ空の下生きていれば、又逢えると信じていた。



つづく