麹町から、久しぶりに鵜野九郎右衛門が、由井正雪の元を訪ねて来た。不傳が和田主水に殺されて、娘の小万を鎌倉に出家させた、あの時以来の再会だった。
九郎右衛門は、正雪が大病をして死の淵から蘇ると、やたら仏法に帰依し、やたらその方面、寺の修復などへの寄付・寄進が夥しく。
更に、張孔堂正雪、本人が座禅や問答など、仏法の修行に開眼なされて、自身が作る回向塚なども、夥しいと九郎右衛門の耳に入ったからだった。
九郎右衛門とは、一緒に師匠不傳を消して、その罪を和田主水に擦り付けた悪党仲間、そんな腐れ縁である。
万一、正雪が、今更、天下取りを止めるつもりか?そこら辺りの真意を確かめたくって、張孔堂を訪れたのだった。
九郎右衛門殿、信長公の時代に、剣で立身したが、秀吉公には武人としてでなく、文官、兵糧奉行として仕えた、岡部治部右衛門をご存知か?
馬鹿にするな!加賀の治部煮の発案者だろう?、知っておる。その岡部治部右衛門が、どうかしたのか?
そんなやり取りがあった後、正雪が九郎右衛門に、ゆっくりと噛んで含める様に聞かせた。
岡部治部右衛門が、信長軍に組する前、まだ諸国を浪浪としていた頃、伊賀で、京から東国・関東へと旅する僧侶と、かの治部右衛門は出会う。
治部右衛門は、尾張で大きな戦があると聞いて、召抱えられようと旅をしていた。一方その坊主は、京から東国への寄進の銭を集める旅の最中だった。
互いに、修行半分大望の或る体で、若き血潮が通う二人は、意気投合!良い道連れだった。そして、桑名で船に乗り三河、駿河へと進む僧侶を見送り、治部右衛門は陸路を尾張へと進んだ。
そして、十年の歳月が流れた。信長公に士官できた治部右衛門だったが、その主君が本能寺で明智光秀に討たれて、居を構えた岐阜は、安土城が焼落ちたとの知らせを受けて、城内も城下町もそれはそれは大混乱だった。
着の身着のまま治部右衛門は、秀吉公の軍に参加したいが。。。武器も甲冑も良い備えがない。取り敢えず、京へ上ろうと、桑名へ向かう。
すると、偶然とは恐ろしい。道中、あの出家と十年ぶりに再会する。天の引き合わせか?!と、互いに喜び、近況を語り合ううちに。。。僧侶はこの十年で、二百両のお布施を集めて、それを持って京への道中だと言う。
治部右衛門、一瞬、坊主を殺して奪うか?!とも思ったが。。。信長公は一向衆や比叡山を焼討ちにしたバチで、本能寺で殺されたんだとの専らの噂である。
また、ここで僧侶を殺し、その銭を奪ったりしたら、またまた、神仏の罰を受けるは必定!と、この時は治部右衛門、思い留まれり。
しかし。
桑名で船に乗ると事情が変わった。坊さんは無防備で。。。治部右衛門を疑うそぶりもない。つい、魔が差して。。。治部右衛門、坊主を抱えて大海へ沈めてしまった。
桑名船、鮫講釈でもお馴染み、桑名の海は鮫のメッカである、万に一つも、坊主は生きて丘へは戻るまい!と、治部右衛門、僧侶の荷物から二百両を盗む。
そのまま、治部右衛門、その銭で備えを手に入れて、秀吉公の軍に参戦。中国から大返しで疲弊した軍にあって、治部右衛門は一人元気!山崎の合戦では大いに手柄を上げて。。。あれよあれよの間に出世。
治部右衛門、今では兵糧奉行、二千石の重臣である。
しかし。
戦国の世は終わり、豊臣、徳川とおだやかな日々が続いたある夜。治部右衛門の枕元に、くだんの僧侶が現れて、聴こえる声で恨み節を言う。
治部右衛門、必死にそれを祓うが、なかなか、退散する気配なく、十日、枕元に現れた後に、忽然と姿を消すのだった。
然りとて、治部右衛門は高熱にうなされて、時々、意識も無くなる重い病で床に伏せってしまう。家臣は医者や祈祷師、占いの類を集め、治療したが、なかなか治る気配がない。
寿命か?と、身内、家臣が諦め欠けた、その時、救世主が現れます。京都は東山、西園寺の僧侶で心會(シンカイ)と申す者が、護摩を焚き経を上げると、薄紙を剥がす様に治部右衛門全快す。
元気に成った治部右衛門が驚いた!!その心會は誰あろう、治部右衛門が桑名の海に突き落とし、二百両を奪った、あの僧侶だったからだ。
貴方は、なぜ?!自分を殺そうとした奴の命を救うんですか?、と。問われた心會の答えが、またまた、凄い。
私は貴方に、確かに海へ突き落されたが、生まれながらに泳ぎは得意だし、二百両を悪い奴に奪われた!!と、
また再び関東へ赴き、「お布施を下さい!」と、各地を巡ると、同情の寄進が増えて、五年で三百両と成ったので、西園寺は益々栄えております。
損して得取れではありませんが、武芸者がよく申す、肉を斬らせて骨を断つ!!そんな、急がは回れの教えが仏法には有ります、と言う。
この後、治部右衛門は二千石の中から、毎年、半分を心會が望む形で寄進を続け、逆に心會は、治部右衛門に深海へと突き落されたればコソ、今の自分の境地がある!と、感謝し、二人は終生尊敬し合ったそうです。
正雪は、この治部右衛門の逸話は、まさに、仏法の根幹、真理なり!と、九郎右衛門に語った。
仏法は三世世界に願望を成就させたる者は、単に、過去において、ただただ、業を肯定しただけなのかもしれない。
また、一方で地獄に落ちるからと五戒を戒め、徳を積み善道すれば、極楽浄土へ行けると励ます。
たやすき事ではないとは思えど、仏法は、自然と人間社会が、善行を好み、悪行を憎むようになる道筋を付けるものである。よって、天下を狙う私は、仏法を極めたい。
つづく