夕刻七ツ。不傳を乗せた立派な駕篭が、まだ火の入らないブラ提灯を持った下男を先頭に、本多監物殿方へと進む。少し遅れて駕籠を付けて行くのは九郎右衛門だった。
駕籠が、四ツ小路地蔵坂を過ぎた時に、九郎右衛門は、藪の中に槍を抱えた主水を見付ける。それに近づいて、不傳先生が帰り、この坂を再び通るのは四ツになる。
あのブラ提灯が目印になるから、よく覚えておけと教えて、九郎右衛門は楠道場へと戻って行った。そして、九郎右衛門から主水が四ツ小路地蔵坂の藪に潜んでいると知らせを受けた民部之助。
五ツの鐘を聴きながら、地蔵坂とは反対から藪の中へと忍び込み、主水が駕籠を襲うのを背後に隠れてジッと待った。
四ツの鐘が鳴り、犬の遠吠えが聞こえて来る地蔵坂。下男を先頭に、不傳を乗せた駕籠が坂を通ろうとしたその時!!
藪の中から黒装束に黒いほっ被りの男が飛び出し『天誅!!』と叫んで駕籠に槍を突き刺した。驚いたのは、提灯と駕籠カキの下男三人。
大声で『人殺し!泥棒!』と、叫びながら、闇の中を道場の方へ駆けて行った。
主水は、素早く槍を引き、二の突き!三の突き!十分な手ごたえを感じたので、箱のタレを開けると、血塗れで事切れた不傳が、目を開いたまんま天を睨んでいた。
不傳が絶命した安堵からか、空の月を見る余裕が生まれた主水。
そして、月あかりを利用して、九郎右衛門に言われた、盗っ人の偽装工作に掛かろうと、しゃがんで駕籠に顔を突っ込んだ、次の瞬間、背後に気配を感じた!!
「先生の仇!!覚悟ぉーーー!」
駕籠に突っ込んだ半身を起こした主水を、背後から袈裟懸けに斬り掛かる民部之助!主水に、悲鳴を発す間も与えず、國光は、それを真っ二つにした。
先生!大丈夫ですかぁ〜
遠くから下男に呼ばれて、寄宿舎の門弟たちが駆けて来た。絶命した駕籠の不傳に驚き、更に、その不傳を襲った相手が、主水と知って二度驚いた。
二人の亡骸は、道場へと運ばれて番屋へ届けると、明け六ツには、町役人と同心・与力が検死に現れた。
事件自身は、至って単純で、主水が突然、師匠であり父と慕う不傳の駕籠を槍で襲い、そこへたまたま通り掛かった、正雪が賊と思い込み、不傳を助けようと之を斬り殺す。
検死は、一刻も掛からず終わり、その日は、ふたりの通夜となった。しかし、集まった楠道場の門弟一同は、実に複雑な気持ちだった。
主水は、主殺しの大罪を犯し、師匠でもある不傳が殺されたのだから。犯人が主水で無ければ、民部之助は、師匠の仇を討った功労者として、祭り上げられていたものを、アッパレ!と、褒める門弟は少ない。
昼を過ぎて、楠道場の重鎮が顔を揃えた。本家当主・楠正右衛門、不傳の甥で主水の兄和田将監、最長老の門弟松宮藤左衛門の三人と、暗殺の夜茶会に不傳を呼んだ、本多監物の四人である。
重苦しい空気の中、将監が口火を切った。
将監「舎弟が、取り返しのつかぬ大罪を犯したと言うのに、私の口から、道場の行末を語るのは、憚られるのは重々承知仕るのだが、
不傳先生には、男子の後継が無く、道場を継ぐに相応しい実子がござらん。そこで、門弟の数は三千八百を超えるこの道場を、どなたが継ぐべきか?
私は、血縁でもある楠家本家当主の正右衛門殿こそが相応しく、不詳私めも、道場運営には、血縁として剛力したい!!」
明らかに、正右衛門には兼ねてより欲しがっていた楠家の三家宝を与えて、道場は和田将監が牛耳る魂胆、見え見えの提案だった。
すると、ここで意外にも、九郎右衛門が若輩ながら、申し述べたき義コレ有り!と、口を開き意見を述べ始めた。
「この楠道場が、なぜ、四千人近い門弟を抱えていられるか?お二人はご存知ですか?」
将監も、正右衛門も、それは門弟からの月謝があるからであろう?!と答えたが、実は『否!』なのである。続けて、九郎右衛門が語った。
「この道場は、確かに半数の二千人は、月謝を払う事のできる裕福な大名、旗本の子息ですが、残りの半数や、下男・下女も、道場運営に必要な輩ですから、これらを食わせ養う糧が必要です。
これを、当道場は、主宰である不傳先生と、若先生と呼ばれている由井民部之助正雪殿の、教えの対価として、門弟のご実家である大名・旗本たちが、合力米と称する寄進を、この道場になさるから、運営が成り立っているんです。
私は、剣術槍術、弓道馬術など武芸はからっきしダメで、兵法など学問もイマイチですが、唯一ソロバンが得意なんで、道場では、先生から道場の金庫番をさせて頂いておりましたが、
この諸侯からの道場への寄進!お幾らだと思われますか?なんと!!十二万石にも及ぶんですよ。正右衛門様、貴方に、十二万石が都合できますか?
私は、この道場を存続させるなら、民部之助殿を二代道場主として、上級門弟による合議制の、幕府で申すなら、老中職のような組織で、この道場を運営すべし!と、考えます。」
九郎右衛門からの意見は、実に大胆なもので衝撃的ではあったが、上級門弟たちが、直ぐに首を縦には振らなかった。そう、どんなに正雪が優秀で金集めが得意でも、余所者!外様!血筋外!だからである。
この通夜、翌日の葬儀でも、まだ、大勢は決しない。そんな中、小万の身の処し方だけが、粛々と決められた。
実の父を殺されて、天涯孤独になり、しかも、殺した相手が憎からぬ関係の許嫁だったのだ。心は厭世的になり、気鬱からのブラブラ病。
流石の正雪も、この小万を九郎右衛門の妻にはできなんだ。仕方なく写経などをして、少し鬱が取れると、小万は尼となり父と許婚の供養をしながら、生涯を過ごす決心をして、鎌倉へと乳母に連れられ旅立った。
これには、九郎右衛門も納得ずくで、小万の事は心底諦めて、楠道場の行末、つまりは正雪を中心に、これをもっと発展させる事へ全神経を集中させるのだった。
そして、不傳の四十九日を迎えた日に、楠道場の上級門弟、及び、長老たちから飛んでもない提案が出された。それは。。。。。
まず、舌戦討論を、門弟の中から推薦された五百三十七人と、正雪が舌戦し相手が参りました!と、言うまで討論を尽くす。
そして、もう一つは、門弟から選ばれし百二十名と剣術、槍術、または馬弓術の相手が望むどれかで腕比べし、全員を打ち負かす。
この二つを三年二ヶ月続けて、ようやく、由井民部之助正雪は、楠道場の二代道場主となったのでした。
それを見届けた九郎右衛門は、正雪が引き止めるのを聞かず、暇乞いをして、餞別の千両を元手に、麹町で万問屋を始めるのでした。
そして、遂に、由井民部之助正雪は、自身の城とも呼べる立派な道場を手に入れて、楠道場と呼ばれていたこの道場の名前を『張孔堂』と改めます。
その年の正月、主だった門弟を道場に集めて、床の間に、楠木正成の肖像を飾り、それ以外の三方には、諸葛亮孔明、孫子、そして秦の軍師張良の三福を掛けたと言われております。
つづく