にぎわい座の主催の会は、年に二回で「こはるの夏休み/冬休み」として開催され、それ以外に「こはるパラダイス」が年に四回。
つまり、横浜にぎわい座・のげシャーレでは、隔月立川こはる独演会が開催されています。更に、今年からこはる・ぴっかり☆二人会も、地下ではなく三階の芸能ホールで年二回開催されるらしい。
そんな、横浜にぎわい座布目館長から、大変贔屓にされている、立川こはるさんの独演会!こんな感じになりました。
1.湯屋番/談洲
談笑一門の三番弟子で、もうすぐ二つ目になる談洲さん。90年代のイケメンって感じの様子とこはるさんが言うのが頷ける顔をしています。
さて、根多は、『湯屋番』。番台の若旦那の妄想を中心に十五分やりましたが、彼の個性は存分に発揮されたした。
好き・嫌いは別にして。妄想に登場する妾が、オカマっぽい色気で、私はやや気持ち悪い!!苦手です。
2.欧州凱旋記
ドイツ人のクララさんが毎年企画されている欧州落語公演。今年は、こはるさんと市馬師匠の四番弟子・柳亭市童さんの二人で、ドイツ・ベルリンとポーランドのヴロツワフの二都市での一週間公演の旅だったらしい。
こはるさんは、5〜6年前にも春風亭一之輔師匠と二人で欧州公演を経験しているが、市童さんの方は、初めての海外公演だったらしい。
また、演目は、字幕を作る関係で、マクラや落語の解説導入部分も、全て固定で、全くアドリブや即興のハメ事は許されない。
そんな環境で、こはるさんは『船徳』、そして市童さんは『狸札』を演目に選んで、五月から字幕の準備が始まるのである。
こはるさん曰く、一之輔師匠との公演の時は、全て、一之輔師匠が前面に出てお膳立てをしてくれて、こはるさん自身は、自分がやる落語、その時は『風呂敷』だったそうですが、
その根多だけに集中すれば良かったのに、今回の公演は、その一之輔師匠の役を、こはるさんが務める公演だったから、準備も大変で、当日のプレッシャーも大きかったらしい。
この字幕公演は、まず、日本語のマクラ/落語の所作解説、そして本編の落語を全て英語に起こします。
それを、日本の在留外国人の皆さんを集めて、英語字幕の添削・校正の落語会を開いて、修正作業が入ります。今年は、高円寺で開催したと、こはるさんは言っておられました。
更に、欧州公演経費調達の為に、こはる・市童それぞれの落語会などで手拭いを販売し、壮行会が開催されます。今年は、なかの小劇場で開催されました。
更に、欧州公演が終わると、スライドショー付きの凱旋公演が行われます。今年は渋谷のユーロスペースで開催されました。
欧州壮行会・凱旋公演共に、大入り満員の大盛況だったそうです。
さて、いきなり、ベルリンの時代の付いたホテルにチェックインして、昔ながらの欧州式の古式ゆかしいホテルの鍵に苦戦したと言うこはるさん。
所謂、ドアノブが回転しないアナログ式のからくり仕掛け・閂(カンヌキ)の鍵が、上手く開けられなかったと言うのである。
最初は開けるのに、五分掛かっていた鍵が、ようやく一発で開けられるようになったら、日本に帰る直前だったと言う。
また、ベルリンでの公演は、フンボルト大学の日本の早稲田大学で演劇を三年学んだと言う日本語の堪能な教授の主催だったそうで、森鴎外記念館の館長なんだそうです。
そのフンボルト大学には、森鴎外の記念館があり、元々は寄宿舎だった建物で、鴎外が住んでいた当時のまま残っているそうです。
鴎外はフンボルト大学で軍医の卵として、衛生学を学んでいたらしいが、展示されている、森鴎外の手紙や、日記を読んでみると、
森鴎外と言う人は、かなり女遊びが派手で、ベルリンの「浅草田圃の向こう側にあるような、いかがわしい街に」毎夜毎夜出掛けていたらしい。
それを、一緒に留学していた学友が、明治政府や軍に告げ口している手紙や、告げ口された鴎外自身が、日記にその一部始終を書き残していて、
こはるさんが見た、記念館の密告文には、「悪漢淫婦の巣窟にて、森鴎外は毎夜、売女に耽っている!」と書かれていたらしい。悪漢淫婦の巣窟という表現は、なかなかできませんよね。
それだけでなく、地元のカトリックの嫁入り前の生娘にも手を出して、刃傷沙汰にこそならなかったが、帝国陸軍の恥さらし!と、風紀の乱れ極まれり!と、告げ口されていたらしい。
そんな日記や手紙をまんま展示する記念も珍しいですよね、森鴎外記念館!!森鴎外の子孫に教えてやりたいですよ、もしかすると、ベルリンにも親戚が居るかもしれません!と。
因みに、森鴎外の衛生学の研究論文なども、勿論、展示されていて『麦酒の利尿作用について』と言う論文があったそうです。
落語会の会場も、フンボルト大学内の解剖博物館で開催されたそうです。映画『世にも怪奇な物語』で、アラン・ドロンが医学生役で解剖するシーンで、
石作りの階段の円形の教室で、360°、学生が中央の解剖台での様子を観ながら授業を受ける。百年以上昔の建物が、当時のまんま残っているらしい。
それと同じ建物の中の、教室を字幕スライドがバックに写し出せるセッティングにして、観客を百人以上入れての落語会だったそうです。
そうそう、場所が解剖博物館だから、色んな生物の解剖図が展示されていて、クラゲや鳩などに混ざって「シャコ/蝦蛄」の解剖図が有ったそうです。
それを興味深そうに見ていたら、フンボルト大学の学生スタッフが、なぜ、こんな物をそんなに熱心に観るんだ!と言うから、
「日本人は、寿司のネタとして食べるんだ!」と言った瞬間、ドイツ人学生に、「ゲテモノ食い!悪食!」と囃子立てられ、
一瞬にして、ドン引きされて軽蔑されたそうです。また、なぜか?市童さんからも、ドイツ人学生同様に引かれたそうです。
その光景を見た、くだんの館長からまでも、日本語で、「こはるさん!貴方は、なかなかのゲテモノ好きですねぇ?!」と言われたらしい。
ただ、シャコを、日本人は、普通に食べるし、中国・東南アジアでも、シャコは大好きで、皆んな食べる。
そして、欧州人も、ちゃんとしたレストランでなら、食べている人も居る。確かに少数派ではあるけど。
因みに、そのシャコ解剖図は、ポスターになっていて予備があると言うから、こはるさんは記念に土産として、貰って帰ったらしいです。
あとは、落語会の後、質疑応答を三十分くらいやるそうですが?質問が日本の学校公演とかと類似していて、ビックリしたそうです。
女流は何人くらいですか?や、新作落語はやらないんですか?とか、聞かれたそうです。
そんなドイツ・ベルリンから、こはるさん曰く、世田谷線みたいな、二両編成の電車に揺られて四時間行くと、そこは、ポーランド・ヴロツワフの街だった。
こちらは、ポーランドの親日会で、『波』と言う団体があり、その『波』が主催で、何とかという有名な劇場を貸し切りで、落語会をやるらしいのです。
一之輔師匠とポーランドへ来た際も、同じ劇場で、同じく『波』主催だったそうです。なぜ、波なのかと言うと、波蘭でポーランドと言う漢字らしい。
この会は、落語だけの模様しではなく、日舞や寄席文字、盆栽・生花、着物の着付けなどなど、沢山のブースがあり、ワークショップしながら文化に触れ合うイベントだったそうです。
だから、こはるさん達も扇子と手拭いで、仕草を教えたり、小咄を教えたりしたそうです。ポーランド小咄は、なかなか、ブラックジョークで差別的だと言ってました。
日本の小咄で、学校にひよこが大きくなったから寄付したら、先生たちから、美味しかった!と、感謝状が来たヤツみたいなのが、あるらしい。
そうそう、最後にポーランドの打ち上げで、ズブロッカが出たけど、こはるさんは市童さんに任せて逃げたそうです。
3.寄合酒
オマケでやりました。十分弱。与太郎の味噌の前に、一番手がドーンと味噌を持って来る、しかも、家に有った設定、珍しい入りだ。
下げも変わっていた、最後は、風呂敷を持ってブラブラしていた野郎が、押入に若い男を隠した女将さんの家から、酔っ払って押入れの前に座り込んでいる旦那に風呂敷を掛けて逃してやる。
助けられた若い男が、何かお礼に。。。と言うから、この人も食べましょうか?と、ブラックジョークで下げへ。
4.茶の湯
立川流の、談志の孫弟子会のメンバーを集めて六月に句会を開いた話をマクラで話しました。飲み会を単にやっても芸がないからと、
寸志さん、吉笑さん、笑二さん、そして前座の談洲さんとこはるさん、更にあと二人くらいメンバーが居たらしいが、六月の季語・短夜と青田で二句持ち寄って、誰のか分からない状態で、天・地・人・駄を付けたそうです。
結果、兄弟子が不機嫌になり、人間関係を壊す危険性があるから、参加メンバーに利害関係が無い方が、句会は良いようですね。
そんなマクラから本編の『茶の湯』へ。全体で、三十分くらいで、尺としては良い感じで、三軒長屋の連中も端おらず、まずまず、何だがやはり、尻窄みな笑いになりました。
この噺は、本当に難しいと思います。楽しくやれていて、定吉は、それなりに可愛いんだけどね。三軒長屋を地獄に落とす張本人なんだけど、そこで噺の終盤では、登場しなくなります。
次回は、11月です、こはるパラダイス!!