落語においてそのキーとなる登場人物を、どう演じるか?
これは、非常に大切なポイントであり、これができないと、
落語全体が台無しになります。
そういう意味で、柏木の圓生が『帯久』を演じるに当たって、
非常に興味深い発言をしています。
この『帯久』という噺は、帯屋久七を演じるのは、あるレベルの咄家ならできるけど、
呉服屋の和泉屋与兵衛は、なかなか、できる真打でないと表現できないと言うのです。
つまり、個性豊かな人物は、割りと簡単だが、特徴のない普通の人は、
なかなか演じるのが難しいと言うのです。普通の人を普通に演じる難しさです。
あと、私がよく思うのは、『明烏』の源兵衛と多助です。
この二人は、同じような町内の札付きであっても、
主人公、日本橋田所町三丁目日向屋の倅・時次郎に対する態度が、
明らかに違うので、上手に演じ分け見せる必要があります。
でも、現役の咄家で、この 源兵衛と多助が上手に区別できるように演じれるのは、
本当に数えるくらいのもんだと思います。
他方、特定の人物が創れないと、その噺が成立しない噺があります。
たとえば、『居残り佐平次』は、佐平次ができないとやる価値がありません。
佐平次をイメージできて、それを表現できれば演じ手なりの『居残り佐平次』が完成しますが、
誰かがやっている佐平次を真似てみても、この噺は成立しないのです。
喬太郎がいいますね、佐平次のイメージは“無責任男の植木等”だと。
現代でいうと高田純次が、最も近い感じですかねぇ。
同じく、上方の根多だと『どうらんの幸助』が、そうですよね、
これもあの趣味=喧嘩の仲裁みたいな幸助の人物造形に掛かっています。
さて、人物造形が上手ければ、落語が上手くできるか?
これは、なかなか難しい問題です。つまり、人物造形は必要条件ですが、
必要十分条件ではないことを理解しないと、とんでもない事になります。
たとえば、『らくだ』くらいの人数、複数のキーマンが出る噺は、
確かに人物造形ができてこそ、ストーリーが立体的になりまよね。
でも、あまりにリアルにやり過ぎると、芝居のような『らくだ』となり、
それはもはや落語ではない、別の芸に成ってしまいます。
ここの加減が実にどうも、難しいのでゲスよ。
最後に、咄家には、この人物造形で2タイプがあります。
1つは、六代目圓生のように、人物を独自に考えてイメージし自ら作るタイプと、
もう一つのタイプは、それ以外の咄家の多くがそうであるように、
自分の個性にマッチする人物が登場する噺を抽出してやる咄家です。
そして、中に例外が居ます。そう!噺の人物を自分色に染めるタイプです。
この代表は、枝雀さんなのではないでしょうか?
これは、非常に大切なポイントであり、これができないと、
落語全体が台無しになります。
そういう意味で、柏木の圓生が『帯久』を演じるに当たって、
非常に興味深い発言をしています。
この『帯久』という噺は、帯屋久七を演じるのは、あるレベルの咄家ならできるけど、
呉服屋の和泉屋与兵衛は、なかなか、できる真打でないと表現できないと言うのです。
つまり、個性豊かな人物は、割りと簡単だが、特徴のない普通の人は、
なかなか演じるのが難しいと言うのです。普通の人を普通に演じる難しさです。
あと、私がよく思うのは、『明烏』の源兵衛と多助です。
この二人は、同じような町内の札付きであっても、
主人公、日本橋田所町三丁目日向屋の倅・時次郎に対する態度が、
明らかに違うので、上手に演じ分け見せる必要があります。
でも、現役の咄家で、この 源兵衛と多助が上手に区別できるように演じれるのは、
本当に数えるくらいのもんだと思います。
他方、特定の人物が創れないと、その噺が成立しない噺があります。
たとえば、『居残り佐平次』は、佐平次ができないとやる価値がありません。
佐平次をイメージできて、それを表現できれば演じ手なりの『居残り佐平次』が完成しますが、
誰かがやっている佐平次を真似てみても、この噺は成立しないのです。
喬太郎がいいますね、佐平次のイメージは“無責任男の植木等”だと。
現代でいうと高田純次が、最も近い感じですかねぇ。
同じく、上方の根多だと『どうらんの幸助』が、そうですよね、
これもあの趣味=喧嘩の仲裁みたいな幸助の人物造形に掛かっています。
さて、人物造形が上手ければ、落語が上手くできるか?
これは、なかなか難しい問題です。つまり、人物造形は必要条件ですが、
必要十分条件ではないことを理解しないと、とんでもない事になります。
たとえば、『らくだ』くらいの人数、複数のキーマンが出る噺は、
確かに人物造形ができてこそ、ストーリーが立体的になりまよね。
でも、あまりにリアルにやり過ぎると、芝居のような『らくだ』となり、
それはもはや落語ではない、別の芸に成ってしまいます。
ここの加減が実にどうも、難しいのでゲスよ。
最後に、咄家には、この人物造形で2タイプがあります。
1つは、六代目圓生のように、人物を独自に考えてイメージし自ら作るタイプと、
もう一つのタイプは、それ以外の咄家の多くがそうであるように、
自分の個性にマッチする人物が登場する噺を抽出してやる咄家です。
そして、中に例外が居ます。そう!噺の人物を自分色に染めるタイプです。
この代表は、枝雀さんなのではないでしょうか?