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年に一度の横浜にぎわい座で小三治独演会、勿論、超満員!!
いつもの桟敷席で、缶ビールを飲みながら小三治の登場を待ちました。
そして会は、こんな演目でした。
(誰が書いたのか?にぎわい座にも、ちゃんと書ける人居るジャン!と思った)

 

 

 

 

 

1.道灌/三之助
この日のファインプレーは、この三之助です。
彼が『道灌』をやってくれたおかげで、この後の小三治師匠がインスパイアされました。
三之助!! よくぞ『道灌』をやった。でかした!!と後から思いました。
ちなみに、『道灌』のデキ自身は、優・良・可・不可で言うとギリギリ「良」です。

 

 

 

2.野ざらし/小三治
いきなり高座に上がると、『道灌』について語り出す、小三治師匠。
「『道灌』というのは、柳家は咄家になって最初に師匠からおそわる噺でね。
私もそうでした。師匠の小さんから稽古を付けてもらいました。
『道灌』なんて噺が、小さんがやるとおかしいんです、笑いを堪えるのに必死でした」
と、思い出を語る小三治師、目が遠い彼方を見ているようでした。

これを聞いて私は、全く同じ事を言っていた奴を思い出しました。
それは志らくです。志らくが入門して、家元から最初に稽古を付けてもらったのも『道灌』
勿論、同じ柳家ですから『道灌』なんですよ立川流も。で、志らくも談志の『道灌』が、
おかしくて、おかしくてたまらなかったそうです。声に出して笑うわけにもいかず、
覚えるなんて前に、笑うのを堪えるので精一杯だったと言っておりました。
この日の小三治師匠も、同じことを言ってましたネ、小さん師匠の『道灌』。

小三治師匠が二つ目に昇進したばかりのある日、寄席で『道灌』を掛けて、
高座を下りて袖に下がった時、小さん師匠がすれちがいざまに、
「お前の『道灌』、ご隠居さんと八公が仲よさそうじゃねぇーなぁ」
と、言ったそうです。

これを聞いた小三治師匠、考えたそうですよ、そして悩んだそうです。
「こんちは、ご隠居さん」「誰だい、おや八っぁんじゃないか、まぁまぁお上がり」
「ごちそうさんです!」「何が?」「だって、ご隠居、今、まんまお上がりって…」
「違うよ、まぁまぁお上がりって言ったんだよ」「なんだ、まぁまぁですか・・・(泣く)」
「そんな泣くこたぁないだろう、お茶を入れてやろう、何だナァ八っぁん、
私とお前さんは何だ、合縁奇縁というのか、私はお前さんが大好きだ
日に一度、お前さんの顔を見ないと、落ち着かないよ」
「あっ!ご隠居もですかぁ、あっしも日に一度あんたの顔を見ないと…」
「落ち着かないかい?」「いや、通じが付かない」
このやり取りが、言葉では“合縁奇縁”と言いながら、
小さん師匠には、仲が良さそうには見えないと言うのです。

小三治師匠、相当悩んだんだと思います。
いろいろ試して、どんな距離感で会話をすると、
ご隠居と八五郎が仲良く見えるのか?を徹底的に研究したそうです。
そして、二つ目から真打に昇進する直前のある日、鈴本の浅い出番で、
『道灌』をやったら、前から二列目の客が「ヨッ!日本一」と掛け声を飛ばしてくれて、
高座を下りる時に、御簾の影から下座のお姉さんが「あんたの『道灌』が一番面白いよ」
と、しみじみ言ってくれたそうです。
この時に、何となく師匠に言われた言葉が気になって、
長年努力した甲斐が有ったと、その時心から思ったと語る小三治師匠の顔が、
実に福々しくてね、いい顔していました。
そんな事が有ってから、今でも
「アレ?アレ?何かこの噺変だぞ、上手くここんとこができねぇーなぁー」
と、思ったら『道灌』をやってみるんだそうです。
『道灌』をやると、間と息が掴めて、自然に良くなるんだそうです。

そんな話から、二つ目から真打に自身が昇進する際の想い出話へ。
目白の小さん師匠は、圓生師匠とは真逆で、自ら弟子を「真打に」と推薦しなかったそうです。
どんなに周囲から「師匠の口から真打にしてやれよ」と、言われても、「みっともない」と断ったそうです。
ここで、兄弟子・小ゑん(後の立川談志)について、語り出す小三治師匠。
小ゑん兄さんは、当時の真打よりも噺は上手かったし、受けていた。
でも、あんな人だから協会幹部や席亭からは「真打に」って声が掛からない。
それでも、本人が「俺は別に肩書きで落語はしねぇーんだ!」と、
カッコ良くスーパー二つ目で居るなら、尊敬もされるんだが、
本人が人一倍、肩書き好きで、これにこだわるもんだから、更に推薦は遠のく。
まぁねぇ、議員に成ったくらいで、勲章だって欲しいと弟子には言っていたそうだ。

そんなある日、圓生師匠一人の推薦で、五代目の圓楽が真打になる。
志ん朝に抜かれて間もない時だったので、これにはかなり小ゑん兄さん焦った。
目白の師匠を捕まえて、「圓楽ごときが推薦されるんなら、俺を推薦しろ!」
と、直談判したが、「みっともねぇ、それにお前はダメだ」「なんで?」「人間が悪い」
このやりとりを、まださん治だった小三治師匠は、「そんなに人間は悪くないぞ」と、
小ゑん兄さんに少し同情したそうです。
尚、さん治から小三治に成り真打に昇進する時も、小さん師匠は推薦しなかったそうです。
お席亭の後押しと、会長だった圓生師匠の推薦で成ってますからねぇ。
ちなみに、小三治、扇橋、圓窓の三人しか圓生会長は真打と認めなかった。
この想い出を語りながら、今回の抜擢での3人の真打に、エールを贈っているようでした。
 

ここら辺りで、小三治師匠「今日は、本題に入れるかなぁー」と、マクラで終わるかも?を匂わせる。
そのくらい『道灌』で、スイッチが入った小三治は饒舌にまだ語り続けるのでした。

噺は、ガラリと変わって、あるファンから手紙を貰った話をしました。
そのファンは、所謂、小三治師匠のオッカケです。独演会から独演会へと、
なんと!鹿児島まで追っかけて行くのだそうです。流石、追っかけ。
それで、小三治師匠が言うには、草加→平塚→鹿児島を、1ヶ月で追いかけたら、
三公演共に、演目が同じだったというクレームが手紙には書かれていたそうです。
なんでも、『一眼国』と『厩火事』が3回続いたそうですが、追っかけなんだからねぇ。
そんな1ヶ月に三回独演会に行ったそうなりますよね。
まだ、小三治師匠はマクラを変えるけど、
志の輔なんてマクラも同じですよね、せいこさん!!

小三治師匠は、毎回、同じ話でも登場人物に心入れるのは一期一会だと言います。
その通り!! 「バスガールじゃないんだから、毎回新作の気分なんですよ」と言う小三治師。
年間約200回くらい独演会&一門会をやっているそうで、「やり過ぎですかね」
そんな事を気にしてましたが、やり過ぎなんて事はなく、根多が被るのは仕方ないと思います。
そんなの覚悟で、追いかけろ!!と、私はいいたいです。
ちなみに、私は桃月庵白酒の『笠碁』を5回、今年聴きましたが、それでも追いかけ続けます。

マクラは、終わる気配もなく、次に、北関東の落語会の帰りにうどんを食べた話へ。
なんでも、けっこう田舎の山奥で、ロッジ風のうどん屋を発見し、
小三治師匠、マネージャーと下座の太田そのさんの三人でうどんを食べたそうです。
テーブルに付いて、うどんが来るのを待っていたら、マネージャーとそのさんが、
二人でヒソヒソ話をしながらスマホをいじり出したそうです。
何だ女同士で、俺はのけ者かよ!と思っていたら、突然、小三治師匠の携帯にメールが…

『エッ?!斜め前に座っているマネージャーからじゃないの???』

携帯の画面をマネージャーに見せて「間違えて、俺にメールが届いたぞ」と師匠が言うと、
マネージャーが小声で、「とにかく、メール読んでください」と言うので、メールを読んでみると、
“師匠の横のテーブル、石川遼が座っています”と書かれていた。ビックリした小三治師匠。
隣のテープルを横目で見ると、確かに真っ黒に日焼けした似合わない髪形の石川遼が、
噂のフィアンセを隣に座らせて、対面には母親らしき人物と3人で居たそうです。

そして、結構聞こえるような大声で、三人は結婚式の日取りや披露宴に呼ぶ人や、
引出物をどんなものにするのか?なんて事を、くだけた感じで喋っていたそうです。
当然、遼くんの嫁が気になる小三治師匠、何度も横目で様子を伺ったそうですが、
“なぜ? こんなのと結婚するの? もっと、いいのは居なかったの?”が感想だったそうです。

やがて、三人は小三治師匠より先に店を出たので、店の人に
「今の! 石川遼ですよね?」と、訊ねると、多分そうだと思うが、今日初めて来たんだそうです。
そして、その店の人から「向こうもお母様が、『隣に小三治が居る!』って、
師匠の写メを何枚か撮っていましたよ」と言われたそうです。
まぁねぇ、双方有名人なので、そんな事もあるんですねぇー

ここから、ゴルフの話になり、趣味に釣りがありますが、私はやりません。
そういつもの『野ざらし』のマクラへと入って、十分温まった状態で『野ざらし』をやりました。
これがまた、良かった。凄く力が抜けていて、八五郎と隣の先生の仲も良く、
向島の土手では、軽い感じで陽気に歌う八五郎!! 今年一番の落語でしたね。
マクラも含めて、近年最高の小三治を聴いたのかもしれません。
こんな高座を見せられるから、鹿児島までも追いかけるファンが出るのだと思います。
小三治師匠!! 200回の独演会&一門会は続けてください、お願いします。
 

 

 


3.甲府い/小三治
流石に、マクラ抜きでいきなり入りました『甲府い』へ。
残念な事に、アホたれが携帯電話を2回鳴らしました。
小三治師匠は、無視して落語を続けましたが、
どうしても、声が無駄に大きくなり、音を掻き消そうと頑張ります。
本当に、この2人の携帯電話を鳴らす奴が居なかったら、
最高の会になっていたに違いないと思いました。
にぎわい座10年の歴史に残る、小三治独演会だったのに