落語には、所謂、地噺と呼ばれるものがあります。
落語は、基本、会話で物語を進めるものですが、
会話ではなく、“ト書き”のような説明口調で物語を進め、
時折会話を入れながら展開する噺を地噺といいます。

薮さんが、六代目圓生を取り上げていらしゃって、
そこへのコメントでも書きましたが、この地噺のト書き読み、
六代目圓生は、本当に天才だと思います。
勿論、人物描写、会話、音曲、何をとっても天才なんだろうけど、
地噺だと感じさせない、ト書き読みの技が圓生にはあると思うのです。

ここが、私が思う立川談志と、柏木の圓生の大きな違いです。
談志師匠のは、ト書きで御座います、The 地噺みたいな落語です。
それが悪いとは申しません、逆にそれが正統な様式なんだと思います。
勿論、談志ワールド全開の『源平盛衰記』などは、談志にしかできない地噺です。
あんなに気持ちいいリズムの地噺があるのか?!と、驚きます。
ただ、それでも聴き手の気持ちという面では、圓生に私は軍配を上げます。

一方、現役の咄家ではどうでしょう?
地噺、ト書き読みで思い浮かぶのは、春風亭小朝と立川談春です。
柳亭市馬の地噺も悪くないのですが、歌が入って… それはそれでいいのだが。
あと、鶴光師匠も時々やりますね、地噺。『紀州』とか聴いたことがあります。
ただ、入れてくるクスグリが、琴線に触れないのです。語り上手なのにと思います。
最後に、論外なのが二代・三平です。なぜ、地噺をやるの?と思います。
小朝師匠が教えるんでしょうね、『荒茶』とかやります。
間合いというか、ブレスの位置が変なんですよね。
自分の呼吸のタイミングで切る感じがします。
そして、言葉の意味を考えずに、教えられたクスグリを入れて来ます。
基本、噺家に向いてないと思います。(浅草の客は笑うんだよなぁー)
七代目林家正蔵、初代三平の地噺&爆笑王路線を踏襲したい!と思っているのだろうか?

 

 

地噺で、これを聴くとその咄家の地噺達者度が分かるように思うのが 『たがや』
 


・小朝
・たい平
・小せん
・談春
・一朝
・才紫

 

以上、6人の『たがや』を過去5年間に聴いています。 
まず、一朝師匠のは稲荷町の正蔵、そして柳朝の流を感じさせる『たがや』なのに、
同門の小朝師匠のは、志ん朝師匠に近い『たがや』です。
前者は、いなせで切れているのに対して、後者は粋で艶やかです。
たい平くんのも、稲荷町というより志ん朝ですね。
次に、談春のは、談志イズムを感じる立体的な地噺です。
舞台である両国橋を、実に立体的に3Dで表現します。
映画を観ているような『たがや』ですネ。
先の一朝、小朝、たい平は、武士やだがや、町人目線で見ている感じなのですが、
談春のは、客観的に見えている世界が広がります。

尚、小せん、才紫の二人は、色を感じるレベルにまだ到達していませんね。
私が鈍感で印象に残っていないのかもしれませんが…