今年は各月で、夜だけ公演の「志の輔onにぎわい座」です。
志の輔にとっては、ホームグランドと呼んでいい場所で、
幾分、他の会よりは、リラックスした内容でいつも行われます。
そして、激戦のチケット争奪戦を勝ち抜いた400人が集う会です。
「志の輔onにぎわい座」、この日はこんな内容でした。

1.かぼちゃ屋/志の彦
志の輔の弟子上3人は、二つ目に昇進しましたが、
4番~6番弟子、志のぽん/志の彦/志の太郎は、
前座芸から抜け出せそうな気配がありません。
この日のかぼちゃ屋も、与太郎が演じていくうちに、
与太郎らしさが薄くなるのでした。
3番弟子の志の春は、サラリーマンを辞めて入門しましたが、
年季を重ねて度胸が付くと、咄家らしくなり二つ目に昇進しました。
上の二人、志の吉・志の八よりも、頭は良いし噺を覚えるのも早い。
流石、エール大学を出て、三井物産で三年働いたのは伊達じゃない。
志の彦くん!秀吉の草履の故事みたいに師匠に接していると言ってましたが、
志の春は、Macでハンバーガーを買い間違えて、師匠から破門!と言われていました。
非常に細かい志の輔師匠に気に入られるのも大切ですが、
その前に落語が上手になりましょう。それが一番の師匠孝行です。
2.大名房五郎/志の輔
梅雨の季節に志の輔がやる演目です。今日辺りやるのでは?と予想していました。
宇野先生の作品で、六代目圓生の為の演目です。
おそらく『江戸の夢』同様に、圓生のご家族の了解を貰って、
志の輔は掛けているのだと思います。
さて、今回の『大名房五郎』の前に、北海道からの公演帰りだとマクラを振りました。
北海道は梅雨がないので、6月に公演することにしているのにl、
よく雨に当たると言う志の輔。梅雨がない北海道なのになぜ?と言うと、
北海道の主催者が、「志の輔さん!梅雨はありませんが、北海道だって雨は降りますヨ」
これを聞いて思い出したのが、声がいいのと、音程が取れるのは別物って話。
柳家三三くんがよく言います、「声の良い音痴は損だ!!」と。
そんな雨の話からワイパーの話へ。
車だって誕生して100年以上経っているのに、衝撃波で雨を避けるとか、
完璧に雨弾きするフロントガラスなんてものではなく、ワイパーだと言う。
そして、一番不可解なのは、飛行機にもワイパーが付いているのが解せないという志の輔。
アレは、飛ぶ時に必要なのではなく、滑走路を走る際に必要なんだと思います。
だって、雲の上を飛ぶ飛行機に雨は関係ないし、雲の下だって時速500km以上の速度ですからね。
この後、ワイパーから話は、傘へと移り、『大名房五郎』へ
総体的な感想をまず言うと、やや稽古不足です。
詰まりぎみな間があったり、間違えたりがありました。
特に、馬が画を抜け出し草むらでは、当然、馬が草を食べると言うところで、
水を飲むと言って、そのまま水を飲むで通しました。
水を飲むにするなら、川だろうと思ってしまう私は細かいのか?!
前回の『井戸の茶碗』でも感じた、噺に流れる感じがないのです。
房五郎が、万屋へ行って茶室普請と岩佐又兵衛の軸の買取の話をするところから、
横谷宗珉の牡丹の目貫を見せる場面へと移り、
傘を差した男が橋を渡る岩佐又兵衛の軸を万屋が盗むように抱えて自宅へ帰り、
最後は、画中の人物が傘をつぼめると思って、二百両を房五郎に払ってしまう。
この一連の流れの場面が移るとこの切替が、まだ、志の輔らしくないと感じます。
2年前に、同じ横浜にぎわい座で、この『大名房五郎』を聴いたときは、
もっと噺が流れて、物語にグイグイ引き込まれる感じがしたのんですよねぇー
3.のこぎり音楽/サキタハヂメ
久しぶりにサキタハヂメさんを聴きました。相変わらず“のこぎり”とは思えない演奏です。
のこぎり音楽といえば、西では横山ホットブラザース、東では都家歌六師匠ですね。
実際に、サキタハヂメさんは、歌六師匠の大道芸を見て独学で始めたらしいですからね、のこぎり。
今年は、文部科学省の芸術選奨新人賞大衆芸能部門を受賞しています。
是非、Youtubeではなく、生を見て欲しい芸人さんです。
4.小間物屋政談/志の輔
まず、マクラで大阪で連続四日間公演をやった話をまずしました。
最近は、交通の便がいいので、泊まりも減り、泊まっても打ち上げだけ。
だから、観光とか地の美味しい物が縁遠くなっていたけど、
この大阪は、お好み焼・そば飯など関西らしいグルメを堪能したそうです。
そして、この落語会の主催者が、同時にやっているもう一つイベント。
ツタンカーメン展にも行った話を披露しました。
最初は、えっ?博物展示会なんかぁーと、思った志の輔師匠。
それでも、落語会の主催者がやっているので、付き合いで乗り気なく行ってみたら、
なかなか素晴らしい展示品の数々に、大興奮してしまったそうです。
しかし、最初は感動と興奮だったけど、あまりに点数が多いので、
だんだん後半は、類似した展示物ばかりなので、ちょっとダレていたら、
これぞ大阪のオバちゃん!という三人組、
「あかんなぁ、どれがどれか分からへんなぁー」と一人が言うと、
「そう、全部に値札つけんかい!!って、思うよねぇー」
これには、流石の志の輔師匠も苦笑したそうです。
そんなマクラから、旅繋がりで『小間物屋政談』へ。
正雀師匠と三三くんは、同じ噺を『万両婿』と題してやりますが、
志の輔は、圓生師匠と同じ『小間物屋政談』で。
志の輔は、前半あまり面白くないと言うけど、私は前半も好き。
京橋の相生屋小四郎は、長屋に小さな店を構えつつ、
その店は女房のおトキに任せて、自分は小間物を背負って売り歩いている。
志の輔は、この旅商人が背負う行李の説明を丁寧に行います。
そんな小四郎、小金も出来たので上方に行ってこちらの物を売り、
上方で仕入れたものを江戸で売ってみたいので、
上方に仕入れの旅に出るという。
ついては、おトキをお願いしますと、留守を大家さんに頼んで出掛けた。
箱根の山にさしかかり、大のものがしたいので、道を外れて山肌に降りると
草むらを抜けた林中で、襦袢一枚の男が木に縛られていた。
この情景の説明は勿論ですが、志の輔らしいのは、小四郎が用心深く、
この襦袢一枚の男に近付くところですね。
もしかしたら、山賊の罠かもしれない?!と、旅慣れた小四郎は考えるのです。
小四郎が男に聞くと、湯治の途中追い剥ぎに遇ったので、助けてくれと言う。
江戸一番の小間物屋、芝神谷町の若狭屋甚兵衛で、
手代と一緒の旅だったのだが、最初、手代が呼び止められて、
どうしたのか?と見ていると、突然、賊が数名現れ囲まれて、全て持ち去られてしまった。
小四郎は、仕入れ先でもあり、知らない人物ではない若狭屋に、
自分の着替えの着物一式にお金を貸し与え、住所と名前を書いて渡し、
ここに女房のトキが居るので、銭は返して欲しいと言って別れた。
小四郎は上方へ。若狭屋は江戸への帰路小田原の宿に入るが、
小田原の宿・布袋屋で病に掛かり、そのまま死んでしまうのです。
そして、持っていた書付から小四郎の留守宅へ知らせが入った。
知らせを受けて小田原に向かった大家と長屋の月番が、
その遺体を確認するのだが、いかんせん、腐乱して臭い。
二人は、小四郎の着物を着た死体に疑いを持たないまま位牌を持って変える。
志の輔は、なぜ、死体の顔を確認しなかったのか?の理由付けに、
腐乱していたという演出を使います。また、圓生師匠は遺骨を持ち帰るとやりますが、
志の輔は、位牌を持ち帰ります。亡骸は小田原で土葬なのか?と思います。
ショックで落ち込むおトキを、小四郎のいとこの三五郎が面倒をみる為に、
おトキの長屋に引っ越して来て、小間物屋の仕事を手伝うようになる。
葬儀も終わって三五日目、大家が三五郎との結婚を勧めたが、
未亡人となったおトキは、まだ早いと一度は断った。せめて年が明けるまでと。
しかし、大家や長屋連中から早いほうがイイと薦められ、
最終的に大家の強引な勧めで断り切れず、三五郎と夫婦になった。結局、仲の良い新しい夫婦が出来た。
この場面、志の輔は大家が中心で演じますね。
三三くんなどは、おトキ中心で演じます。
圓生師匠、正雀師匠のは、バランスが取れた演出ですね。
演じ手によって、見方が違って面白いと思います。
ところが数ヶ月後、小四郎が突然帰って来たので、
小四郎の幽霊が出たと二人は大家の家に逃げ込んだ。
大家がおトキの家に行くと、本物の小四郎がキセルでいっぷくしている。
中に入って話をすると、小四郎と若狭屋を混同しているのが分かり、
二人共納得はしたが、女房を頼むと出掛けたのに、
おときは間男を作っているじゃないかと詰め寄った。
ここの幽霊騒動は、志の輔上手いです。
間男ではない亭主だ、それも新しい亭主だと、
小四郎には考えられない言葉が飛び出した。
志の輔の演出では、このまま錯乱した小四郎は大家の前を飛び出し、
菩提寺の和尚に悩みを相談、そこれも仕方ない諦めろと諭されるが、
気持ちの整理がつかないまんま、恐れながらと奉行所に訴え出ます。
他とは演出が違いますよね、他はおトキの口から、
「今更、お前さんと夫婦には戻れない」と三五郎を選択する言葉を聞いて、
その言葉にショックを受けて、奉行所に訴えます。
小四郎が訴え出た南町奉行は、ご存知、大岡越前。
越前守は一同と若狭屋の女房を呼んでお裁きに。
小四郎に、「覆水盆に返らず、と言うし、血のつながった者同士の争いも醜い。
おときは三五郎に渡し、お前は死んでしまえ!」と、言い渡したします。
驚いた小四郎は自暴自棄になっていると、越前守は若狭屋の女房を呼び、
箱根では若狭屋に情を掛け今は女房も家も無くなっている小四郎をどう思うか尋ねた。
「小四郎様には大変迷惑を掛けたと思っております」。
志の輔は、他の演者みたいに、このヨシが若後家で美人という部分を言いません。
ただ、若狭屋の身代が三万両あり、これを小四郎に継がせる意思があると聞いて、
思わず気を失ったが、越前守は相生屋小四郎死んで、今から若狭屋小四郎になれと言う。
「若狭屋小四郎になるのですね。あんなお裁きを聞いて、
この先、生きていけるかと真っ暗になりましたが、ありがとうございます。
お奉行様、この御恩、生涯背負いきれません」。
「若狭屋小四郎。もう旅回りの小間物屋ではない。背負うには及ばん」。
たっぷり1時間近い噺を二席やった志の輔でした。
志の輔にとっては、ホームグランドと呼んでいい場所で、
幾分、他の会よりは、リラックスした内容でいつも行われます。
そして、激戦のチケット争奪戦を勝ち抜いた400人が集う会です。
「志の輔onにぎわい座」、この日はこんな内容でした。
1.かぼちゃ屋/志の彦
志の輔の弟子上3人は、二つ目に昇進しましたが、
4番~6番弟子、志のぽん/志の彦/志の太郎は、
前座芸から抜け出せそうな気配がありません。
この日のかぼちゃ屋も、与太郎が演じていくうちに、
与太郎らしさが薄くなるのでした。
3番弟子の志の春は、サラリーマンを辞めて入門しましたが、
年季を重ねて度胸が付くと、咄家らしくなり二つ目に昇進しました。
上の二人、志の吉・志の八よりも、頭は良いし噺を覚えるのも早い。
流石、エール大学を出て、三井物産で三年働いたのは伊達じゃない。
志の彦くん!秀吉の草履の故事みたいに師匠に接していると言ってましたが、
志の春は、Macでハンバーガーを買い間違えて、師匠から破門!と言われていました。
非常に細かい志の輔師匠に気に入られるのも大切ですが、
その前に落語が上手になりましょう。それが一番の師匠孝行です。
2.大名房五郎/志の輔
梅雨の季節に志の輔がやる演目です。今日辺りやるのでは?と予想していました。
宇野先生の作品で、六代目圓生の為の演目です。
おそらく『江戸の夢』同様に、圓生のご家族の了解を貰って、
志の輔は掛けているのだと思います。
さて、今回の『大名房五郎』の前に、北海道からの公演帰りだとマクラを振りました。
北海道は梅雨がないので、6月に公演することにしているのにl、
よく雨に当たると言う志の輔。梅雨がない北海道なのになぜ?と言うと、
北海道の主催者が、「志の輔さん!梅雨はありませんが、北海道だって雨は降りますヨ」
これを聞いて思い出したのが、声がいいのと、音程が取れるのは別物って話。
柳家三三くんがよく言います、「声の良い音痴は損だ!!」と。
そんな雨の話からワイパーの話へ。
車だって誕生して100年以上経っているのに、衝撃波で雨を避けるとか、
完璧に雨弾きするフロントガラスなんてものではなく、ワイパーだと言う。
そして、一番不可解なのは、飛行機にもワイパーが付いているのが解せないという志の輔。
アレは、飛ぶ時に必要なのではなく、滑走路を走る際に必要なんだと思います。
だって、雲の上を飛ぶ飛行機に雨は関係ないし、雲の下だって時速500km以上の速度ですからね。
この後、ワイパーから話は、傘へと移り、『大名房五郎』へ
総体的な感想をまず言うと、やや稽古不足です。
詰まりぎみな間があったり、間違えたりがありました。
特に、馬が画を抜け出し草むらでは、当然、馬が草を食べると言うところで、
水を飲むと言って、そのまま水を飲むで通しました。
水を飲むにするなら、川だろうと思ってしまう私は細かいのか?!
前回の『井戸の茶碗』でも感じた、噺に流れる感じがないのです。
房五郎が、万屋へ行って茶室普請と岩佐又兵衛の軸の買取の話をするところから、
横谷宗珉の牡丹の目貫を見せる場面へと移り、
傘を差した男が橋を渡る岩佐又兵衛の軸を万屋が盗むように抱えて自宅へ帰り、
最後は、画中の人物が傘をつぼめると思って、二百両を房五郎に払ってしまう。
この一連の流れの場面が移るとこの切替が、まだ、志の輔らしくないと感じます。
2年前に、同じ横浜にぎわい座で、この『大名房五郎』を聴いたときは、
もっと噺が流れて、物語にグイグイ引き込まれる感じがしたのんですよねぇー
3.のこぎり音楽/サキタハヂメ
久しぶりにサキタハヂメさんを聴きました。相変わらず“のこぎり”とは思えない演奏です。
のこぎり音楽といえば、西では横山ホットブラザース、東では都家歌六師匠ですね。
実際に、サキタハヂメさんは、歌六師匠の大道芸を見て独学で始めたらしいですからね、のこぎり。
今年は、文部科学省の芸術選奨新人賞大衆芸能部門を受賞しています。
是非、Youtubeではなく、生を見て欲しい芸人さんです。
4.小間物屋政談/志の輔
まず、マクラで大阪で連続四日間公演をやった話をまずしました。
最近は、交通の便がいいので、泊まりも減り、泊まっても打ち上げだけ。
だから、観光とか地の美味しい物が縁遠くなっていたけど、
この大阪は、お好み焼・そば飯など関西らしいグルメを堪能したそうです。
そして、この落語会の主催者が、同時にやっているもう一つイベント。
ツタンカーメン展にも行った話を披露しました。
最初は、えっ?博物展示会なんかぁーと、思った志の輔師匠。
それでも、落語会の主催者がやっているので、付き合いで乗り気なく行ってみたら、
なかなか素晴らしい展示品の数々に、大興奮してしまったそうです。
しかし、最初は感動と興奮だったけど、あまりに点数が多いので、
だんだん後半は、類似した展示物ばかりなので、ちょっとダレていたら、
これぞ大阪のオバちゃん!という三人組、
「あかんなぁ、どれがどれか分からへんなぁー」と一人が言うと、
「そう、全部に値札つけんかい!!って、思うよねぇー」
これには、流石の志の輔師匠も苦笑したそうです。
そんなマクラから、旅繋がりで『小間物屋政談』へ。
正雀師匠と三三くんは、同じ噺を『万両婿』と題してやりますが、
志の輔は、圓生師匠と同じ『小間物屋政談』で。
志の輔は、前半あまり面白くないと言うけど、私は前半も好き。
京橋の相生屋小四郎は、長屋に小さな店を構えつつ、
その店は女房のおトキに任せて、自分は小間物を背負って売り歩いている。
志の輔は、この旅商人が背負う行李の説明を丁寧に行います。
そんな小四郎、小金も出来たので上方に行ってこちらの物を売り、
上方で仕入れたものを江戸で売ってみたいので、
上方に仕入れの旅に出るという。
ついては、おトキをお願いしますと、留守を大家さんに頼んで出掛けた。
箱根の山にさしかかり、大のものがしたいので、道を外れて山肌に降りると
草むらを抜けた林中で、襦袢一枚の男が木に縛られていた。
この情景の説明は勿論ですが、志の輔らしいのは、小四郎が用心深く、
この襦袢一枚の男に近付くところですね。
もしかしたら、山賊の罠かもしれない?!と、旅慣れた小四郎は考えるのです。
小四郎が男に聞くと、湯治の途中追い剥ぎに遇ったので、助けてくれと言う。
江戸一番の小間物屋、芝神谷町の若狭屋甚兵衛で、
手代と一緒の旅だったのだが、最初、手代が呼び止められて、
どうしたのか?と見ていると、突然、賊が数名現れ囲まれて、全て持ち去られてしまった。
小四郎は、仕入れ先でもあり、知らない人物ではない若狭屋に、
自分の着替えの着物一式にお金を貸し与え、住所と名前を書いて渡し、
ここに女房のトキが居るので、銭は返して欲しいと言って別れた。
小四郎は上方へ。若狭屋は江戸への帰路小田原の宿に入るが、
小田原の宿・布袋屋で病に掛かり、そのまま死んでしまうのです。
そして、持っていた書付から小四郎の留守宅へ知らせが入った。
知らせを受けて小田原に向かった大家と長屋の月番が、
その遺体を確認するのだが、いかんせん、腐乱して臭い。
二人は、小四郎の着物を着た死体に疑いを持たないまま位牌を持って変える。
志の輔は、なぜ、死体の顔を確認しなかったのか?の理由付けに、
腐乱していたという演出を使います。また、圓生師匠は遺骨を持ち帰るとやりますが、
志の輔は、位牌を持ち帰ります。亡骸は小田原で土葬なのか?と思います。
ショックで落ち込むおトキを、小四郎のいとこの三五郎が面倒をみる為に、
おトキの長屋に引っ越して来て、小間物屋の仕事を手伝うようになる。
葬儀も終わって三五日目、大家が三五郎との結婚を勧めたが、
未亡人となったおトキは、まだ早いと一度は断った。せめて年が明けるまでと。
しかし、大家や長屋連中から早いほうがイイと薦められ、
最終的に大家の強引な勧めで断り切れず、三五郎と夫婦になった。結局、仲の良い新しい夫婦が出来た。
この場面、志の輔は大家が中心で演じますね。
三三くんなどは、おトキ中心で演じます。
圓生師匠、正雀師匠のは、バランスが取れた演出ですね。
演じ手によって、見方が違って面白いと思います。
ところが数ヶ月後、小四郎が突然帰って来たので、
小四郎の幽霊が出たと二人は大家の家に逃げ込んだ。
大家がおトキの家に行くと、本物の小四郎がキセルでいっぷくしている。
中に入って話をすると、小四郎と若狭屋を混同しているのが分かり、
二人共納得はしたが、女房を頼むと出掛けたのに、
おときは間男を作っているじゃないかと詰め寄った。
ここの幽霊騒動は、志の輔上手いです。
間男ではない亭主だ、それも新しい亭主だと、
小四郎には考えられない言葉が飛び出した。
志の輔の演出では、このまま錯乱した小四郎は大家の前を飛び出し、
菩提寺の和尚に悩みを相談、そこれも仕方ない諦めろと諭されるが、
気持ちの整理がつかないまんま、恐れながらと奉行所に訴え出ます。
他とは演出が違いますよね、他はおトキの口から、
「今更、お前さんと夫婦には戻れない」と三五郎を選択する言葉を聞いて、
その言葉にショックを受けて、奉行所に訴えます。
小四郎が訴え出た南町奉行は、ご存知、大岡越前。
越前守は一同と若狭屋の女房を呼んでお裁きに。
小四郎に、「覆水盆に返らず、と言うし、血のつながった者同士の争いも醜い。
おときは三五郎に渡し、お前は死んでしまえ!」と、言い渡したします。
驚いた小四郎は自暴自棄になっていると、越前守は若狭屋の女房を呼び、
箱根では若狭屋に情を掛け今は女房も家も無くなっている小四郎をどう思うか尋ねた。
「小四郎様には大変迷惑を掛けたと思っております」。
志の輔は、他の演者みたいに、このヨシが若後家で美人という部分を言いません。
ただ、若狭屋の身代が三万両あり、これを小四郎に継がせる意思があると聞いて、
思わず気を失ったが、越前守は相生屋小四郎死んで、今から若狭屋小四郎になれと言う。
「若狭屋小四郎になるのですね。あんなお裁きを聞いて、
この先、生きていけるかと真っ暗になりましたが、ありがとうございます。
お奉行様、この御恩、生涯背負いきれません」。
「若狭屋小四郎。もう旅回りの小間物屋ではない。背負うには及ばん」。
たっぷり1時間近い噺を二席やった志の輔でした。