昨年は、東日本大震災の影響で中止になった“ブロッサムでの会”
二年ぶりの開催ということで、超満員で熱気溢れる会場でした。
それにしても、知り合いが少ない!編集者のNさんとH・青山さんくらい。
そんな銀座ブロッサムでの志の輔独演会は、こんな内容でした。
1.子ほめ/志の太郎
一年ぶりに聴く志の太郎です。昨年、町田で『狸札』を聴きました。
今回は、『子ほめ』です。つい先立てさん坊でも同じ『子ほめ』を聴いたけど、
あれと比べるのは可哀想ですね、さん坊は、日本橋亭で50人、
志の太郎は、ブロッサムの900人ですからね。
それでも、元気に最後まで一生懸命は伝わりました。
2.ハナコ/志の輔
マクラで、「日本人のあらかじめ文化」の話を始めたので、
あぁーハナコだぁ~と、すぐに分かりました。多くのファンがそうだったはずです。
そうです、関内ホールも『ハナコ』でした。えっ?!『御神酒徳利』からの『抜け雀』か?
そうも考えたのですが、流石に、そこまで関内ホールはコピーしないだろうと思い直し、
『ハナコ』に集中して聴き入りました、すると、関内ホールの時と、若干違いました。
まず、露天風呂で雨宮が女湯をと、塀の隙間から外を覗く設定が、
このブロッサムでは、湯当たりしてのぼせたから外に出た設定でした。
あと、細かいところでは、夕食の和牛食べ放題の場面で、
料理長が大根のカツラ剥き選手権で優勝したビデオの場面が割愛されていたのと、
ハナコを紹介する米田さん!この人に向かって、加藤が「お前は、ドナドナか!?」
と、突っ込むセリフもありませんでした。俺は、この「ドナドナか!?」好きです。
◆ドナドナの歌詞
ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
それと、竹薮からスコップを持った女将が汗だくで出て来る場面を目撃した三人が、
それぞれ、ゴミを埋めに行った、税務上の重要書類を隠した、若い板前との合びき、
と、予想する場面で、今回は夕飯のビール代を掛けて正解を聞き出すという設定で、
女将に、竹薮へ何しに行ったのか?と質問しました。これは新展開ですよね。
『ハナコ』も、少しずつ変化があります。今後も気合入れて違い探ししながら聴きたいと思います。
3.三方一両損/志の輔
仲入り前に、もう一席という訳で、『三方一両損』をやりました。
この噺をする際のマクラも、毎回同じです。笑いは、同じ噺であっても、
演じ手の喋り方、そして聴き手の感性によって様変わりすると言って、
何種類かの小咄を披露して、笑いの種類の違いを示して見せます。
「よぉよぉよぉ!!、姉さん!粋だねぇー」
「何ぃ言ってんだい!あたしゃ、帰りだよ」
ってな小咄から始まって、“1時間遅刻した言い訳”“美術館にて”“目が痛くなるコーヒー”
などお馴染みの小咄から、新作も2つありました。
「ねぇ!ねぇ!かぐや姫 、あのかぐや姫って、最後どうなるんだっけ?」
「かぐや姫の最後、最後は解散だろう」
「お爺さん、どうしました? えっ!右足が痛いの、検査してみましょう
レントゲン、MRI、血液、どの検査結果みても、通風とか捻挫、骨折はありませんねぇー
お爺さん、大丈夫です、年をとったからねぇー寿命ですよ」
「えっ!寿命??? それはおかしいよ先生、だって寿命なら左足も同い年だもん」
そんな小咄マクラから、『三方一両損』へ
この『三方一両損』は、落語を知らなくても時代劇ファンなら知っている噺ですね。
数ある大岡裁きの中でも、有名なお噺です。江戸っ子気質の代表みたいな噺。
大工の吉公が三両と書付・印形(ハンコ)の入った財布を落としてしまう。
それを左官の金公が拾って届けるのだが、吉公が書付・印形は貰っておくが、
銭は俺の懐が嫌で飛び出したもんだから、お前にくれてやる!と言って受け取らない。
言われた金公は、オイラはコジキじゃねぇー
こんな目腐れ銭で在り難がるお兄ぃさんとお兄ぃさんのデキが違うんだいと、拒否する。
受け取れ、いやだ!お前にくれてやる!誰が受け取るもんか?!と大喧嘩に発展。
結局、この三両と江戸っ子二人がお白州に上げられて大岡様が両名に裁きを下す。
まず、喧嘩の元の三両を奉行が召し上げる、次に両名に二両ずつの褒美をとらすと。
これで、双方と奉行の合わせて三方が一両の損をしたという裁きです。
普通、この落語は江戸弁の啖呵、江戸っ子二人の喧嘩の場面が山で、
ここが聴かせ所なんですが、志の輔の『三方一両損』は、大した啖呵は出てきません。
喧嘩の場面は、“長屋の壁が薄い”の方が、可笑しく演出する志の輔です。
そうしておいて、お白州での三者のやり取りで、なごみ系の笑いを呼んでサゲるのです。
本寸法からは離れた演出ですが、志の輔らしさを感じる一席です。
4.江戸の夢/志の輔
去年は聴かなかったけど、2010年、2009年に1回ずつ聴いて、これが三回目でした。
ご存知、宇野信夫先生作で、柏木の圓生の為の作品です。
この作品の版権は、圓生の家族が持っていて、志の輔は高座に掛ける際には、
そのご家族の了承を、毎回取っていると、以前、話しておりました。
庄屋の武兵衛は発句に熱中。ホトトギス・・・ 夏の蚊帳・・・・
娘ハナ子(圓生のはテル)は奉公人の藤七を婿にして欲しいと母親に泣いて頼んだ。
金比羅詣りのなりをした、氏素性をあかさないのを理由に母親は藤七に反対したが、
気立ては良く、良く働き品性が良いので、娘の意向を汲んで11月に祝言を挙げた。
この母親の結婚への反対と、村人の藤七への評価を志の輔は丁寧に描きます。
娘を可愛がり、親に孝行し、良く働いた。家族にも回りにも信用が付いてきた。
婚礼の翌年、兄の還暦を祝う目的で、江戸旅行を計画した武兵衛夫婦は、
青葉の頃に行きたいと、年明け早々に藤七に明かした。
翌日、家族が心配している中、真夜中ようやく帰った藤七に、
武兵衛は家を飛び出したのではないかと疑った自分に腹を立てて怒った。
話を聞くと遠くまでお茶の木を求めに行ってきたという。
日当たりの良いところに茶の木を植えて手を入れていた。家庭も和やかだった。
この1日だけ、藤七が帰らぬ夜の場面は、前半のクライマックスです。
志の輔も丁寧に、武兵衛夫婦とおハナの心情を描きます。
志の輔らくごらしい場面でもあります。
江戸見物の前日。藤七が、浅草の観音様:浅草寺に行くなら、
浅草の並木にある奈良屋に寄って、
茶の出来栄えを鑑定してもらってほしいと両親にお願いした。
若い二人には子供が出来たと両親に打ち明け喜ばれた。
翌日旅立ち江戸に入った二人。
滞在が5日だ!と思うと、欲張って江戸見物をしてしまう。
二人は、3日目にもなると、旅の疲れと見物し過ぎて飽きてしまっていた。
その日はゆっくり休み、翌朝、浅草に寄って帰る事にした。
雷門を出て、武家屋敷に出入りしている大店の奈良屋に寄ると、
シンとしていて入口にツバメの巣があった。
主人の奈良屋宗味(そうみ)と対面出来た。
歳は六十二・三、宗匠頭巾に品のある姿であった。
持参した茶を見せると奥にと茶室に案内された。
生まれて初めて入った茶室で、二人は、
藤七が造ったお茶で接待された。
この茶を製した婿殿の状況を聞かれたので、
6年前の出会いから隠さずに今までの経緯を話した。
初孫が出来る事まで話し、酒は下戸で、飲まずに良く尽くしてくれると喜んだ。
宗味は「この茶は、将軍家に差し上げお褒めを頂いた、
私と倅の2人しか知らない秘法です。
しかし、奇しくも同じ6年前に・・・、死にました。
気立てが良く、まめまめしく働き、機転は利くし、よい男でしたが、
酒癖が悪くトラブルを起こし、人を殺める・・・、
事まであり、遠いところに行ってしまいました。
久しぶりに飲むこのお茶。
よくぞ、この秘法を会得なされたと宗味が喜んでいたと、
婿殿にお伝え下さい。
送られて表に出ると初夏のツバメがツ~ッと飛び交っていた。
足早に歩く武兵衛。「つばくらめ いくとせ続く 老舗かな」、
お前さん発句どころではないですよ。
「あの人が藤七の親御さんだったんだね」
「黙って歩け。何にも言うな。」と女房をせき立てて歩くが、
まだ頭を下げて宗味が見送っていた。
「藤七の常日頃の行儀良さ、言葉使い・・・」、
「あの茶人の息子さんだったんですね・・・」。
「氏(宇治)は争えないものだ」
奈良屋宗味の茶を立てる仕草が、志の輔らしく丁寧で、
その間、笑いを取るような場面ではないので、静寂が続きます。
そして、婿藤七が宗味の息子だと知って、武兵衛夫婦の心に広がる、
なんと言えないジーンと滲みるような心地が、客にも伝わる!!
そんな志の輔の大熱演でした。何度聴いてもいい噺です。
せいこさん!貴方に氏と宇治を掛けてと言われたときは、
それは?宇野先生が、? 安直なぁ?と思ったのですが、
落語のサゲですからねぇー そいう一般性というかベタな掛詞も、
ありなのでは?と、だんだん気持ちが、そちらに揺れています
。