2012年の1月から3月までアーカイブしました。まだ、この年は新文芸坐落語や、文化放送のかもめ亭が続いており、よく通ったのがブログからも分かります。
他方、馬桜師匠の「圓朝座」が第七次となり、牡丹燈籠を連続十三話くらいで、やりたい!と仰り始まったのも、この年でした。
そう!永谷と馬桜師匠が、この前後で「本牧五人会」の予約で揉めたのも、この頃ですよ。ただ、五人会以外は、日本橋亭を使う馬桜師匠でした。
他では、無限落語が遂に終焉を迎える事になり、最後の総仕上げ!!みたいな会が、二回スペシャルとして企画されて、日本橋亭を大いに盛り上げました。
また、銀座ブロッサムで「文蔵(当時は文左衛門)・喬太郎・扇辰の三人会」が始まったのもこの年でした。この会は今も続いている人気企画ですね。
あとは、練馬でのブラザーと夕刊フジが主催で、昔昔亭桃太郎師匠がプロデュースする落語会も、この少し前にですよ、2009年ぐらいから始まり、この頃には定着していました。
練馬駅の寿司屋と蕎麦屋が私は大好きで、必ず、開場の一時間前に練馬に入って、寿司を摘むか、蕎麦を手繰ってから落語会に行きました。
この会は、今は練馬から人形町の日本橋公会堂(劇場)に移り、今も夕刊フジが主催していますよね。私は練馬から移って行っておりません。
桃太郎師匠の本音トークが、一番の売りでね。落語はオマケみたいな感じでしたが、人気がありました。今も喬太郎師匠は出ているみたいです。
個人的な思い出では、本多劇場や北沢タウンホールに行く前によく寄った下北沢の居酒屋「三日月ロック」。凄くジューシーな焼鳥が美味かった。今はもう在りません。
あと、グリーン車の酔っ払いが、寝ているのを女性の車掌さんに起こされて、「Suicaをタッチして下さい!」「タッチして下さい!」「タッチして下さい!」と言っていると、
何を思ったか?車掌の体にタッチし始めて、止めに入った事件が起きたのも、この年でした。悲鳴を残して車掌が、鉄道公安官を連れて来て、酔っ払いのサラリーマンを次の駅で下ろしたのには、驚きました。
他方、馬桜師匠の「圓朝座」が第七次となり、牡丹燈籠を連続十三話くらいで、やりたい!と仰り始まったのも、この年でした。
そう!永谷と馬桜師匠が、この前後で「本牧五人会」の予約で揉めたのも、この頃ですよ。ただ、五人会以外は、日本橋亭を使う馬桜師匠でした。
他では、無限落語が遂に終焉を迎える事になり、最後の総仕上げ!!みたいな会が、二回スペシャルとして企画されて、日本橋亭を大いに盛り上げました。
また、銀座ブロッサムで「文蔵(当時は文左衛門)・喬太郎・扇辰の三人会」が始まったのもこの年でした。この会は今も続いている人気企画ですね。
あとは、練馬でのブラザーと夕刊フジが主催で、昔昔亭桃太郎師匠がプロデュースする落語会も、この少し前にですよ、2009年ぐらいから始まり、この頃には定着していました。
練馬駅の寿司屋と蕎麦屋が私は大好きで、必ず、開場の一時間前に練馬に入って、寿司を摘むか、蕎麦を手繰ってから落語会に行きました。
この会は、今は練馬から人形町の日本橋公会堂(劇場)に移り、今も夕刊フジが主催していますよね。私は練馬から移って行っておりません。
桃太郎師匠の本音トークが、一番の売りでね。落語はオマケみたいな感じでしたが、人気がありました。今も喬太郎師匠は出ているみたいです。
個人的な思い出では、本多劇場や北沢タウンホールに行く前によく寄った下北沢の居酒屋「三日月ロック」。凄くジューシーな焼鳥が美味かった。今はもう在りません。
あと、グリーン車の酔っ払いが、寝ているのを女性の車掌さんに起こされて、「Suicaをタッチして下さい!」「タッチして下さい!」「タッチして下さい!」と言っていると、
何を思ったか?車掌の体にタッチし始めて、止めに入った事件が起きたのも、この年でした。悲鳴を残して車掌が、鉄道公安官を連れて来て、酔っ払いのサラリーマンを次の駅で下ろしたのには、驚きました。