去年は、大震災直後の3/17に開催された志らく独演会。

チケットは完売でしたが、50%程度の入りでした。

それでも、志らくの芸人魂を感じる会だったのを覚えています。

計画停電真っ最中、公演中に停電になる事も想定して、

リハーサルをやっていますから、蝋燭の炎でもやりますよ!!

そう言って始めたけど、無事、停電はなく会はつつがなく済みました。


さて、今回は、こんなプログラムで開催されました。


 

 

・転失気/志らく


・中村仲蔵/志らく


・淀五郎/志らく


 

 

1.転失気/志らく

そんな大震災1周年の思いもあり、後半二席が笑いの少ない根多なので、

あえて前座は上げず、自分でやりました!と、言いましたが結構平凡。

“お盃”あたりから、斬新に変えて笑わせて貰えると志らくらしかったのに。


 

 

 

2.中村仲蔵/志らく

これは、二年前に、現在志らくがやっている形で演じ始めたと思います。

しかも、その根多卸しは、ここブロッサムのこの会でした。

正雀師匠や、市馬師匠のとも、勿論、志の輔のとも違います。

なまじ演劇をやるもんだから、その思いが詰まった『仲蔵』です。

ある意味、志らくにしかできない『仲蔵』ではあります。


 


イメージ 1

 

ただ、好みは分かれます。私は悪くないと評価しています。

まず、志らくだからの軽さがいいのです。これが談春だと重いはずです。

「舞台は、お客様との一期一会の勝負だ!」

「役者同士は勿論、お客様にだって教えられる事はある」

「新しい創意工夫は、お客様の評価あっての芸人冥利!」


そんな心理戦みたいな部分がメインなので、演じ方によっては重いはず。

しかも、斧定九郎のモデルに出会うのが、湯屋にして演じます。

実に合理的でしょう?浪人が着物を脱いで、湯に入るところを見れば、

蕎麦屋で出会うよりは、なんとも、いかにどうも(六代目・三遊亭円生風)


それなのに、実録・金井三笑にうとまれて、この定九郎を意地悪で振られた。

この史実は、なぜか忠実に描く志らくの志らくらしい『中村仲蔵』


 

 

 

3.淀五郎/志らく

この根多を志らくで聴くのは、初めてでした。過去にやってるのか?

ただ、『仲蔵』の後に、普通は『淀五郎』はやりません。つき過ぎです。

でも、これが志らくなんだよなぁー とは、感じます。良くも悪くも。


細かい筋は割愛しますが、淀五郎にも仲蔵が登場します。

そして、その敵役!! 団蔵が登場し、『中村仲蔵』は仮名手本の五段目、

『淀五郎』は、その四代目を舞台にした噺です。

で、志らくの『淀五郎』は、自分が仲蔵で、談春を団蔵にして演じるという、

 


イメージ 2


マクラで、ライバルというものが有って、文楽と志ん生、円生と正蔵、

そして談志と志ん朝も、そういうライバル的関係だったと思います。

さて、現代では、談春と志らくも、ライバルだと言われる。

そう振ってから、『淀五郎』に入るのでした。


で、いみじくも仲蔵の口を借りて、志らくがこう二人を表現します。

「紀伊国屋の!いいかい、お前さんのその了見は間違ってるよ、

団蔵、あの人はたいそう乱暴な物言いをするが、それはお前さんに見込みがあるからだ。

見込みがない役者には、団蔵は言わずに、てめぇで客の納得する芝居見せて、

お前なんか無視するよ、でも、そうはしないだろう、淀さん。

団蔵は、大看板だ。その気になれば一人で客の満足する芝居を見せるなんざ朝飯前だ!

でもね、それをしない。そいう性分なんだなぁ、団蔵は。

芝居は、皆で一座仕上げて、そいでもってお客様に喜んでもらわないと気が済まない。

だから、お前さんに辛く当たり、『また、団蔵が若衆を苛めている』と、世間に揶揄されても、

自分があえて悪人になってでも“紀伊国屋の塩冶判官”が出来るまでと、辛抱してるんだよ」


「俺が、団蔵の立場だったなら、稽古の場面でお前さんを切ってるよ。

私は、団蔵よりわがままで、自分の事しか考えないからねぇー

しかも、ずるいからお前さんに、恨まれないように、上手に嘘をついてお前を下ろしてるよ。

それをしない団蔵に、感謝こそすれ、恨むのは筋違いだからねぇ!」

(また、違う場面で団蔵は、博打好きとして描かれます)


こんな事を言って、殆ど演技指導しない仲蔵が出る『淀五郎』は斬新でした。

ただ、団蔵から7日間も舞台でダメ出しされていた、淀五郎が、

この仲蔵のアドバイスで、“出来る”ようになるとは思えませんよね。

やっぱり、具体的に指導しないと無理だと思います。

しかも、志らくのでは、仲蔵から淀五郎は、芝居がハネたらどうしているんだ?

と、問われて、淀五郎は、毎日疲れて酒飲んで茶漬食って寝ていますと答えて叱られるのよ。

そんな奴が、精神論だけで、唯一、左の耳の裏にこそりセイタイを塗る技だけ教えられて、

団蔵が、富士のお山と一緒だ!と褒める判官ができるとは思えません。

 

 

そうそう、志らくが前座ナシでやったのは、関内ホールの志の輔への挑戦か?!

と、思ったのは、私だけなのだろうか? 談志追悼の香はやや薄くなんた感じの、

ブロッサムでの志らく独演会でし
た。