昨年の大震災で中止になった“関内ホール”での志の輔独演会。
一年ぶりのご無沙汰でした。主催者が「師匠、1年お待ちしました」と言われ、
引き締まる思いでのぞんだという志の輔の独演会!こんな感じでした。
1.ハナコ
談志も以前、たまにやりましたネ。前座ナシの独演会。
談志の場合は、開口一番に使う前座や弟子の不甲斐なさを憂いで、
罰として出演機会を取り上げておりました。 でもねぇー
談志独演会の開口一番程辛い出番はないと、
弟子たちは勿論、弟子以外でも出た経験者は口々に言います。
「あんな辛い、悲しい出番はない」
「まるで、公開処刑みたいだ」と。
そうなんです。談志ファンって、開口一番の噺を聴いても、
まったく反応しないのです。クスリとも笑わず、シーンと静かな時間が流れます。
聴かないのなら、席に居るな!寝ていろ!と思うくらい静に睨んで観ています。
だから、談志の弟子達は、どうせ客は聴いてないのなら、家元を!と、
談志がビックリするような根多を開口一番にやるとう風潮でした。
だから、『首提灯』だったり、『岸柳島』とか談春はやってましたね。
一番凄かったのは、開口一番の『大工しらべ』!! これには談志も驚いていました。
「俺がやろうと思ってたらできねぇーじゃねぇーか!」と言ってね。
でも、どこか嬉しそうでね。そして、必ず、柳朝師匠の話をするんですよその後。
柳朝師匠もらんぼうな前座で、寄席でですよ、文楽、志ん生、圓生が出ている場面で、
開口一番に上がって、『鰍沢』を20分やって下りたりしていたそうです。
流石に、これには、師匠連中もビックリしたそうで、師匠の稲荷町の正蔵も、
「あいつには、困ったもんだ」と、苦笑いだったらしい。そんな話を談志師匠はしていました。
そんな事を思い出した、前座無しの志の輔の登場。
私は、前座の出囃子ではなく、「梅は咲いたか」がいきなり流れたので、
あっ!前座ナシで、いきなり志の輔の登場だ!と思ったけど、
意外と、世間は出囃子を意識していないようで、驚きの歓声が上がりました。
マクラでは、PARCO公演を終えて、早々に恒例の東南アジア日本人会巡りへ。
シンガポール、マレーシア、タイを10日間遠征して、成田へ帰国したら気温は2℃。
タイのバンコック空港は32℃だったのに… と言う志の輔。体が慣れたら帰国だった。
シンガポールの話は、これ以外の会でも何度も聴いていますが、
シンガポールの規制社会を一言で言うと、「明るい北朝鮮」との表現は笑いました。
そんなマクラから、日本の“偽装事件”の後に来た、過度の“あらかじめ文化”
何でもかんでも、公開したがる、過度のディスクロージャー!!これを根多に作った『ハナコ』へ
いつもより、丁寧な表現に感じました。そして、毎度同じところで笑えました。
2.御神酒徳利
この会の前に、朝から横浜にぎわい座のチケットの売出しに並んだのですが、
そこで、仲間と志の輔が『らくだ』とか『御神酒徳利』とかやらなくなったよね。
そんな話をしていたら、『御神酒徳利』が聴けてびっくりしました。
この日の志の輔の『御神酒徳利』は、東海道は神奈川の宿「新羽屋(にっぱや)」までで終わりました。
本当は、大阪の鴻池家の娘さんの病気まで治すのですが、途中で終わりましたネ。
途中、変だと思ったのは、ソロバン占いが生涯に3回までという振りが無かった点です。
新羽屋で終わったから、なるほど!と後から思いました。善六さんの占いが二回で終わるからでしたね。
それ以外は、演出は全く違うけど、スジは圓生を踏襲していました。
時間の関係で切ったのか? もし、最後までやるなら、成城でまた聴きたい!!
志の輔らしい、聴きやすく理解しやすい、時代劇風の『御神酒徳利』でした。
3.抜け雀
今年、3人目4回目の『抜け雀』でした。今年は、『竹の水仙』と『抜け雀』をよく聴きます。
非常に丁寧に演じる志の輔、久しぶりに「絵師じゃ」「壊死?腐りながら死ぬ?」
「違う!狩野派の絵師じゃ」「エッ!化膿して壊死?!」を聴きました。
これが、白酒くんだと「官能派のS」になります。
だっぷり、二時間半、三席の志の輔を堪能して、大満足でした。
それにしても、今年はハイペースで落語を聴いています。
既に、100席を超えてしまいまし
た。