例年は、10月か11月がにぎわい座で、夏は、ごらく茶屋の公演だったのが、
今年は逆になっていますね、夏にぎわい座で、11月がごらく茶屋の県民ホールです。
どんな夏の噺が聴けるのか?楽しみに行ったら、こんな内容でした。
1.阿武松/〆治
半年ぶりに、大相撲が再開されるのを祝うように、演目は『阿武松』でした。
〆治師匠らしい、田舎から出て来た大飯喰らいの青年が味がありました。
今年の春に、談春がやった『阿武松』とは、かなり演じ方が違っていて面白かった。
都会的で洗練された談春のよりも、牧歌的で時間がゆっくり流れる『阿武松』
大相撲も、八百長から、早く立ち直って欲しいです。
2.おばけ長屋/小三治
いつも通りの長いマクラが炸裂しました。それでも40分!!
意識して、異様に長いマクラにならないような配慮がやや有りました。
最初に、このにぎわい座は生のお囃子を使うので、
今日も、弟子の“太田その”(柳家そのじ)を連れて来ていて、
彼女のお囃子なんですよ、今日の「二上がりガッコ」はと言う。
そして、次に太鼓の話になって、弐番太鼓のメイン部分、
ステツク・テンテンが続く部分、ここが真の昔ながらの、
ステツク・テンテン!!と、演奏できる前座は、今は居ないと言う。
それなのに、このお囃子の太田その/そのじさんは、
これをいとも簡単にやってみせたそうなんですよね。
それには流石の小三治師匠も驚いたそうです。
いろいろと、ステツク・テンテンに関して小三治師匠が力説されたのですが、
つまりは、シンコペーションするような、半ば五拍子に聴こえるような、
そんな、昔の寄席太鼓名人の前座が叩く“ステツク・テンテン”を、
そのじさんは、叩けると言うのです。
そりゃそうですよ、伊達に東京芸大の邦楽科卒じゃない!
これに続いて弟子話で、本日の高座返しと開口一番を勤めた〆治師匠の入門秘話。
〆治師匠は、強烈な山形訛りのある青年だったので、
「訛りが取れたら弟子にしてやる!1年で、その訛りを直せ」と、
全体に無理だろうと思う、課題を与えて帰したら…
1年後の〆治青年からの電話に、小三治師匠のお上さんが、
「あなた!あなた!大変です、直ってます、あのあのあの…」
小三治師匠は、すっかり忘れていて、奥様の慌てふためきが、
何によるものか?全く見当が付かなかったそうで、電話に出てビックリ。
本当に、これがあの1年前の青年か?と驚いたそうです。
更に、弟子の話。陰気な弟子が居て、こいつが何をアドバイスしても治らない。
とにかく、一人でばかり居て、仲間・友達・恋人ってもんがないので、
芸がなかなか成長しない。結局その陰気な弟子は、咄家を辞めて、
別の職業に就いたが、最初は寿司屋だったけど、修行中に辞めてしまう。
そして、風の便りにそいつが、葬儀屋になったと聞いた。
そん時は、なるほど!と膝を叩いたが、これも長くは続かなかった。
そりゃそうですよ、陰気な葬儀屋は、陽気な葬儀屋より遺族は辛いもん。
そして、陰気な弟子がもう一人居たという小三治師匠。
それは、だれあろう、あの喜多八師匠なんですね。
小より/小八時代は、本当に暗い芸で、なんでお前はそんなに陰気なんだ!!
と、何度も師弟で泣きながら議論したんだそうです。
それでも、直らない。陰気な小八。そして、ある日、小三治師匠は悟ったそうです。
「それが小八の個性なら、小八はそれでいい、陰気な落語でガンバレ」と。
それを喜多八師匠に言って聞かせて、陰気にやれ!と、
のびのび陰気にやらせてみると、不思議な事に、芸が明るくなり始めたんだそうです。
一つは、陰気を売りにしろ!と言われると、単調に陰気ができないんだそうですね。
対比で、無理と陽気を入れる。すると、陰気が受ける、更に、陽気比率が上がる。
そうしていると、陰気・陽気だけでなく、緩急、男女、粋・ヤボなんていう、
落語必須の表現が芸の中で、うまーく育って行ったんだそうです。
「喜多八も一日にして成らず」です。
そして、最後に、幽霊/怪談噺を小三治師匠やる時の定番のマクラ。
稲荷町の林家正蔵師匠の怪談噺のやりかたへと進み、『おばけ長屋』へ。
この話は、4月のサンパール荒川でも聴いたんですが、あそこよりも、
客席の狭い、にぎわい座の方が、のびのびで、躍動感のある『おばけ長屋』でしたね。
寄席で聴くのとも、また少し違う感じで、なかなか貴重な一席でした。
3.かんしゃく/小三治
この噺のマクラにも、小三治流の定番がありますね。
「最近の女性は、強くなった。昔は、違ったんですよ!皆さんは若いから知らないだろうけど…」
それ婦女子は若くして親に従い、嫁して夫に従い老いて子に従う。
これを三従の道と教え、夫は外を勤め婦は内を守る。
百行の善事も堪忍を第一とす。特に慈愛の心深きこと肝要なり。
この噺をマクラでやって、『かんしゃく』に入ります。
黒門町の文楽師匠の十八番で、現在は、小三治師匠の十八番です。
明治・大正、そして昭和初期の旦那様が如何に暴君だったか?!
絶えかねて実家に戻った娘に、意見して夫の元に戻るように説得する父親。
本当に、いまは昔の物語です。私は、好きな噺で、年に1回くらい聴いていますね、小三治師匠で。
そういえば、これを小三治師匠が始めた瞬間、アッ!喜多八師匠も、
小三治師匠、そっくりにこの根多をやるよなぁーと思いました。
柳家小三治独演会 on 横浜にぎわい座の点数は、95点です。
三三くんもかなり成長した!と、一瞬感心したのですが、
翌日、師匠の小三治を聴くと、まだまだ百年早いと思ってしまいました。
次回、小三治師匠は、11月の県民ホールになりそうで
す。