出版関係の編集者が、最前列に沢山並んでおりました。
普通のにぎわい座とは、かなり違う雰囲気、空気観でした。
私は、いつもの上手の桟敷席で、ビールを飲みながら、
非常にリラックスした感じで、開演を待っていると、
ココの常連さんもチラホラ居て、ご挨拶など交わしました。
開口一番は、権太楼師匠のところの右太楼くん。
彼を聴くのは二回目で、兄弟子・甚五郎くんの独演会で、
彼が前座の朝呂久くんとお手伝いで出演した際に『ぞろぞろ』を聴いた。
この日の演目は『あくび指南』、悪くはないのだが個性がない。
師匠権太楼譲りの爆笑魂を受け継いで、個性を出してもらいたい。
せめて、一之輔の『あくび指南』ぐらいには成って欲しいね。
右太楼くんの『あくび指南』が終わり、いよいよ三三登場!!
場内割れんばかりの拍手に包まれて、いつもより早歩きでした。
右太楼くんが、マクラでつかないようにと、『嶋鵆沖白浪』がどんな噺かネット検索したり、
隅田川馬石くんに尋ねてみたりと、話したのを受けて、『あくび指南』みたいな噺で、
六ヶ月やったら、流石に、客の顰蹙をかうだろうと言って場内の緊張を解しながら、
『嶋鵆沖白浪』へと入りました。
この日のお噺は、下記のような感じでした。
下総国・佐原の穀物問屋:平兵衛の長男・喜三郎は、
道楽の挙句、父の留守中母に悪態をついて勘当される。
その足で常陸国・土浦の博打うちの親分:皆次を訪ね、
身内に加えてくれるよう頼むが、親分の皆次は、
カタギを簡単にヤクザの身内にはできぬと断る。
断る皆次に「母の連れ子である自分ではなく、
父の実子・弟の吉次郎に店を継がせたい一心で、
母と示し合わせてわざと勘当された」と打ち明ける。
その心に打たれた皆次は喜三郎を身内に加えると、
喜三郎はまたたくうちに男をみがいて売り出し、
“佐原の親分”といわれるまでになる。
文政十二年五月、成田山新勝寺の参詣に出掛けた喜三郎は、
芸者・お虎と母・おヨシが、地回りのヤクザ・馬差しの菊蔵に因縁を付けられたところ、
同じ宿に逗留し、これをたまたま隣の部屋で聞いてしまう。
お虎は江戸の神田三河町で人入れ稼業をしていた父の没後、
借金を返すために成田で芸者をしていたところ、
小僧のスリに五両の金を盗られた。(多分、これも菊蔵の差金)
菊蔵に証文を書いて五両を借りたが、
菊蔵はいくら口説いても自分になびかないお虎を逆恨みし、
証文を「五十両」に書き替えての督促だった。
それを見破った喜三郎だが、菊蔵の恨みを買い、
お虎親子を八日市場へ送る途中の菊蔵を、
自らの後ろ盾で、土浦の皆次親分に恨みを持つ柴山の仁三郎を使って待ち伏する。
喜三郎は親子を逃がした上で一人立向かうが袋叩きにされ、
仁三郎の家の物置に監禁される。
喜三郎に思いを寄せるお虎は大胆にも夜中一人で喜三郎を助け出し、
彼女の手当てのおかげで回復した喜三郎は六月十九日の晩、
単身仁三郎方へ斬込み、仁三郎は仕留めるが、
たまたま留守の菊蔵はとり逃がしてしまう。
喜三郎はお上の手を逃れ菊蔵を探すため、お虎は暮らしのために、
ひかれ合いながらも別々に、お互いの行方を知らず、
それぞれが江戸へと向かうのだった。
どうしても、同じにぎわい座という事もあり、4年前に談春がやった、
『与話情浮世名横櫛』/切られ与三郎とお富の恋物語と比較してしまう。
あの会に右太楼の役で開口一番を努めたのが三三くんだったと思います。
そんなことを思い出しながら、三三くんらしさが随所に有って良かった。
妙に、変なクスグリを入れず、物語に客を引き込む技が実に良い。
多分、三夜連続で一度サラっているのも、良さに繋がっているとは思うが、
それにしても、流れるように“ト書き”を読み、会話で物語を進める技は絶品。
情熱大陸が追い掛けたくなったのも、納得です。
談春や志らくだと、“馬差しの菊蔵”のキクゾウをいじるだろうなぁーと思うが、
三三くんは、そいうところでクスグリを入れないですね。
次回が早く聴きたい!!と思わせる、第一夜でした。
P.S. この日のマクラで、東西の咄家が集まり日本橋亭で落語芝居をした話をしました。
なんでも『茶の湯』をやったそうで、三三くんはご隠居の役だったから、シメシメと思っていたら、
青汁+センブリ茶を飲まされて・・・ 出演者全員胃の調子を悪くした状態で打ち上げへ・・・
来年は、『ちりとてちん』にしよう!何て洒落を言っておりまし
た。