第１４４５回　知らないで良いこと（３）

　それから二人は毎日のようにラインのやり取りを続けました。その中でご主人は何度も彼女から誘われました。しかし、ご主人は社外で逢えば“また二人は関係を結ぶことになる”と考えて、デートすることはしませんでした。そうかといって彼女をここで拒絶してしまえば「死んでしまいたい」と言っている彼女が、感情的になってどのような行動に出てくるかわかりません。ですからご主人は直接会うことを拒みながら、彼女の気持ちはラインで受け止めて、彼女の熱が冷めていくことを待ったのです。それにもし1年かかったとしても、ハードに彼女に別れを突き付けるよりも、ソフトに関係を解消する方が得策と考えたのです。それは1回だけとはいえ、彼女と肉体関係を持ってしまった“負い目”がご主人にはあったからです。ご主人の本心は、妻子と別れるつもりは毛頭ありません。ただ、肉体関係を持ってしまった部下の女性とトラブルにならずに別れることだけを考えていました。

　そしてその目論見は上手く進んでいました。一時は毎日何度もやり取りしていたラインの回数が、徐々に減ってきたのです。そしてこちらのメッセージに直ちに返信していた彼女のリアクションも少しずつ時間がかかるようになってきました。気持ちが熱くなっているときは、好きな相手のメッセージを心待ちに待っています。ですからメッセージが来ればすぐに返信してそのリアクションを待ちます。ただ、気持ちが落ち着いてくれば、自分が今やっている作業を優先するようになりますから、時間のある時に返信します。そのため返信が来るまでに時間を要するようになります。ラインが返信されるまでの時間の長短で相手の気持ちはある程度、察しがつきます。

　しかし、彼女と関係を持って3か月が経過したとき、思わぬ事件が起こりました。最近、毎日のように頻繁にスマホにかじりついている夫に妻が不信感を持ったのです。そしてご主人が入浴中にご主人のスマホを開いて、彼女とのラインのやり取りを読んでしまったのです。そして彼女とソフトに別れる方向へ進んでいたご主人の目論見は見事に壊されました。ご主人は一応警戒してスマホにロックはかけていましたが、その番号は妻からすれば容易に想像の付くものでした。

　ご主人と彼女のラインを読んだ奥さんは激怒しました。

「ねえ、あなた！悪いとは思ったけど今、あなたのスマホを開いてラインを読ませてもらいました。毎日のように“大好き、大好き、愛してるって、これはいったい何なのよ！完全に浮気じゃないの！しかも3か月も続いているって、一時の気の迷いじゃないよね！他に付き合っている女が出来たってこと！どういうことなの！ずっと私を裏切っていたってこと！ふざけないで！即離婚します！」

　ご主人は突然のことに返す言葉がありませんでした。確かにラインの文書は、彼女の気持ちを忖度して、“好き”とか“愛している”という文字を何度も入れています。しかし、それはあくまでも彼女がキレたり、自殺したりしないように、彼女をなだめる意味で遣った言葉でした。もちろんその気持ちはありません。しかし、ラインの文書だけを取り上げて、それを妻に読まれてしまっては、ご主人が若い女性と浮気をしていると思われても仕方がありません。そんな濃厚なやり取りは書いた自分が一番良く分かっています。だからご主人は奥さんに一言も言い訳できなかったのです。奥さんはこの日のうちに荷物をまとめて、子供を連れて実家へ戻りました。そして一人、家に残されたご主人の元には、弁護士からの財産分与・慰謝料・養育費の請求書が送られてきました。

　やがて奥さんは、彼女の存在を調べて彼女にも慰謝料が請求されました。二人の関係は社内にも知られることになり、彼女と共にご主人も会社を辞めることになりました。私はこの結末に“果たしてこれでよかったのか”モヤモヤした気持が心に残りました。ご主人に浮気をされ、他の女性とのラブラブのラインを読んだ奥さんが憤慨する気持ちは分かります。加害者のご主人と彼女は自ら招いたこととはいえ、仕事をやめたことで人生は大きく狂いました。そして奥さんもお金は受け取れても、上手く回っていた暖かな家庭が崩壊しました。それは自分だけでなく子供の人生にも影響します。関係者がすべて不幸になりました。その原因が当事者の二人にあることは明らかです。しかし、たった1度の浮気で、しかもそのいきさつを考えれば、そのことで皆が不幸になる選択が正しかったとは思えないのです。もし、あのとき奥さんがご主人のスマホを開かなければ、彼女との関係は半年後には解消されて幸せな家庭は続いていたでしょう。それが嘘で作られた幸せだったとしても、皆が不幸になることと比べたらその方が良かったように私には思えるのです。

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