第１４４４回　知らないで良いこと（２）

　「課長、この前のこと、酔った勢いでやったことと思わないでください。私は以前から課長が大好きでした。お酒の勢いはあったけど、大好きだから課長と結ばれたのです」

「………」

彼女の思わぬ言葉に、ご主人はただ、黙るしかありませんでした。

「………私は課長に抱かれている間、とても幸せだったのです。でも、奥様のいらっしゃる課長は、遊びで私を抱いていたのですか？一夜の遊び？だったら私って惨めですよね。いっそう死んでしまいたいです」

　この言葉を聞いたご主人は、お金を支払って彼女と別れようと考えた自分が恥ずかしくなりました。

～妻子のいる自分でも彼女は真剣に自分を愛していた。彼女は決して身持ちが悪いわけでもなく、遊び慣れているわけでもなく、純粋にオレを愛していたんだ“

　そう思ったとたん、うつむいて涙を流す彼女がとても愛おしくなりました。

「………ごめんね」

ご主人はさまざまな思いを込めてその言葉だけ絞り出しました。そしてお店のテーブルの下で彼女の手を強く握りました。彼女は結ばれた彼の手を握り返したまま、ずっと手を放しませんでした。

　この日、ホテルのラウンジを出た二人は手を握ったまま、バーコーナーへ移動しました。そこでも握られた手を放すことなく、二人は強いカクテルを飲み続けました。そしてご主人は彼女の耳元で

「オレも大好きになったと思う」

そうささやきました。

　その言葉を聞いた彼女はご主人を見つめて、嬉しそうに微笑みながら、つないだ手にギュッと力を込めました。幸せな時間は流れるように過ぎていきました。そして2つの影は一つになってタクシーの中へ滑り込みました。酩酊した彼女は何かを求めるような熱い視線をご主人へ注ぎ続けました。しかし、タクシーはまっすぐに彼女のマンションの前で止まりました。

「運転手さん、ちょっと待ってて！」

ご主人は、彼女をエントランスンの中まで連れて行きましたが、そこで一度、彼女を強く抱きしめた後、踵（きびす）を返して一人でタクシーへ飛び込みました。彼女を好きになったことで”これ以上、彼女を傷つけてはいけない“という歯止めがかかっていたからです。（3）へ続く。

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