先日、入院してる婆ちゃんに会いに行ってきました。
「今夜がヤマだ」
そう聞いていました。
婆ちゃんはもう100歳になるのかな。
これだけの高齢です。身内としては覚悟はできてます。
2週間前に行った時は、
もう、しゃべることもできない。
腕を上げることもできない。
目もほとんど開かない。
そんな状態でした。
これ以上驚くことなんてないと思ってましたが、
病院についてみれば、
2週間前に見た時よりも、さらにやせ細った婆ちゃんがいて、
しゃべれないことも、
動けないことも、
目が開かないことも、
全て一緒なのに、
明らかに違っていることがひと目で分かる状態で、
僕は言葉をなくしました。
僕と、2つ上の兄貴は、
幼少時代に、親がどうしても僕らを見れない時期があって、
その時、面倒を見てくれていたのが婆ちゃんでした。
うん。婆ちゃんっ子だったと言っていいと思います。
「婆ちゃん、お腹すいたー。焼きそばつくって」
「そうか、ちょっと待っときや」
そんな日々の思い出とか、
幼稚園の頃、毎日使っていた巾着袋。
婆ちゃんが僕のためにつくってくれた巾着袋。
そういや、青いハサミをもらったよね。婆ちゃん。
驚くかもしれないけど、あれ、今でも現役で使ってるんだよ。
工作用の、よく切れるハサミ。
20年以上使ってて、さすがに昔ほどの切れ味はないけど、
それでも、今でもちゃんと使える。
今、目の前に、パソコンのモニターの横に筆記用具と一緒にペン立ての中に入ってる。
「婆ちゃん、喉渇いたー」
「そうか。スイカ切ってあるから食べぇ」
「違うねん。喉が乾いてん」
「スイカは水気(みずけ)たっぷりあるから食べぇよ」
「違うねん!ジュース飲みたいねん!喉乾いてん!」
「やからスイカ・・・」
・・・会話が噛み合わん事もあったねー。婆ちゃん。
それでも、どれだけ思い出しても、
婆ちゃんに叱られた記憶が、
俺にはひとつもないよ。
記憶がないんじゃない。
実際に、一度もないんだ。
それを覚えてる。
一度も叱られたことがないことを覚えてる。
婆ちゃんは、俺が何をしても、絶対に怒ったりしなかった。
いつだって優しかった。
婆ちゃんの場合は、誰に対してもだったな。
どんな時でも、もういいっていうのに、
誰かの世話になることを探す。
じっとしてない。常に気を使ってる。
動けなくなった婆ちゃんのとこに、親族がいっぱい集まって、
動けなくても、僕らの言葉の反応を見て、
みんなが分かっていた。
こんな状態になっても、僕らに気を使った言葉を言おうとしてるんだろう。
何か世話を焼こうと動こうとしてるんだろう。
婆ちゃんらしいなって。
そう言いながら叔母ちゃんと苦笑いしてた。
不思議なもんで、もういつが最後になってもおかしくない。
だから、伝えるべきことは、たくさんあるハズなのに。
ありがとう。
ごめんなさい。
そんなたくさんの言葉と感情が後から後から湧き出てくるのに、
何一つ吐き出すことができない。
それを婆ちゃんに伝えることは、
さよならを告げることと同じである気がして。
言わなきゃ後悔するだろうに。
分かっていても、結局何一つ言うことができない。
婆ちゃんの世代と、僕らの世代は環境が違う。
時代が違う。
これだけ多種多様なネットワークが確立されて、
凄まじい情報が世の中を行き交いして、
虚ろな関係でさえ、触れ合う人の数はどれほどのものだろう。
きっと数え切れないほどだろう。
だから、触れ合う人の数が多過ぎるから、
ひとりひとりに対して向けられる優しさも、薄くなってきてるのかもしれない。
だけど婆ちゃんはそうじゃなかった。
昔、「一番いい人生ってどんな人生やろう?」と聞いたとき、親父が言っていた。
「そんなもん誰にも迷惑かけへん人生に決まってる」
当時僕には理解ができなかった。
そして今でも理解はできない。
できないけど、
そのすごさは、少し理解できた気がする。
きっと、それは婆ちゃんみたいな人にしか歩めない人生なんだろう。
少なくとも僕にはできない。
例えあなたの血をひいていても。
・・・勇者なのにね(苦笑)
おばあちゃん。
おれ、なんにもしてやれないけど、
だいすきだよ。
これからも、ずっと。
せめて、もういちどあいにいくまで、
いきていてくれな。
「今夜がヤマだ」
そう聞いていました。
婆ちゃんはもう100歳になるのかな。
これだけの高齢です。身内としては覚悟はできてます。
2週間前に行った時は、
もう、しゃべることもできない。
腕を上げることもできない。
目もほとんど開かない。
そんな状態でした。
これ以上驚くことなんてないと思ってましたが、
病院についてみれば、
2週間前に見た時よりも、さらにやせ細った婆ちゃんがいて、
しゃべれないことも、
動けないことも、
目が開かないことも、
全て一緒なのに、
明らかに違っていることがひと目で分かる状態で、
僕は言葉をなくしました。
僕と、2つ上の兄貴は、
幼少時代に、親がどうしても僕らを見れない時期があって、
その時、面倒を見てくれていたのが婆ちゃんでした。
うん。婆ちゃんっ子だったと言っていいと思います。
「婆ちゃん、お腹すいたー。焼きそばつくって」
「そうか、ちょっと待っときや」
そんな日々の思い出とか、
幼稚園の頃、毎日使っていた巾着袋。
婆ちゃんが僕のためにつくってくれた巾着袋。
そういや、青いハサミをもらったよね。婆ちゃん。
驚くかもしれないけど、あれ、今でも現役で使ってるんだよ。
工作用の、よく切れるハサミ。
20年以上使ってて、さすがに昔ほどの切れ味はないけど、
それでも、今でもちゃんと使える。
今、目の前に、パソコンのモニターの横に筆記用具と一緒にペン立ての中に入ってる。
「婆ちゃん、喉渇いたー」
「そうか。スイカ切ってあるから食べぇ」
「違うねん。喉が乾いてん」
「スイカは水気(みずけ)たっぷりあるから食べぇよ」
「違うねん!ジュース飲みたいねん!喉乾いてん!」
「やからスイカ・・・」
・・・会話が噛み合わん事もあったねー。婆ちゃん。
それでも、どれだけ思い出しても、
婆ちゃんに叱られた記憶が、
俺にはひとつもないよ。
記憶がないんじゃない。
実際に、一度もないんだ。
それを覚えてる。
一度も叱られたことがないことを覚えてる。
婆ちゃんは、俺が何をしても、絶対に怒ったりしなかった。
いつだって優しかった。
婆ちゃんの場合は、誰に対してもだったな。
どんな時でも、もういいっていうのに、
誰かの世話になることを探す。
じっとしてない。常に気を使ってる。
動けなくなった婆ちゃんのとこに、親族がいっぱい集まって、
動けなくても、僕らの言葉の反応を見て、
みんなが分かっていた。
こんな状態になっても、僕らに気を使った言葉を言おうとしてるんだろう。
何か世話を焼こうと動こうとしてるんだろう。
婆ちゃんらしいなって。
そう言いながら叔母ちゃんと苦笑いしてた。
不思議なもんで、もういつが最後になってもおかしくない。
だから、伝えるべきことは、たくさんあるハズなのに。
ありがとう。
ごめんなさい。
そんなたくさんの言葉と感情が後から後から湧き出てくるのに、
何一つ吐き出すことができない。
それを婆ちゃんに伝えることは、
さよならを告げることと同じである気がして。
言わなきゃ後悔するだろうに。
分かっていても、結局何一つ言うことができない。
婆ちゃんの世代と、僕らの世代は環境が違う。
時代が違う。
これだけ多種多様なネットワークが確立されて、
凄まじい情報が世の中を行き交いして、
虚ろな関係でさえ、触れ合う人の数はどれほどのものだろう。
きっと数え切れないほどだろう。
だから、触れ合う人の数が多過ぎるから、
ひとりひとりに対して向けられる優しさも、薄くなってきてるのかもしれない。
だけど婆ちゃんはそうじゃなかった。
昔、「一番いい人生ってどんな人生やろう?」と聞いたとき、親父が言っていた。
「そんなもん誰にも迷惑かけへん人生に決まってる」
当時僕には理解ができなかった。
そして今でも理解はできない。
できないけど、
そのすごさは、少し理解できた気がする。
きっと、それは婆ちゃんみたいな人にしか歩めない人生なんだろう。
少なくとも僕にはできない。
例えあなたの血をひいていても。
・・・勇者なのにね(苦笑)
おばあちゃん。
おれ、なんにもしてやれないけど、
だいすきだよ。
これからも、ずっと。
せめて、もういちどあいにいくまで、
いきていてくれな。