今日は、

朝から、事故後のリハビリと、

昼から、事故とは別の明細(追突してきた相手が殴る蹴るして破損させた費用)

を取るために、車屋さんに行って、



その帰りに、

もう、2、3年会ってなかった、

婆ちゃんのいる老人ホームへ顔を見に行ってきました。











老人ホームって場所は、

何度行っても、

なんというか、

心がえぐられたような気分になる場所。





僕らが普段生きている世界とは、

全く時間の流れ方が違う。





今年で98になる婆ちゃんは、

車椅子に乗って、

僕を、僕と気づかず、













最近、本入所が決まった婆ちゃんは、

その老人ホームが「家」になりました。






僕の母を含め、子供が10人いる婆ちゃんですが、

もちろん、その老人ホームには一人も親族はいません。




だけど、

そこがもう婆ちゃんの「家」なのです。










高齢になってくると、

普通の家で生活するのはどうやったって難しく、

どうしようもないことなのですが、





なんか、

すごく申し訳ない気持ちでいっぱいで、












この老人ホームに勤めてらっしゃる方たちは、

若い方が多いのですが、とても親切な方たちで、


そういう心配は一切ないんだけども、







会話をしていても、

なんども、僕が誰か分からなくなるようで、

少しずつ、だけど確実に全てを忘れていく婆ちゃんに、

淋しさと申し訳なさが同居したような気持ちになりました。












苦しむこと、忘れてしまうことで、
幸せになって死んでいった人を一人だけ知っている僕は、


「全てを忘れていくこと」は、
必ずしも悲しいことではないと思っているのですが、




ウチの婆ちゃんは、
僕らの世代より、遥かに狭い人間関係の中で生きてきた人なので、


僕らの世代がもたないような気遣いを、
常に周りにし続けることが出来る人。

それは、例えボケてしまった今となっても、
変わっていないことなので、余計に、


そんな婆ちゃんが、「忘れていってしまっている」ことが、
とても淋しく、不条理に感じられました。

だけど、それが人間なんだよなぁ・・・と。







その老人ホームの方が言うには、

外泊するとしたら、今がラストチャンスでしょうね、とのこと。


まだギリギリ、少しだけ立つことができる今なら、

まだ外泊はできるだろうとのこと。


ウチの母が、それを現実にするために、
婆ちゃんを最後の一度、家に泊める為に、
今、色々と手続きやら何やらをして動いていることを、今日知りました。



もうすぐ、あそこから出られなくなるんだなぁ。

婆ちゃん。




せめて、また顔を出せる時は、顔を出しに行こうと、

そう思いました。