少し古い話でもしようか。



僕のかつての友人であり、戦友の話。




その女性は、少し年上の、
とても綺麗な容姿と、明るい性格を持った素敵な女性。




そして、二度と会うことはなくなったと言えど、
決して僕の心から消えることはないであろう女性。








彼女は、精神障害者でした。

そして、風俗嬢という仕事を生業とする女性でした。





そして、既婚者でした。









僕は、彼女が既婚者であることを知っていながら、

彼女が旦那を世界の誰よりも愛していることを知っていながら、


一度も、風俗という道で隠れて行き続ける彼女を、止めたりはしませんでした。




友人でありながら、

一度も。














彼女はかつて、

何を犠牲にしても、絶対に守りたい、と思った男に、

裏切られた経験のある女性でした。





肉体関係は続けど、

愛の言葉の囁きはあれど、

心はそこにはなかった、

そんなよくある話。







男は、彼女に子供を宿し、

だけど、責任を拒否し、

学生だった彼女は、中絶を選びました。

そして少なくとも、僕が彼女を知っている間は、

彼女は、その時の決断に、ずっと苛まれていました。





中絶手術の経験、
その生々しい話をリアルに話してくれて、

子供ができにくい体になり、

生理ではない出血を見続け、

手首には何本ものためらい傷をつくり、




相手の心が自分にないことには気づいていながらも、

それでも、相手の気持ちを繋ぎとめようと醜くもがく様は、

さぞ見苦しかったことだろう、と、赤裸々に話してくれました。




それでも、「心は求めてもらえなくても、身体を求めてもらえるなら、それでもいい」

恋する女の、切なくも美しいセリフ。



死ぬ、と分かっている赤ちゃんの為に、

中絶手術までの2週間、タバコを必死で我慢した話。

毎晩お腹をさすって、そこにある『命』を確かめていたこと。

子守唄を歌ったこと。

お話を読んで聞かせたこと。


それが、赤ちゃんへの愛情から出た行動だったのか、
「堕ろす選択をした自分」への罪悪感を消すためのものだったのか、
正直わからなかった。今でもわからない。


そんなふうに話す彼女の、

普段の明るさなど、微塵も感じられないトーンのギャップと、

そこから感じた衝撃は、

今でも忘れることができません。





そして、その時の過度のストレスと、

彼女が背負った罪の十字架への罪悪感の重さは、

直後に、精神障害という形で一生彼女につきまとう存在となるのでした。






続く。