家に着いたら、当時宿題がなかったからどういう風に過ごしていたかはハッキリと覚えていない


だけどハッキリと覚えているのは毎日家で母に殴られ蹴られてきた事だけ


この時代はまだ父はそんなに手を出してきてはいなかったのが救い。

だけど母は毎日殴ったり、蹴ったり、暴言を吐いてきていたので

私は母が嫌いだった。

父がこの時家にいれば母に殴られる事がなかったから、

父が仕事から帰ってくるのが楽しみだった。


しかし父は日勤と夜勤があり、週ごとに変わっていた。

だから日勤の時は夕方4~5時に帰ってきていたから、夜は安泰だった。

しかし夜勤となると夜、父が家にいなかったので母に暴力され放題だった。


記憶として私は特に悪い事はしていなかった

ご飯を食べて、テレビはそんなに見てなかったし、時間になれば寝ていた

特に夜遅くまで遊んでもいなかったし、ルールは守っていたので

今思えば何故殴られていたか心当たりが全くない

だから恐らくあの母はストレスの吐け口のために私をサンドバッグにしてたんだと思う。


思えば、父と母が一緒にいる時いつもケンカしていて

仲良く過ごしていた時を一瞬たりとも見ていなかった。


毎晩夕食後にキッチンで母は父になにか説教されていて、

母は反論するけど、この時父が母に暴力をしていた

しまいには包丁など物を投げることも頻繁にあった。

そして私と弟は泣きながら「やめて!!!」って叫んでいたのを鮮明に覚えてる。


この後ケンカが終わったら母はとんでもない事をした。

いつもケンカが終わると、次は私を殴ったり蹴っていた。


だから私が物ごころついた時から毎日親は食後に

怒鳴りあってケンカして、暴力していた。

その後に私が殴られていたんだと思う。


実に馬鹿なクソ親だよ、

ケンカして殴られたから、子供を殴るとか馬鹿だよ


そんなにサンドバッグが欲しけりゃ、クレヨンしんちゃんのネネちゃん親子が使うウサギのぬいぐるみを買って殴ってろよ。

そして泣きながら教室に入ると

クラスメイトの親が

「マーズちゃん、どうした?大丈夫?」

って心配してくれたけど、子供心で親に殴られたなんて言えず…

相手も大人、親に殴られた事くらいは悟られていたのでしょうけど

母は殴った事に対しての罪の意識もなくへらへらしておる。


きっと「しつけ」って母は言い訳したのでしょうが、

いかんせん20年前の事だ、

しつけの為の体罰も許された時代だから

誰も疑いせず、助けてくれなかった


こうして先生から酷い事されながらも沢山勉強して

友達と遊んで夕方が来てろう学校での1日は終わった


しかしその後が真の地獄だった


帰りの車、片道1時間ほどもあり

その車内では母親に今日学んだ単語や発音を思い出せるかって復讐させられた

このとき1つでも間違えると、間違える度に母に髪の毛を引っ張られたり、怒鳴られたり、殴られて、暴言まで吐かれた


この時叩かれた痛みは今でもハッキリと覚えている

子供であろうと容赦ない、手加減なしの強さでいつも叩かれてたから


その日に学んだ単語を復讐するのは分かる。

そしてまだ学んで1日もしてない言葉を全て覚える事は大人でも難しいのに

1つでも間違えたら殴られるとか鬼畜である。


言ったらスーパーマリオの横スクロールゲームみたいに鬼畜だ

私はクリボーにぶつかっただけで死んだマリオだ……

クソゲーだよこれ。

ろう学校にいた時、友達と遊んでいた時が幸せと前回書いたけど、

それは周囲の大人の暴力から逃げられるからだった

子供同士の雰囲気があればそこに暴力しようと介入してくる大人もいるまい


ろう学校の授業中は先生という名の大人達に沢山暴力され怒鳴られてきた


家に帰れば親と言う悪魔にいつも殴られ蹴られ怒鳴られてきた


まず朝、私は朝に弱くなかなか起きれない子どもであり、

ご飯も食べるのが嫌いなので朝ごはんはなかなか食べられなかった

だから残したくても残せず、

残したら案の低、母から暴力された。


そして母に車に送られて通っていたが、遅刻ギリギリでいつも登校していた。

しかし遅刻する度にいつもいつも車内で暴力された。

信号で車が止まった時に、私の髪の毛を強く引っ張り怒鳴られ、

後ろの席にいると言うのに、体を乗り出して殴ってきた。


そして私は毎朝、ビンタされ赤くなった顔をして、しわくしゃに泣きながら教室に入っていた。


だから私は当時、信号機が怖かった。

信号機が赤になったら親に殴られる合図だ。

殆どこれが毎日あった。



やがていつしか気づいたら私はろう学校に通っていたが、

そこでは同じ耳が悪い同級生と友達になったけれど、

幸せだったのは友達と遊んでいる時だった

それ以外は地獄だった。



当時90年代半ばの時代だったから、

ろう学校の授業では典型的な体罰が多かった


私は悪い事はしないで良い子でいようという模範的な子供だった

だけどうっかり間違えた事があれば頭を殴られたり、体を殴られてきた

子供ならだれもがついやってしまい事でさえ、

怒る必要のない物でさえ殴られ体罰されてきた。


例えば、食事中に窓の外を見るだけでも怒られ、殴られた

体育の授業でプールなどでゴールまで行けば怒られた

授業で新しい言葉を学んだりする時、覚えられなければ殴られたりチョークを投げられた

こんなくだらない事で殴られるとか、意味分からなくない?


そして発音の訓練をいつも1時間以上延々とやらされるのだが

上手く発音できないと殴られたり、怒鳴られた

子供であった私にとって発音の正しさなんて分からなかった

日本語を話せてるんだから良いじゃんって感じで

なんでこんなに何回も何回も同じ言葉を発音させられるのか分からず、苦痛であった

この記憶は今でもトラウマとなっており、

将来英語を勉強した時発音の練習で、このトラウマを思い出すからこそ

新しい言語の勉強で発音の練習はどうもやるきにならないのだ。


海外に住んでると言うのに致命傷であるw


てかこんなに悪い事もしてないのに

理由なく殴られ怒鳴られるとか意味分からない。




今思えば、訴えられるよなぁ……

訴えればよかったなぁって思うから、

良く考えたら良い思い出じゃなかったのかもね


はぁ・・・・・なんで私こんな所にいたんだろうねw

耳の奪われた私は幼稚園ではなくろう学校の幼稚部にいた。


私は2歳から難聴になったけど、

正直、耳が聞こえていた日の記憶はない。


これでも最初の過去2年は健常者だったんだよ…。

そう思うと、生まれつき耳が聞こえなくなった子供とは違う悔しさがこみ上げてくる


不思議と耳が聞こえないけども、記憶にあるのは変な記憶しかない


いつも耳鳴りがしていた…耳鳴りがしたまま子供目線で見た地元の光景、

親によく耳鼻科に連れて行かれ、狭くて暗い空間で聴力検査とかされ

音の聞こえない中、大人はなにか神妙な顔をして会話してる

病院の待合室では目の前にいた女の子にバーカ、バーカと言われてるのが口で分かった


耳が悪かった分、私は見て行動しなければならないからこそ

本能的に直観が優れているようになった

それも思えばこの頃からだったのかもしれない


そのせいで人間関係に失敗したのは、どうなんだか…

複雑な心境である


思えば子どもの頃からプライベートで楽しかった記憶があまりない……

いつも病院にいた記憶しかなく、怖かった

そして親にいつも殴られ蹴られてきた記憶しかない