両国予備校 回想録 第4回
寮生のヤバさ
「遊びに行こうぜ」と誘われる。
両国予備校では、開業医の息子が本当に多かったです。私の小遣いは毎月3万円でしたが、周りでは毎月15万、20万もらうのが当たり前の世界でした。彼らは「うん、小遣いだよ」と普通に言っていて、それを聞いて本当にビビりました。
髪の色も違うし、ネックレスをつけているし、遊び方も大人顔負け。あまりにもお金がかかる遊びだったので、マジでついていけないと思い、距離を置きました。いわば「金持ちバージョンの不良」とでも言えるような感じ。
ただ、彼らも「親の病院を継がなければならない」としきりに言っていましたし、「今年ダメでも俺は5カ年計画」「医学部に入るまで浪人OK」などと普通に話していました。でも、彼らがその後、実際に医者になったのかどうかは今ではわかりません。
私がいた第61寮の末期は、受験ストレスで泥酔して夜中に帰ってきて寮監にめちゃくちゃ怒られる人もいたし、親に別にマンションを借りてもらってそこから予備校に通う人もけっこう出ていました。そういう人たちは、たまに寮に顔を出すような生活でした。
両国予備校で友達ができた
両国予備校での生活の中で、実は3人くらい友達ができました。最初は同じクラスで話が合って、励まし合うような仲でした。私は普通の会社員の息子で、友達の1人は公務員の家庭、もう1人は開業医の息子でした。(彼ら2人は私がいた寮とは別の寮生です)
嫉妬心
ある時期から、一人の友達がどんどん成績を伸ばしていって、模試で偏差値が70を超えるようになりました。その結果を見たとき、素直に「すげえ……なんでだ!」と思った反面、突然ものすごい嫉妬心が湧いてきて、「あ、俺はもう無理だな」って気持ちになりました。
授業をサボるようになった理由
それ以来、だんだんと授業に出るのが嫌になり、8月頃からはもう授業に出なくなりました。今思えば、親が450万円も払ってくれたのに、授業をサボるなんて本当にありえないくらいのダメな話だと思います。若い頃は全くそうは思わなかったけれど、眼精疲労や重圧、いろいろな理由はあったにせよ、「予備校できちんと勉強しなかった」という事実は、今になると心の底から親に申し訳なかったと感じます。でも、あの頃はそれが分からなかったし、現実から逃げたかった。
「付き合いきれない」と言われ絶交
予備校の授業に出ず、図書館や本屋さんに行く生活をしていました。寮の部屋では哲学書ばかり読んでいて、ニーチェやサルトルなどを本当に夢中で読んでいました。周りからは「何やってんだ」「医学部目指してるんじゃないのか?ありえんわ」と言われました。
予備校を毎日サボっていたことがバレて、その連絡が予備校から寮監にも伝えられ、寮監にも当然怒られました。結局、その友達からも「お前、信じられないわ」と言われ、絶交されました。「夏だぞ? 親の金で浪人してんだぞ? もう付き合いきれん」と。
あの瞬間から、関係は完全に断絶しました。その後、その友達がどうなったかは知りません。ただ、彼に紹介されたもう一人の友達は私立大学の医学部に実際に進学しました。今でもたまに連絡を取る仲です。
哲学と、悩まされた眼精疲労
正直に言いますが、当時の私は本当に勉強をしませんでした。模試の成績はひどかったし、カリキュラムを無視して哲学書ばかり読んでいたのも事実です。本音でいうと、受験勉強ができない言い訳に、自分は哲学を知ることであえて独自の論理を作り上げ、自分を納得させようとしていただけなのかもしれません。
ただ、これも全部言い訳だと分かっています。眼精疲労で本当に目が痛く、長時間机に向かうのが辛かったのも本当だし、友達に勝てないと自分で決めつけてしまった弱さもありました。
それでも、やっぱり言い訳がしたい
それでも、今でも思うんです。もし当時、死ぬ気で予備校のカリキュラム通りに毎日6時間、きちんと勉強していたら、もしかしたら地方の国立大学の医学部に入れた可能性はあったかもしれない。自分でそう信じている部分もあります。
金沢医大や埼玉医大などの私大医学部だと、学費だけで6年間で6000万〜1億円かかると予備校の講師から言われていたし、中堅の私大医学部でも6年間で4000万はかかると言われていました。
三者面談でも「私大はすべて除外」と親から伝えられていて、普通のサラリーマン家庭ではとても出せる金額ではありませんでした。実際、全体としては全然ダメでしたが、特Gクラスにいた頃に部分的にすごく成績が上がった科目もありました。自分でも「お、これは手応えがあるな」と思えた瞬間が確かにあった。全部がダメだったわけじゃない。そういう小さな成功も確かにありました。
でも結局、国立大医学部に入るためには5科目全部を高水準にまとめないといけない。それができなかった。それが現実であり、私の浪人生活の結果です。それでも、あのとき哲学書に逃げ込んだ自分も、成績が上がった自分も、全部含めてそれが私の予備校生活でした。今振り返ると、それもまた大切な記憶だと思います。
※次回で両国予備校 回想録 最終章(第5回目)となります。読んで頂けると幸いです。
