メンサって知ってますか?
私は以前、「自分のような特殊な悩みを抱える人はいないだろう」とずっと思っていました。でも、メンサではその悩みを共感し、理解してくれる人に出会えたのは、私にとって大きな財産です。
IQが〜だからとか、人に自慢したいとか、こういった浅はかな考えで入会しても面白さ感じないと思いますね。そういう人は自然と辞めていきます。メンサへの入会の価値を決定するのは、異質な悩みがあるかどうか、です。ここがポイントです。
メンサに入ることで、同じような価値観や経験を持つ方々とのつながりができ、「自分と同じだ」と感じられることで心の安らぎを得られます。これってすごいことだと思いませんか?
私はメンサに入って、人生の苦悩の6割が軽くなりました。私自身、映像記憶が極端に発達していて、良い記憶も嫌な記憶も鮮明に覚えてしまいます。良い記憶は楽しく、頭の中でビデオテープのように再生できるのですが、嫌な記憶は色付きで鮮明に蘇るため、数百日前の出来事でもリアルに思い出されて苦痛を感じることがあります。これは本当に辛いんです。地獄ですよ..
さらに、先のことを考えすぎる癖があり、時には30年、40年後の出来事を月単位、1日単位でシミュレーションし続けてしまい、頭がぐるぐる回るような辛さも経験しています。こうした悩みをメンサで共有すると、同じように未来を考え込んでしまう方や、記憶や感覚が強い方から共感やアドバイスをもらえて、安心感を得られます。これはマジで本当に助かります!
この苦痛は自分だけじゃないんだ!やったー!ってなります!
他にも、哲学的な疑問に悩むことも多く、「存在とは何か?」という問いが頭から離れないことがありました。時には眠れなくなるほど深く考え込んで、「こんなくだらない事を考えている自分に価値はあるのか」と自問することもありました。しかし、同じように「存在」について興味を持つメンサの友達と話すことで、孤独感が薄れ、逆に支えられるような気持ちになるんですよね。
それだけじゃなく、社会の不条理や人間の多様性についても疑問を抱くことがあります。ヒトは生物学的には同じ人間なのに、知能や体力、社会性に明らかな個体差があるのは…なぜだ!?みたいに。人間という生き物だけが、他の動物には見られない大きな違いを持つことに違和感を感じちゃうのです。
そして、「大人社会も子供社会の延長ではないか?」と感じることも少なくありません。こうした社会の複雑さや不条理を考える私ですが、メンサにはそうした疑問を共有できる人が多く、心の負担が軽くなると感じています。
ただ、残念ながら、メンサ会員であることによる社会的な利点を感じたことは一度もありません。特に日本ではメンサの知名度が低く、「メンサとは何ですか?」と聞かれることがほとんどです。それ以上の会話に発展することも少なく、メンサが「高IQ団体」と理解されても、社会で有利に働くことはほぼないのが現実です。むしろ、学歴や資格といった具体的な実績が評価される傾向が強いと感じます。
ところがアメリカでは、メンサが一つのライセンスのように捉えられ、履歴書に記載したり、推薦入試などで有利に働くことがあるらしいのです。
どうも日本ではメンサがエンタメの一環と見られがちですが、マスコミもわざとメンサ芸能人を使い、エンタメに落とし込んでいるのでしょうね。 即ち、メンサというワードを祭り上げて結局、バカにしているわけですよ。というわけで、もし社会的な評価を目的とするなら、メンサに入るのはやめた方が無難です。
でも、メンサは高IQという側面よりも、
「マイノリティな嗜好性を持つ、好奇心旺盛な団体」としての価値は確かにあると思います。私自身もその部分に価値を見出しているので、会員を続けています(*^^*)