両国予備校 回想録 第3回目
両国予備校の入学式で、歌手の渡辺美奈代さんが来た事を前回お話しましたが、今回はその続きです。
両国予備校での入学式とコンサート
カメラを抱えた予備校生たちが、コンサート会場のステージ下に集まり、渡辺美奈代さんのスカートの中を撮影しようとしていたんです。これ割と会場で大きくトラブルになり、渡辺美奈代さんも怒る結果に。。
...これには驚きましたね。これは私が所属していた寮生ではなく、別の寮生です。医学部目指すような予備校にもこういうヤンチャな野郎がいるわけですよ。
しかもカメラだけは高級そうな本格的な一眼レフカメラ。会場はざわつく有様です。最終的にコンサートは無事に終わったものの、静かな予備校生というイメージは私自身の中で完全に崩れ去り、これから私は両国予備校に適応していけるのか不安が襲った瞬間でもありました。
両国予備校のクラス分け
両国予備校に入学する前に、各教科の学力テストを受けさせられていたので、おおよそのレベルは把握していましたが、まぁ、結果は散々たるものでした。
まず、私が両国予備校に入学した当時は上から順番にA〜Z、そしてさらに下の特Gクラスまで、各教科、細かくクラス分けが行われていましたが、結果は、ご想像にお任せします。但し、生物と数学以外は、とてつもなく、成績は悪かったです。
(注)当時の数学の科目は5科目選択。数1、基礎解析、代数幾何、微分積分、確率統計でした。そしてセンター試験では数1と数Ⅱに分かれていました。理科は物理と生物の2科目を選択。あとは、英語、国語(現代文+古典)、世界史です。
本格的に始まった授業
英語の授業。
ヒゲを生やした英語の予備校講師から、
信じられない言葉が。
まぁ、クラスがヤバいくらい下でしたから仕方ない面もありますが...
「どうせ、お前ら、医学部なんて入れないよ。そんな学力で笑えてくるわ。あのな、両国予備校は、もともと学力が高い生徒(偏差値65以上)が入寮し、医学部に入ってるんだ。お前ら両国予備校に騙されたな。CMなんてそんなもんや」
(当時、実際に講師からこのようなニュアンスの言葉を言われました)
授業に集中できない
どうしても集中できない。長テーブルに、隣にピタリと他の生徒が授業を受けてるのですがそれが嫌で嫌で、ぜんぜん授業に集中できませんでした。おまけにすぐに腹痛...。
特に4月は、授業の苦痛に耐えるだけの毎日。そして、例えば、物理の授業が終わると、今度は数学などで、いちいち教室を移動しなければならない。これがクソめんどくさくて、6階から降りて、校舎から出て3号館4号館とか他の校舎に移動するわけです。そして夕方まで、指定されたクラスに移動を繰り返し、授業を受ける。そして帰ると、寮生活。
授業に出ても勉強するというより、寮生活の人間関係に慣れることのほうが気になってしまい、ぜんぜん勉強に集中できない。寮に帰宅後、しばらくは、疲れて机に向き合いながら、寮監にバレないようにずっと寝ていました。
ドアの施錠は禁止、寮監が1時間ごとにドアを開いて「勉強してるか?」と1階から4階までの全ての部屋をチェックされます。
そんな生活が続き、5月前半、「家に帰りたい」というホームシックにかかりました。で、ゴールドデンウィークは、殆どの寮生はみんな自宅に帰るのですが、親から、
「4月の半ばに入寮して、すぐに帰るんじゃない、寮で勉強しとけ」
と言われ、しぶしぶ、寮生活を過ごしました。
意外にも気楽な寮生活
他にも10人くらいは残っていた記憶がありますが、ゴールドデンウィークは、けっこう伸び伸びして過ごせた記憶があります。風呂も長く入れたし、部屋で勉強しなくても、その時だけは、寮監は見回りにも来ませんでしたからね。
テレビなどは禁止ですから、1時間くらいだけ勉強して、あとはずっとウォークマンを聞いたり、隠し持ってた漫画を読んだり、寝っ転がったりしてました。部屋はワンルームタイプで、ベッド、机、エアコン完備で、風呂、トイレは共同でした、他の寮生がいない分、ある意味、快適。その期間だけは。
でも、なんとなく、心の底で、
「帰りたい、まだ、6月、7月、8月もある、そして冬まで..長すぎる....私は両国予備校やっていけれるのか.....」
と思いました。
※次回は、第4回目となります。次回のテーマは「予備校で友達ができた」「悩まされた眼精疲労」「嫉妬心」「絶交」「寮生のヤバさ」「アイツが医学部」(全5回シリーズ)
