両国予備校 回想録・第2回


時は1992年4月下旬。私は両国予備校・大阪校(第61寮)に入寮しました。

入寮前の課題


入寮までに、予備校から「これを覚えてきなさい」と専用の英単語帳が渡されました。高校卒業後の3月半ばから入寮するまで、週に一度、英単語テストを受けに大阪校へ通うように指示されていました。

私は名古屋駅からアーバンライナーに乗り鶴橋駅へ、そこから地下鉄で布施駅まで行き、両国予備校で毎週のようにテストを受けました。毎回、単語帳から500語を暗記しているかどうかを確認され、トータルで5500語ほど覚える必要がありました。3月中旬から4月中旬までの間に、少なくとも6回は通った記憶があります。


はじめての寮生活


入寮したのは、たしか4月15日ごろ。両親と一緒に車で高速道路を使い、兵庫県尼崎市にある第61寮へ向かいました。

初めての寮生活...。どんな人がいるのか、気が合う友達はできるのか。不安と緊張でいっぱいでした。

寮に到着すると、すでに多くの寮生が到着しており、廊下では談笑したり、荷解きをしている姿が見られました。私は軽く挨拶を交わしながら、自分の個室へ。

私のフロア(2階)は全員が医学部進学課程の寮生で、親が開業医という人が7割。あとの3割が高校教師や国家公務員、そして私のように一般企業の会社員の子どもたちでした。

父に「大丈夫か? やっていけそうか?」と聞かれ、私は緊張しながらも「うん」と答えたのを覚えています。母は、両隣の寮生にまで「うちの息子をよろしくお願いします」と挨拶して回っており、少し恥ずかしく感じました。今思えば、母の振る舞いは少し過保護だったのかもしれません。

そして、いよいよ一人きりの空間。部屋のドアをそっと開けて、廊下に出ました。


寮生活スタート


廊下に出ると、両隣の寮生から「よろしく」と声をかけられ、私も「よろしくです」と挨拶。2人とも2浪生で、私より1つ年上。初日に気さくに声をかけてくれたことで、少し安心したのを覚えています。


初日の夜:全寮生集合


その日の夜、1階の食堂に寮生全員が集合。1階から4階まで、50人近くが集まりました。寮監の挨拶のあと、全員が自己紹介。金髪やネックレス姿の、ややヤンチャな寮生も見かけました。

寮監からは、翌日の入学式についての説明がありました。場所、時間、各自での移動などが伝えられ、いよいよ浪人生活が始まる実感が湧いてきました。でも、その夜は、食堂で夕食を食べたあと、自室に戻ってすぐに眠ってしまいましたね...。

ちなみに「医者の子=真面目そう」という印象を持たれがちですが、私の経験上、そういうタイプは全体の3割以下。実際には、髪型や服装が派手な人も多く、愛知から出てきた私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。

大阪校とはいえ、東京校が満員だった影響で、大阪に入ってきた生徒も多く、東京出身者が目立っていたのを記憶しています。


入学式


翌朝6時半、寮内に音楽が流れ、それが起床の合図。ぞろぞろと寮生たちが食堂へ向かうなか、私も流れに乗って朝食をとりました。内容は、焼き魚・サラダ・卵焼き・味噌汁といった、ごく普通の朝食。ご飯はおかわり自由でした。

その後、同じ階の寮生5人ほどと一緒に入学式会場へ向かいました。会場には1000人以上の生徒が集まっており、その熱気に圧倒されました。

開会の挨拶のあと、驚いたことにアトラクションが始まりました。私のときは、なんと渡辺美奈代さんが登場。ミニコンサートが行われ、その後にはお笑い芸人の登場も。これから浪人生活が始まるというのに、暗い雰囲気は一切なく、まるで祭りのような入学式でした。そして渡辺美奈代さんのコンサートで、思わぬハプニングも...。続きは次回..。

画像は寮のイメージです(実際、こんな感じの寮でした)



次回予告

次回は、入学式のハプニング、両国予備校のクラス分け、そして本格的に始まった授業について書いていきます。