残したい想い
掲載されなかった理由
全国紙の朝刊には、読者から寄せられたエッセイがほぼ毎日のように掲載されているエッセイ欄があります。私が投稿した「感謝のペットボトル」というエッセイは、残念ながら掲載されませんでした。その理由について、私なりに考えてみました。
まず、テーマが少し重かったことが挙げられます。さらに、競争率の高さに加え、編集部の好みなど、総じてこの新聞社のエッセイ欄の掲載傾向が変わった可能性も考えられます。最近は、日常の軽めのささやかな気づき、日本の伝統文化、太平洋戦争、神社、仏閣、城という誰もが知る歴史建造物、歴史的な出来事などを背景に綴ったエッセイへとシフトしているのかもしれません。
あと、独身者が増えている現代では(ちなみに私の友人も独身です)、夫婦間のエピソードは共感を得られにくくなっている可能性もありますね...。
以上、それらの理由が複合的に働き、このエッセイが編集部で敬遠された理由かもしれません。
ただ、このエッセイは、私の人生の中でも特に強い思い入れがあり、決して忘れることのできない重要な出来事を綴ったものです。
感謝のペットボトル
昨年、肺炎で入院した。高熱と息苦しさに耐えながら、ただ天井を見つめる日々。体力の衰えを実感し、病室のベッドでその現実を突きつけられた。
そんな中、仕事終わりの妻が毎晩来てくれた。ある日、小さな台車にペットボトルを載せ、息を切らしながら6階の病室まで運んできた。額には汗が滲んでいる。冬なのに。
「そんなに無理しなくても」と言いかけたが、彼女はいつものように「ほら、水」と笑う。
その瞬間、ある記憶が蘇った。新婚旅行のとき、熱中症で倒れた私のために、彼女が汗だくで水を買いに走ってくれた。あれから二十数年。また水を運んでくれている。
退院後、並んで歩く妻の背中を見た。小さい。その背中が、ずっと私の人生を支えてくれていた。
今まで、どれだけ感謝を伝えてきただろう……。
「ありがとう」と言いかけた。でも、なんだか照れくさい。
代わりに、妻の大好きなオレンジジュースをたくさん買い、黙って差し出す。彼女は不思議そうに笑いながら、それを1本手に取った。
「次は、俺の番だな」
くすっと笑う声が聞こえる。その瞬間、手にしたペットボトルの袋が、ふっと軽くなった気がした。
重田弘之(51) 愛知県犬山市