過集中の体質について 


 私は時々、考えすぎてしまう。興味を持ったことを調べ出すと、頭の中で思考が止まらず、他のことが手につかなくなることがあります。これね、本当にきついんですよ。めちゃくちゃ集中するんだけど集中力が止まらない。で、疲れる。疲れても、また集中してしまう。


食事を取るのを忘れることもあるし、妻から「せっかくご飯ができてるのに、また食べてない」と注意されることもあります。 実はこの特性は子供の頃からずっと続いているんですよね。小学校時代の成績表には、担任教師のコメントに6年間ずっと「集中力があるが、その集中力を授業中に活かしてほしい」と書かれていた(;^ω^)


集中力


ただ、その集中力は学校の授業とは全く関係のない方向に向かっていました。例えば、小学生の頃、円周率を延々と記憶したり、ラグビーボールが楕円形なのにサッカーボールはなぜ丸いのか?スポーツで使うボールはなぜ球体なのか?といったことをひたすら考え続けたことがあります。 さらに、「サッカーボールと鉛筆はなぜ同じ速度で落下するのか?」 ということが気になり、実験してみたりもしてました。あと、ひたすらミニカーを1000台くらいコレクションし、ミニカーのリアバンパーのある後部からの視点ばかりの絵を描いたりね。


  「くだらないことに集中するな」


これ、父親からいつも言われていた言葉です。学校の教師が、いちいち「他の事に集中していて勉強に身が入ってない」と言うもんだから、 父親には何度も怒られてました。小学5年生の時、「サッカーボールと鉛筆はなぜ同じ速度で落下するのか?」という疑問を延々と考え続けていたら、「そんな無意味なことを考えず、勉強とか成績とか良い学校に入ることを考えろ!じゃないと自分が損するぞ!」と 言われ続けました。


    大人になっても何も変わらない 

 

こういう「無意味なことに没頭する」性格は、大人になってもなかなか直らないですね...。経営管理学や起業家マインドについて学んでみたりもしたが、結局、考えてしまうのはそういう実利的なものではなく、「球体の合理性とは何か?」「ラクビーは不合理を意図的に取り入れているスポーツなのか?」といったような、何も利益を生まない子供時代の思考ベクトルに向かってしまうんですよ。要は、金にも、利益にもならないことばかり考えてしまうわけです。資本主義社会の中では、こういう生き方は「落伍者」と見なされるのかもしれない。正直、お金を稼ぐ人がすごいのは事実だし、世の中の仕組みがそうなっている以上、それを否定するつもりもない。でも、弁解するつもりはありませんが、だからといって、自分の興味や思考の価値がゼロだとも思いません!

(思いっきり弁解か(;^ω^))


気分を紛らすために書く


だから、考えすぎて疲れた時は、気分を紛らわすために文字の落書きをしたり、思考を整理するために、色々と書いたりすることがあります。考えすぎてしまうのは、もうどうしようもない性格なんだろう、って思うから。それなら、文章を書くことで少しでも気持ちを整理した方がいい、そう思いながら、今日もまた何かを書いている。


たまに、気づかないほうがいい、それが一番の幸せと思う事もあります。なぜならば、気づかなければ、思考は生まれないしね。


重田弘之 プロフィール