広島 原爆投下


今日は広島に原子爆弾が投下された日です。この日が訪れるたびに、私は「許せない!」という強い感情が湧き上がります。ほんとに腹立つ。


アメリカは広島に投下した原子爆弾に「リトルボーイ」、長崎には「ファットマン」という名前を付けました。これにより、爆弾が擬人化され、巨大なエネルギー体がまるで自国の味方であるかのような錯覚を生み出しました。このようなネーミングが、戦後79年が経過した今でも原爆の正当化を助長していると感じます。


一般市民を無差別に殺戮したアメリカの行為は、決して忘れられてはならない。 


 では、戦争を防ぐためには何をすべきか。単に理性とAIを駆使して、戦争が起こらないような機械的な新システムを構築するだけで十分か。それとも、「絶対に戦争はダメだ!」という強い感情を持つべきなのか?  


私の考えでは、両方が必要だと思います。


具体的には、「絶対に戦争はダメだ」という強い感情の上に、理性が構築されるべきだと思うのです。例えば、「こんなの絶対に間違っている!」という直感的な感情は、戦争を防ぐために非常に重要です。感情は大きな力を持ち、時として人へ伝播し、大きな集団力学として機能します。感情が理性に影響を与え、理性がその感情に基づいて行動を導くことで、戦争を未然に防ぐための強固な基盤が築かれます。


単なる感情や理性のどちらか一方に頼るのではなく、両者のバランスが取れてこそ、戦争防止のための実効性が高まると私は考えます。冷静さや理論のみではダメ。基礎土台として「絶対に許さない!」という強い感情が必要。

 


 『戦争は絶対にダメ!』