皆様、こんにちは。 


先日、私の投書が朝日新聞に掲載されました。この機会に、チャットGPTについての考察をより深めて、今後の社会変革の予想もしてみたいと思います。 


まず、私はチャットGPTを否定するつもりはありません。適度な距離感の必要性を体感したため、今は便利なものほど距離感が大切であるという心境に至っています。事実、チャットGPTは非常に便利です。こういった便利なものは社会に深く浸透していくべきだと思います。 


しかし、あまりにも無制限にチャットGPTが浸透していくと、その副作用として、これまで人間関係を簡略化する便利なツールとして利用されてきたメールやチャットによる文字でのやり取りの信頼性が大幅に低下する可能性が高まるように感じます。なぜなら、それは「その人物が書いていた」という前提によって支えられていた面が大きいからです。 


つまり、AIが日常生活にますます浸透するにつれて、その前提が揺らぐため、今度はその人物の創造性や思考の信憑性を確認するために「会話」の重要性が非常に増す可能性があるということです。それはそれで良いんですけどね (^_^;)


今のようにAIが、機能的にまだまだ不完全で微妙なうちはいいんですよ。しかも、AIを活用する人、しない人が混ざっていますから。そして便利で最先端ということもあって、その珍しさから多くの人が飛びつくことも極めて普通の社会現象です。しかし、人間とは不思議な生き物で、便利さがとてつもなく台頭してくると、それがいくら便利でも突然物足りなさを感じ、飽きる習性があるように感じるんですよね。(チャットGPT利用率が、国民の8割となった状況を仮定した場合)


人間というものは、不合理さや非論理性を好むことも多く、論理的に考えてどう見ても速さが求められる状況でありながら、時として速さを意図して落としたり、遅さを好んで求める考え方や下心などを持つ実に複雑な生き物だと思うのです。


もう少しテクノロジーの使用範囲を広げて考えていくと、皮肉にも、AIが広く深く浸透した社会の行き着くところは、筆記重視の試験(デジタル機器によるカンニング)よりも面接重視の試験(口頭試験)遠隔セッション(その人物が本当に行っているのか、または存在しているのか定かではない)よりも直接対面メール(AIが0.5秒で瞬時に生成した文章)よりも心を通わせた直接会話というように、最終確認は人間が行うというアナログ重視に戻る可能性すらあるように思います。今すぐとは言いませんが、2030年頃でしょうか。

 

「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、基本的にはそのような動作メカニズムで今後も社会が再構築を繰り返し、人類の意志も動いていくように思います。例えるならば、あらゆるものが球体や円のようになっており、ある地点からスタートしてまた元の地点にいずれ戻るというイメージに近いかもしれません。何事もそれが真理ではないかと思うことがあります。 


試験や審査、入社面接などは全て変化していくでしょうね。


でも戻る(笑)


現在の不完全なAIから、完全なAIの登場は、皮肉にも人間関係をよりデジタル媒体を介さない関係性に必然的に戻すかもしれません。これは良いことかもしれないけど (^_^;) 


断っておきますが、私は科学懐疑論者ではありません。個人的にはSFが好きで、デジタルテクノロジーは大好物と言っても良いくらいです。Newtonなどの科学雑誌は子供の頃から大好きでした。しかし、どの角度から考えても映画のようなSF世界は到来しないと考えます。AIが最高潮にまで社会に浸透した瞬間から、シンギュラリティどころか、人類は回帰するかの如く一気にアナログ社会へ戻り、特に人間関係においてはAIと役割分担、ある種の棲み分け、または切り離しを行い、昭和時代、もっとそれ以前の文化を欲望し、昔のものが突如として流行ったりなど、あらゆる場面において「戻る」という現象が頻発する気がしてなりません。 

 

よく数式を用いてデジタル計算で最先端のコンピューターを用いた未来予測がありますが、これどうなんでしょうねぇ…。物事は確率的に振る舞い、全く予測不可能な事象に至ることもありますからねぇ。まぁ、私の近未来の仮説も含めてですが (^_^;)

 

人間とは方程式通りにいかない、実に不思議な生き物なのだとつくづく感じます。


 皆さんはどうお考えですか?