登城日 2019.7.27 NO.13(37/100) 白河小峰城
ここは1340年結城親朝により築城とされていて、その後丹波長重により大改修が行なわれ最終形となったとのことです。
最後は、1871年戊辰戦争で消失![]()
現在では、立派な三重山櫓が再建されており、戊辰戦争時の銃弾による弾痕のついた板が櫓の床に使用されていたりして、かなり見応えがありました。
また、東日本大震災のときに石垣が大規模に崩落したそうですが、現在では概ね修復され美しい姿を見ることが出来ました![]()
NO.11(38/100) 二本松城
白河を後にして、二本松城に登城。これで100名城中38番目となります。
ここは、1413年畠山満泰により築城とされ、霞ヶ城・白旗城とも呼ばれています。
落城は白河小峰城と同様、戊辰戦争による焼失ですが、このときの「少年隊の悲劇」は、会津藩の白虎隊同様胸を打たれる史実として受け継がれています![]()
ここは、箕輪門と多門櫓が再建され「少年隊」の銅像と共に素晴らしい姿を見ることが出来ました。
また、天守台や本丸石垣は壮観で、天守台の上からの眺めとともに感動させられました![]()





