日本にとって
広島に次いで2発目の原子爆弾が
長崎に投下された
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アメリカはこれほどの無差別大殺戮兵器を
何の警告もなく広島、長崎と落としたのだ
しかも
何が何でも一般市民の住む都市に落として
その破壊状況、人体に及ぼす影響を確かめなければならなかったという
そう
彼らにとってこれは実験なのである
人間ではなくサル同然にしか見れない黄色人種に対する
彼らにしてみればこれは動物実験と同じなのだ
その差別意識は
戦争末期アメリカ兵による
日本人戦死者の頭がい骨を記念として本国に送るという悪習が盛んであったことからも
見てとれる
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追記
こちらの資料も是非ご覧ください
そんな地獄のような(まさに地獄である)被爆下において
自らの命をも賭けて必死になっていた人々がいた事を
我々は忘れてはならない
永井 隆 博士などは特に有名であり、ご存知の方も多いと思われる
そして65年
多くの方々の尽力により
広島、長崎は驚異的な復興を遂げた
しかし、その受けた多大なる犠牲や傷痕は
どれほど歴史が流れていこうとも消えるものではない
今を生きている我々は
その事実と想いを引き継いで
次の世代へと伝えていくべきである
最後にラダビノード・パールの1952年広島で開催された
世界連邦アジア会議での講演より一部を紹介する
「民族問題、あるいは人種問題が、いまなお、未解決のままに放置されているという事は、我々の断じて容認し得ないところである。しかもこの問題は、西洋諸国において相当責任があるという事を私は断言する事が出来る。」
「私は人種問題、民族問題を除外して、永久平和も世界連邦もないと確信している。」
(原爆投下に対して)
「これは一種の実験として、この日本に投じたのである。」
「これを投下したところの国から、真実味のある、心からの懺悔の言葉をいまだに聞いたことがないのである。」
「われわれはこうした手合と、ふたたび人道や平和について語り合いたくはないのである。」
