何気なく過ごした今日は27年前に阪神淡路大震災が起きた日です。

時刻は午前54652

震源は兵庫県北部、マグニチュードは7深さ16km


私は当時0歳なので記憶は無い。

母の話によると当時、私は兵庫県に在住していた。


【母談、聞き取り】

『何故かその日に限って目が覚めた。
午前5時半いつも起きない時間なのに。
変に思って、二度寝しようかなと思っていると、暫くするといきなりガタガタと地面の中で、何か大きなダンプカーが動いてるような感覚に襲われた。


「え?これって何?」


地震だと言うことに、直ぐには気が付かず、とにかくドドッと地鳴りがしたと同時に大きな音がして

凄く大きく揺れ始めた。


もう起き上がる事も出来ず、布団の中で動けずに居た。
「た、助けて!!こ、怖い!!」
そう思ったけど、声が出なかった。

添い寝していた私をギュッと抱きしめ横揺れから縦揺れに変わった。
揺れる時間はどのくらいだったろう。

物凄い長い時間だった。
やっと揺れがおさまってきて、隣に寝ている主人の顔を見た。


2
人して呆然としていて、何が起きたのか全く分からない状態だった。
その時やっと地震だったということが分かった。とりあえず家の中を見てみると、幸い家具が倒れたり、物が落ちたりと言うことは無さそうだった。
部屋自体も崩れたりはしてなかった。
テレビをつけてみる。
テレビはちょうど朝の生放送中の番組だったので、凄く焦っていた。
そして、ようやく大きな地震が起こったことが、ニュースで流れていた。
住んでいた場所は全く地震と無縁だった。こんな大きな地震が起きるなんて信じられなかった。
そして、時間や日にちが経つ毎に、酷い被害の惨状と、亡くなった人の多さに絶句したものだ。

こう言ったら語弊があるかもしれないけど、私自身もし被災地が少しでもずれていたら、どうなっていたか分からない。
何が起きるのか本当に分からない』母談。


地震はいつどこにやってくるか分からない。
大切なのは、この起きた震災を教訓にし、被災したらいかに生き延びるかを学んで行かなくてはいけない。
そしてこの阪神淡路大震災の事を、いつまでも忘れないように、語り続いて行かないといけない。
たくさん亡くなってしまった人がいること、そして明日も生きて生きて行きたかった人の事を思うと残念でならない。

その後、力を合わせて復興を頑張った人達がいることを、忘れてはいけない。