昨日、NHKの番組で、一人のチャイルド・ライフ・スペシャリストの女性のドキュメンタリーが紹介されていました。


聞き慣れない職業ですが、「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」とは、


「病院生活における子どもの精神的負担を

 できるだけ軽減し、

 子どもが「子どもらしく」

 過ごせるように支える職業」


で、現在、日本ではわずか31人しかいないそうです。

https://www.kango-roo.com/work/2275/

病気治療と将来の不安の中で苦しむ、余命短い子どももある中で、彼らの気持ちに寄り添い支える日々。


番組の中でその女性は、子どもたちとの会話で気をつけていることについて、次のように語っていて、深い感銘を受けました。


「自分が、相手の子どもの話を聞きたい、

 言いたい』と思った時点で、

 それはその子どもを

 真に大切にしてはいない。

 たとえ、良かれと思ってしたことでも。


 子どもが話したい、聞きたいと思った時、

 そのタイミングで、相手の気持ちを

 受けとめて、聞き、話すことこそが

 するべきことだ」


自分のしたい時に

自分のしたいことをして、

自分の言いたい時に

自分の言いたいことを言って、

自分の聞きたい時に

自分が聞きたいことを聞く


そうではなくて、


相手の様子を常によく観察して、

相手のしたい時にその気持ちを察し、

相手が言いたい時に

相手の言いたいことを聞き、

相手が聞きたい時に

相手が聞きたいことを話す


相手の話す速さに合わせて

相手と共に紡(つむ)いでいく会話


相手が求めているタイミングで応え、

決して相手を否定しない


そういう姿勢がデフォルト


それは、婚活のおつき合いでも共通して

大切なことと感じました。

「婚活疲れ」ということばがあります。


「もういいかな」

「疲れた😮‍💨…」


と思いたくなる時がありますよね。

ある人が婚活に疲れない方法を教えてくれました。


「婚活とは

 結婚できるまで続けること」


結婚できるまで

あきらめないで

バッターボックスに立ち続けましょう!


あきらめないでください。

必ず道は開かれます!

思ってもいなかった方法で!!

「磨く」こととは、


1. 物の表面を研いでなめらかにする。

2. こすって汚れをとったり、

 つやを出したりする。

3. 念入りに手入れをして美しくする。

(Weblio辞書)


とあります。


くっついている汚れや余計なもの

表面のザラザラやでこぼこを削って

内面に隠れている美しさを

見えるようにすることですね。


婚活で磨かれるとは

どういうことでしょうか。


「男性は女性によって磨かれる」

と言われます。


ひとりの男性が

素敵だなと感じる

ひとりの女性との出会いをきっかけに

目をひるがえして自らの姿をふり返り、


自分がその女性に見合う男性、

より良い自分となろうと願って、

自ら進んで自分を磨こうと思えたら

すばらしいことです。


女性も同様ですね。


えてして、恋愛や婚活の中で

人は自分を見ようとせず、

自分が願うこと、したいことで

頭がいっぱいになり、

相手にして欲しいこと、

相手に求めることが

思考のメインになってしまって、

不安と不満で

頭がグルグル回り始めることが

あるかもしれません。


そうではなく、


「自分はこの人のために

 何ができるだろうか?」

「何をしたら相手が喜ぶだろうか?」

「自分は相手に何を与えられるだろうか?」


と考える習慣を身につけて、

普段からも周囲の人と接している人の思いは

その人の人間性を形作ります。


人への思いは自分にはね返って来ます。


ザラザラでこぼこした

自己中心のエゴは、

相手からも同様な

自己中心のエゴを引き出し、


なめらかで美しいつやのある

人のしあわせを願う祈りは、

相手からも同様な思いを引き出し

その人自身もしあわせにします。


今この瞬間の在り方が

自分の未来を創っていきます。


ですから、

婚活する中で

他人との関わりの中で

つらいところを通っても、

「振られたり」

「断られたり」

ということはありません。


あるのはただ、


「ああ、この人は今、

 わたしを磨いてくれているんだ」


「わたしの本当の価値が

 黄金のように光り、輝き出て

 周りを照らす人になるようにと

 わたしを助けてくれているんだ」


 その人は、次か、

 次の次に待ってくれている

 運命の人に出会うために

 神さまがわたしのために置かれた


 試金石


 なんだ、

と思うことです。


おことわりされる経験には

他にもポジティブな面があります。


自分を受け入れてくれた人と出会ったときに

そのありがたさが身にしみて分かり

この人を大切にしよう

と思えるようになるでしょう。


そのようにして、

人に頼らずに

ひとりでもしあわせを感じて生きられる

矜持と誇りの、高さ、


そして、


「こんなわたしでもいいのですか?」

という心開かれた謙虚さの、低さ、


このふたつの不思議な共存が生まれ、

形作られているのが

自分が磨かれ

整えられた人の

特徴のひとつだと感じます。


人から求めずに

人に与え、

人から言われずに

自分から進んで行い、

自立しつつ

人への感謝を忘れずに、


結婚を勝ち取って行かれますように

祈ります。

前回の記事で、

「その人が結婚できるかどうかは、

相手の人に会う前にすでに決まっている

気がすると」お話しました。


もちろん、さまざまな方が

それぞれの形で結婚していくので、

「結婚できる人の特徴はこれです」

と決まってはいないでしょう。


しかし、その中のひとつに、

次のような特徴があると

感じます。


結論から言うと、結婚できる人の特徴は、

特定のお相手と出会う前に


自分の在り方が整えられている人


ではないでしょうか。


そのスタートラインとして


自分の気持ちに素直になって

嘘をつかないこと、


自分や人のあるがままを

穏やかに客観的に見ることができること


があります。


変えられるところは変え、

変えられないものは穏やかに

受け入れます。


時には、他のことすべて、

彼、彼女、婚活のことさえも忘れて、

自分にとって大きな価値と意味のあることに

夢中になって打ち込めるものを持っています。


男女関係でいうと、

自分を振り向いてくれない人に対して、


「こっちを振り向かせたい」

「追いかけたい」

「相手を操作して変えたい」


と思うのではなく、


人に言われなくても

自分自身が変われる人です。


結婚に対しても

自分に都合のいいところだけを

手に入れようとする人の手からは、

それはスルッと逃げていって、


結婚以上に、優れた資質と人間性を

身につけようと努力する人に、

それは向こうから降って来る


もののような気がします。


その人は、

心ある人から

振り向いてもらえる、


特に何もしなくても自然に

人が放っておかない人になり


客観的に安心して見ていられる

心身ともに健やかな清潔感をまとって、


人に期待せず、人から求めない


精神的に自立した人


です。


自分のしあわせを他人に依存せず、

今、この瞬間、ここにいる自分と人とを

ありのままに受け入れて

満足します。


人が自分にしてくれることによってではなく

自分ひとりでもしあわせになれます。


自分で自分のご機嫌をとることができます。


「心が整っている」とは、


自分が生きる目的

叶えたい夢や願い

自分がやりたいことの優先順位が

はっきりしている


こと、つまり


心の問題が解決していて

自分が解決している


ことです。


だからこそ、その人は自然に


人のことを心から大切にできます。


ここを目指しましょう。

一歩ずつでも。


偉くなくても

すごくなくても

誰に知られなくても

小さくても

認められなくても。


こういう人がいたら

周りの人が放っておかないでしょう。


このように、普段から


自分の在り方が整っている人


その人が願うならば、


結婚できるとすでに決まっている


と、言えるのではないでしょうか?

私たちは皆、

結婚相手を選ぶ時に、

自分が価値を感じる人、


外見も内面も

少しでも価値の高い人を!

と願います。


また、

相手から選んでもらえるように、

自分の外見や内面を磨いて

結婚相手としての価値を

高める努力をします。


結婚にフォーカスして考えたとき、


人間の価値


とはいったい何でしょうか?


いくつもある中で

外見の魅力に加えて、

内面の優れた資質として、


「相手の運命に関心を持つことができる」


ことがあると、

ずいぶん昔のものですが、

次の本を読んで思いました。


「出家とその弟子」

   (倉田百三著、岩波文庫、1917)

(青空文庫で無料で読むことができます)


浄土真宗の開祖、親鸞と

その若き弟子、唯円の

人生と恋愛に真摯に生きる姿を描いて

出版当時、青年たちの間で

バイブルとなった戯曲です。


発表当時、

浄土真宗の教義や歴史上の親鸞の姿と

異なっている、

また、

キリスト教の思想が多く入っていると、

仏教界、文芸批評家たちから

批判を受けたそうです。


しかし、

当時の若者たちの心の琴線に触れて、

記録的なベストセラーとなりました。


親鸞の愛弟子で純真な唯円は

あることをきっかけに、

年若い遊女かえでと恋に落ちます。


二人はプラトニックな関係ですが、

唯円は信徒の模範であるべき

清く厳粛な僧侶としての立場と、


清純な心を持つかえでへの熱い恋心と

二人して将来の結婚を願う

一途な想いとの間に挟まれて、

つらく眠れない、苦悩の夜を過ごします。


隠しようもなくやつれていく

唯円の姿を見て、

年上のベテラン僧侶たちは、

かえでと手を切るように迫ります。


「それはできません!」


自分の気持ちを偽れない唯円は

涙ながらに彼らに訴えます。


唯円は耐えかねて

信頼する師匠、親鸞に全てを打ち明けます。


以前から彼の様子を見て

ことを察していた親鸞は、

「聖なる恋」とは何か、

泣き伏せる唯円に、優しく諭します。


親鸞が語る

いくつもの心に触れることばの中に、


「愛は相手の運命を興味とする。

 恋は相手の運命をしあわせにするとは

 限らない。」


ということばがあります。


親鸞は

恋の只中で感情に振り回されている唯円に

問います。


「かえではお前をしあわせにしたか。

 お前は乱れて苦しんでいるな。

 そしてお前はかえでを

 しあわせにしたか?」


「恋人どうしは

 互いに呪いの息をかけ合いながら、

 互いに祝していると思っていることが

 あるのだ。恋人を殺すものもあるのだ。

 無理に死を強うるものさえある。

 それを皆愛の名によってするのだ。」


恋する人を、自分のものとは思わずに、

一人の仏の子、隣人、赤の他人として愛する

ように言われて、

「とても私にはできません」

と、人間の限界を訴える唯円に、

親鸞は静かに、


「(目をつむる)

 やはり祈るほかはないのだよ、

 おゝ仏さま、

 私があの女を傷つけませんように。

 あの女を愛するがゆえにとて、

 ほかの人々をそこないませんように。

 わたし自らを乱しませんように―」


ややもすると

自分の願いが達せられることだけになって

自分の思いの通りにならないならば、

大切なはずの恋人、

そのような状況や運命に不満を持ち、

憎しみ呪い、

果ては殺意を持つことさえある

のが人間の恋であり、


自分という人間と出会った相手の運命に

深い関心を持ち、

一人の人間としての恋人の人生を考え、

そのしあわせを願うのが、


聖なる恋


である


と、語っているのだと思います。



現代の私たちが

結婚を視野に入れておつき合いをする中で、


「自分は相手の人生をしあわせにする存在

 だろうか?」


「自分の存在は相手の運命にプラスになる

 だろうか、マイナスとなるだろうか?」


ふと立ち止まって、

自らに問う瞬間があるでしょうか?


自分は不完全だなと、謙虚に省み、

相手にとって、より良い存在となろうと

努力する人


人間としての成長を意識している人


そういう人は、きっと

デートで会ったときも、


相手を見てあげて、

その時、相手の感じている

痛み、疲れ、寒い、暑い、つらさ、

その人の人格を否定するような小さな出来事


を察する気遣いの眼差しを

自然と持つようになるのでは

ないでしょうか。


そういう思いやりの気持ちのある人は、

結婚した後も、

相手がさびしそうに、

悲しそうに、

元気なさそうにしていたら、


「どうしたの?」


と関心を持って聞いてあげられるでしょう。


人は皆、自分が一番可愛いくて、

自分のしあわせがまず第一です。


しかし、


「自分と結婚することは

 この人にとって益となるだろうか?

 この人をしあわせにするだろうか?」


と自らに問いかけて、

もし、ノーだと感じたら、

相手のために身を引く覚悟を持って

おつき合いをする


その人は、


相手の運命に関心を持つことができる


内面的に人間として高い価値を持ち、

恋から愛へと視点が高くなる

優れた資質を備えている


と言えるのではないでしょうか?


そういう人は、結婚した後も

しあわせな関係を築いていくでしょう。


より良い自分へと変わっていく努力ができる

向上心と柔軟性を持っている人


は最強です。


「最初は他の人よりも小さくても

 やがて誰よりも大きく成長する

 可能性のある人を見つける」


婚活の成否を分ける大切な視点の一つです。

そういう人と一緒に素晴らしい関係を

創っていきましょう。


親鸞は、「聖なる恋」の結論をこう語りました。


「いっさいのものに呪いをおくらない恋

 のことだ。仏様を初めとし恋人へも、

 恋人以外の人にも、また自分自身へも」


婚活をすることを機会に、

このような恋愛の高みがあることを知り、

そのような生き方に


憧れ


を持つようになる人もいるでしょう。


自分を磨くこと、

人間としての質、価値を高めることは、

その一つに、このような内面の成長が

あるのではないでしょうか。


「恋愛できる人と出会ったら

 私もそういうことをする」


と言う人もいますが、

そうではないと思います。


普段からの生活の中で

誰にでも同じ姿勢で

接することができている人が

「運命の人」と出会った時に

自然に普段からの自分のあり方、生き方が

出てくるのではないでしょうか。


もちろん、恋愛や結婚には

それぞれのカップルにとってのベストの形がありますが。


そういう意味で、

厳しい言い方かもしれませんが、


婚活をしても成婚に至る人が

とても少ない現状の中で、

その人が結婚できるかどうか、

相手から選ばれるかどうか、

は、相手と会う前に


すでに決まっている


ような気がします。