アキが学校へ行かれなくなってから1年4か月が経ちました。
休みだした当初はODだと考えずに、何が起こったのか全く分からない状態でした。その3か月後、ようやくODだと認識し、ゆっくりと休ませる覚悟ができたのです。
覚悟ができたとは言っても、それは表面的なこと、普通の生活を送れないことを受け入れる、高校生活を諦める覚悟でした。アキと向き合う覚悟はできていなかったかもしれません。
考えてみれば(当たり前だけど)、アキ本人が一番辛い思いをしていたと思います。体調はもちろん、学校へ行けないこと、普通に過ごせないこと。辛さと焦りでいっぱいだったのではないかと。
でも、あのころの私は、アキの気持ちに寄り添ってあげることができていたかどうか…自分の気持ちを落ち着かせるだけで精いっぱいだったように思います。
真っ暗闇のトンネルに、アキと2人だけ放り込まれたような気持でした。
いきなり変わってしまった環境に、主人も娘も協力してくれたことは確かです。それでも、2人だけで出口を見つけなければいけない気持ちでいました。
後ろを振り返れば、こんなことは夢にも思わなかった日々が明るく見えています。しかし、前へ進もうと思わなくても勝手にどんどん遠ざかって小さな光点に変わっていきます。
前を見ても何もありません。真っ暗で、出口があるのかさえ分からない状況です。
1年前はこんな気持ちで過ごしていました。
医学的には、体の成長と自律神経のバランスが取れてくれば治ってくる、それには1年かかるか、2年かかるか、場合によっては5年、6年…とかかるかもしれない、ネットからはそんな情報しかわかりませんでした。
5年?6年?そんなに経ったら二十歳を超えてしまうどころか、みんな就職して独り立ちしている…それから高校時代を取り戻すなんてとても無理…大学はどうするの?就職は?
いい歳して引きこもる姿が目に浮かぶようでした。
ODの発症は小学校高学年~中学頃が多いってあるのに、なんでアキは高校から?小学生から発症していれば、もう治っていたかもしれないのに…
小学生からこんな状態になったら、それはまた別の辛さがあると思います。アキだって小学生のころは元気いっぱいに走り回っていました。それができなかったら…わかっているけど、それでも、そんなふうに考えてしまうのでした。
この頃の状況、私が勝手に思っていただけかもしれませんが、
このトンネルはまっすぐまっすぐ続いていて、脇道はない、ひたすらまっすぐに進んでいれば、いつか出口が見えると考えていました。
どれだけの距離があるかはわからないけど、本当に出口があるのかも不安だけど、まっすぐに歩くしかないのだと思ったのです。まっすぐに歩くだけであれば、迷うことも間違えることもない…
こう思ったからと言って、強い気持ちを持ち続けられるわけではなく、出口がわからない、見えない不安はいつでも押し寄せてきました。
上にも書きましたが、一番は学校のこと、高校は卒業できるのか、大学受験はできるのか、運よく受かっても通うことはできるのか、その先は…?
いずれ振り返ってみれば、ほんの短い間のことで、何の影響もないかもしれません。それでも普通の(一般的な)道を歩めないとアキの人生がなくなってしまうのではないか…くらいに感じてしまうのでした。
「いつかは終わる、必ず治るから」
先輩ママ達の言葉にすがりたい気持ちと、信じられない気持ち、半信半疑、それでもそれを信じたい!
どんなふうに回復するのか、少しずつ階段を上るように戻っていくのか、ある日いきなりぽーんと明るい光の中に放り出されるのか…と考えていました。
今、本当に回復しているのかはわかりません。また悪化して逆戻りとか、あるかもしれません。
でも、今が本当に回復途中にあるのなら、
階段を上がるでもいきなり光の中でもありませんでした。
気が付いたら、ふと顔をあげたら、ずっと先に光が、出口が見えていました。
そこまでの距離や時間はわかりません。でも、出口はあるんだと信じられるようになりました。
私が何かをしてあげたわけではありません。
それどころか、黙って見守らなくてはいけないと思いつつも、怒鳴り飛ばしたこともあります…しかも、何度も…
良い方向に関われたのは医者へ行って薬をもらうことだけです。
精神的なことが影響するなら、(私から与えた)環境は最悪だったけど、アキ自身があまり鬱方向に向かなかったのがよかったのかもしれません。
何も考えなかったはずはないけれど、持ち前のポジティブな性格のおかげかも。
「今できることだけやる」
アキが時々口にしていました。
すごく立派に聞こえますが、これはゲーム三昧の言い訳にも使っていました。
…これを言い訳にされると、私の怒りは沸点に達するのですけどね…
光は見えたけど、まだトンネルの中にいます。
走ったり、立ち止まったりしながら、その時々でできることをしていくことで、出口に近づいて行けたらと考えられるようになりました。