TBSニュース、『ニュース23』の中でも、昭和天皇侍従小倉庫次氏の日記公開の報道がありました。

その中で筑紫哲也が「天皇陛下と発言しているのに驚きました。昭和の時代には、散々昭和天皇の戦争責任を唱えていた筑紫さんが、平成に入ってからの相次ぐ昭和天皇のご真意公表により、昭和天皇に対する意識に変化が生じているのが窺えました。





この日記の中で、昭和様はご自身の花は、皇太子時代の欧州訪問時であったと述べられている記述もあるようです。


昭和様は殊にイギリス訪問が印象に残り、ウォルタールー駅からバッキンガム宮殿までの馬車の中、自らお迎え下さった英国国王ジョージ5世と、約15分の道のりの中で交わした会話が、昭和様ご自身に大きな影響を及ぼしたとお伺いしたことがあります。


英国皇太子エドワード、後のエドワード8世(退位後ウィンザー公)ともこのときに親交を持ち、後にエドワード皇太子は日本を訪問して、車夫姿の写真などを残しています。

エドワード8世が、一人の女性との結婚の為退位してフランスに隠遁して、ウィンザー公となった後、多くの王族、特に英王室はウィンザー公との交流を絶ちますが、昭和様は昭和50年代の欧州訪問時、宮内庁の反対を押してウィンザー公を訪ねます。

天皇、国王という座にいる人にとって、多くの人が臣下であり、「友」と呼べる人は僅かです。その数少ない友を訪ねることに、何の遠慮がいるかというのが、昭和様のお考えでした。

それから暫くして、英国女王エリザベス2世は、夫君エジンバラ公と、チャールズ皇太子を伴ってフランスのウィンザー公を訪問します。ここに、ウィンザー公と英王室との長い断絶が解かれました。


昭和様がウィンザー公と英王室との仲裁を行ったという記述はありませんし、そのような公表も行われていません。しかし、あのタイミングを思うと、昭和様のウィンザー公訪問と、エリザベス女王の訪問に関係性があることは、想像できると伯父は言っていました。

日本の宮内庁が欧州各国王室への配慮と皇室の立場から、ウィンザー公訪問を固く反対した様子は、想像がつきます。それを退けられた昭和様もまた、断としてご意思を貫かれ、ウィンザー公にお会いになるご意思は相当強かったものと思います。

誰がどうであろうと・・・ 誰がなんと言おうと・・・ ウィンザー公を訪ねよう。

それは若き日のよき思い出、そしてジョージ5世への感謝の念が如何に強かったかを察せられます。


ヨーロッパ王室の誰もができなかったウィンザー公との仲裁を行った昭和様への感謝の念は、エリザベス女王にも強く生じたのでしょう。ご崩御の折、女王は

「私は昭和天皇が好きです

       私は葬儀に行きたい」

と心境を述べられたことが報道されています。

昭和様とエリザベス女王は、2度対面しただけです。それでも女王にこのように言わしめた昭和様は素晴らしいと、当時感じたものでした。(その頃の私はイギリス大好き、日本大嫌いという少女でした)


昭和様は臣下を思い、国民を思い、ご自身の意思を殆ど隠され、我慢を強いて殆どの人生を歩んだ方だと思います。戦後のご生活の中に、憩われるときはあったのでしょうか。楽しい思い出、よき思い出の少ないお方だったのではないかと、「私の花は欧州訪問時」というお言葉には胸の締め付けられる思いです。


今年、4月29日、長年私たちが天皇誕生日と親しんだ日は、「昭和の日」と改名されて、新しい国民の祝日となります。昭和天皇は、長い日本の歴史の中でも、名を残す天皇のお一人となることと思いますが、その時代に生き、昭和様を同じ時代に存じ上げていることを、私は嬉しく思っています。