13日の金曜日ってなんか気が重くなりませんか? 不吉だと言う人もいますよね? 『13日の金曜日』なんていう題名のホラー映画もありました。

私はいい思い出がありません。


生涯一度きりの大切な儀式を前に水疱瘡(水痘症)に掛かって延期になったことがありますが、その発病した日が、13日の金曜日でした。最愛の家族を亡くしたのも、曜日こそ違えど13日で、どうしても13日、特に金曜日が重なると特別な感覚を抱いてしまうことがあります。

なんかいいイメージのない13日の金曜日ですが、本来キリスト教の観念の中に、13日の金曜日を忌み嫌う理由はありません。『聖書』の中にそのような記述はないのです。


ではいつからそのように言われるようになったのか・・・

それは13世紀、フランス国王フィリップ4世が、テンプル騎士団のメンバーを一斉逮捕し、厳しい拷問ののち嘘の自白を強いて、全員を異端の罪で処刑しました。その処刑の日が、1307年10月13日金曜日だったことで、「13日の金曜日は不吉」と言われるようになりました。


テンプル騎士団
は、十字軍遠征の最中結成された修道士によって結成された騎士団で、団員は全員修道士であり、騎士でした。西洋の歴史上、あとにも先にも、剣を持つ修道士のグループはこのテンプル騎士団のみです。

十字軍は、イエス・キリスト生誕の聖地エルサレムがイスラム教徒に領有され、巡礼者が迫害を受けるようになったことを懸念したローマ教皇が、聖地を奪還すべく行われた戦いでしたが、テンプル騎士団の主な役割は巡礼者の保護で、遠征


預金システムの構築という大きな役割を果たしました。

テンプル騎士団の預金システムとは、巡礼者が旅の途中に金銭を狙った盗賊に襲われるのを避けるため、預金証書を発行して、所持金を出発地で預かり、目的地で返還するシステムです。最初の世界的な金融システムで、これによりテンプル騎士団は経済的に拡大し、やがてはフランス国家より莫大な資産を持つようになります。

これがテンプル騎士団の栄華であり、悲劇の発端でした。

国家の強化を図っていたフランス国王フィリップ4世もまた、たびたびテンプル騎士団に財政支援を受けていましたが、同時に、その騎士団の支配を画策していました。

1307年10月13日、フランス国王フィリップ4世は、フランス国内のテンプル騎士団を異端の罪で逮捕、処刑し、テンプル騎士団は消滅への道を辿ったのです。


明日は13日の金曜日です。

キリスト教的には不吉だと思われている「13日の金曜日」説にはこのようなエピソードがあり、歴史的いわれはあっても、宗教的意味合いはありません。これからは13日の金曜日を不吉と考えるのはやめましょう音譜 もう憂鬱になる必要はないのです合格


それにしてもテンプル騎士団は一瞬の栄華の後あっけなく終わりを迎え、多くの伝説の中に消えてしまいましたが、騎士団を野心で消滅させたフランス国王フィリップ4世はその後間もなく死去し、6人の子供の内成人したのは4人で、その内の一人はイングランド国王エドワード2世のお妃イザベルで、映画『ブレイブハート』でソフィー・マルソーが演じた皇太子妃でした。(この辺りの歴史は面白くて好きです)フィリップ4世からの男系の家系は絶え、それが後の百年戦争への契機ともなるのですから、テンプル騎士団の呪いなのかもしれません。

やっぱり13日の金曜日!? いえいえ、いえ、いえ・・・コスモスハチ