かくてもあられけるよとあはれに見るほどに
かなたの庭に
大きなる柑子の木の 枝もたわわになりたるが
まはりをきびしく囲ひたりしこと
少しことさめて この木なからましかばと覚えしか
古典『徒然草』の第11段<神無月>の有名な一節で、
あまり人の手を感じない山里に迷い入り、自然な美しさに感じ入って感動していると、枝もたわわに実をつけているみかんの木の周りに囲みを作って、誰かが取ったりできないようにしている様子を見つけて、痛くがっかりする内容です。
少し前からジンチョウゲが咲き始め、街のそこここによい香りを漂わせています。
ジンチョウゲの香りがすると、母は私の卒園のときのことを思い出すと言います。
卒園のあとの会の準備のため、母は役員のお母様方と奔走してくれていました。子供たちが美味しく食べられるものを用意しようと、私たちも随分試食にお供した記憶があります。
私が初めて社会の中で集団生活を経験し、そこを巣立つときの記憶が、母にはジンチョウゲの香りと重なっているようで、毎年その話を聞かされます。
冬の寒さが開けて春の訪れを感じさせてくれるジンチョウゲの香りに鼻が反応してしまう方は多いと思いますが、残念なものを目にしてしまいました。
ジンチョウゲの周りを網で囲って、触れないようにしているのです。
誰かに取られてしまうのを防ぐためでしょう。
正確には、「盗られる」のではなく、ここはそこそこ大きな道路の歩道に面していまして、駅に通じる人通りの多いところなのですが、木の枝がいつも歩道に大きく張り出していて、車道寄りに歩かないと、このジンチョウゲの上側に張り出している夾竹桃などの枝が顔に当たってしまうほどなのです。
幾度か、「枝を勝手に持っていかないで下さい」という貼紙を見ましたが、いつも通行する人たちが「枝を切って下さい」と随分お願いしても切って頂けないので、誰かが思い余って切ってしまったのでしょう。
それにしても春の矢先、この姿には思わず興ざめし、中学で習った「神無月」の一節が頭を過ぎり、山里に分け入って柑子の木を囲っている姿を見た西行法師が、大変残念に思った気持ちが、初めてわかりました。
本当に・・・ この木なからましかばと覚えしか・・・