注)タイトルに疑問を感じたので、改め、内容も少し推敲しました。
コミック「CIPHER」の中で、過去に憂いを持つサイファが、双子の兄シヴァとの仲違いで苦しんでいるときに、Ash Wednesday、「灰の水曜日」に額に灰をつけた人々を見て、「みんな救われたいんだ」と悟るシーンがあったと思います。
額の灰には、回心と再生の意味があるからです。
今日は、キリスト教の重要な行事の一つ、灰の水曜日です。
灰の水曜日とは、復活祭(Easter)を前に、復活祭を迎えるための信仰の準備をする「四旬節」の40日間の始まりの日で、カトリック信者は教会に行き、ミサの中で額に灰をつけて頂き、「大斎・小斎」といって、今日一日お肉を断ち、一日一回だけ充分な食事を取ることができ、あとの2回は僅かな量で我慢をする日です。
キリスト教においてクリスマスと並ぶ最も重要な祭日である復活祭には、キリスト教の教義が成立して以来、復活祭に成人の洗礼式を行う慣わしがありました。初期には、丁寧に一人ひとりに受洗(洗礼を受けること)に向けた直前準備を行えたのですが、次第に信者数が増え、手が回らない4世紀頃になると、既に洗礼を受けた信者も四旬節の期間を通して、節制と回心に努め、自分の生活を振り返る重要な期間として、この40日を迎えるようになります。
灰の水曜日に額に灰をつける習慣は11世紀頃から始まったようですが、灰は命のはかなさ、死すべき命を連想させ、司祭が額につけるときの言葉に、「あなたはちりであり、ちりに帰っていくのです」という言葉があります。
灰を作るときは、「全能の神よ、あなたは罪人の死ではなく回心をを望まれます。土から出て土に返って行く私たちが罪の赦しを受けて新しいいのちを得、復活された御子の姿にあやかることができますように」と祈ります。
このように、四旬節の始めに受ける灰は回心を表すと同時に、新しい命に生まれる希望を抱かせる印ともいえます。
今日、灰の水曜日でこのような意識を抱いてこれからの40日間を過ごして、キリスト教徒は復活祭を迎えます。
灰の水曜日には何か精神がピリリとするような感覚を感じるものですが、大斎・小斎だけは苦手です。
今日一日お肉・お魚は頂きませんし、頂けませんし、食事も少量です。
朝食:トースト一枚と飲み物だけ。コーヒーにお砂糖もミルクも入れません。
昼食:おにぎり一個
夕食:トースト一枚と、玉ねぎニンジンの野菜スープ
というのが、我が家の恒例です。
私にはお腹がすいてしまってとっても辛いので、深夜12時を過ぎるのを待って、もう一度食事を頂いてしまうのが、やはり子供の頃からの習慣でした(^^)
現代では大斎・小斎は年2回、灰の水曜日と聖金曜日だけ行えばよいのですが、昔は四旬節に40日間行っていたようで、それは大変だったと思います。
私には務まるかなぁ?
それは私だけの思いではないようで、キリスト教国では、この四旬節を前にカーニバルを行う習慣が多くあります。
キリスト教とカーニバルは直接には無関係で、カーニバルは宗教的行事では全くありませんが、カーニバルの和訳が「謝肉祭」であり、四旬節の40日間大斎(お肉を断つ)を行っていた古代や中世では、信者たちはその前にご馳走をたくさん食べて、騒いでいたようです。それがカーニバルの由来でもあり、現在では有名な世界各地のカーニバルのお祭りとなっています。
サンバの独特のリズムと派手な衣装で街を練り歩く「リオのカーニバル」は、ブラジル市民には一年に一度の楽しみで、カーニバルのために一年頑張って働くと聞いたことがあります。
単に陽気なラテン系のお祭りと思っていたこの国民的行事は、禁欲の前の快楽だそうで、その禁欲とは、四旬節を指しています。
私はカトリック信者ですが、物凄く熱心な信者というわけではありません。ただ、生活の中で自然に根付いている知識があり、それが西洋の文化や習慣を知る上でとても役立っています。日本を理解するときに神道や仏教の考えを理解していた方が、日々何気ない習慣もより理解が深まるのと同じに、キリスト教の文化をご紹介することで、欧米を理解する上で幾分かでもお役に立てばと、宗教というより、教養の範囲でキリスト教のこともお話できればと、ときどきこのBlogでもキリスト教のことを取り上げてきました。
ですがリオなどのカーニバルと四旬節の関係は全く知らず、気付かず、偶然耳にした「禁欲の前の快楽」という言葉にハッとして、新しい発見をしました。これからはリオのカーニバルを単なる派手で大胆な衣装の馬鹿騒ぎとは見られなくなりそうです(苦笑)
四旬節を迎え、これからキリスト教では復活祭の準備に入りますが、これは、春を迎える準備でもあります。