1月26日(金)深夜、映画「ブレイブハート」が放送されます。
あらすじなどは放送を楽しみにしている方のお邪魔にならないように遠慮して、映画を楽しめる予備知識をご提供します。
私たち日本人には「イギリス」という国は一つに見えますが、イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから成る連合王国で、今日のような形成となったのは近年のことでした。
人種も、主にケルト人、アングロ=サクソン人、ノルマン人から成り単族民族ではありません。
ノルマン人はサクソン人を征服してイングランド王国を建国し、やがてウェールズを併合。アイルランドを植民地とし、スコットランド王国と連合して、今日に至ります。
主人公サー・ウィリアム・ウォレス(Sir William Wallace、1272?~1305)は、13世紀、イングランドの圧政に苦しんでいたスコットランドの民衆を率いて反乱を起こした、実在の人物なのです。
この映画の重要人物、イングランド国王エドワード1世について、私たちは歴史の学習で「模範議会」(1295、のちの身分制議会のルーツ)を召集した国王として知っていますが、自身十字軍に参戦し、父王の崩御によって帰国して王位に就いた後、まずウェールズを支配し、更にはスコットランド支配にまで策謀し、生涯隣国と戦い続けた国王でした。
1286年、スコットランド王国史上最も偉大な王の一人と謳われたアレクサンダー3世(在位1249~1286)が、落馬という不慮の事故で崩御すると、不運にも世継がなかったため、イングランド国王エドワード1世(在位1272~1307)は、アレクサンダー3世の孫マーガレットを国王の座に就かせ、マーガレット女王と自分の息子エドワード(後のエドワード2世)を婚約させて、スコットランド支配を策謀します。
しかし、1290年マーガレットが6歳の時、イングランドで行われるはずだった戴冠式に向かう途中、船の事故でマーガレットは死亡する。
その後エドワード1世は独断でスコットランドの王位継承者問題に介入し、スコットランド王国の直接支配に乗り出す。
イングランド人(ノルマン人)によるスコットランド人(アングロ=サクソン人)に対する圧政が続く中、スコットランドの農民は武器を取りイングランド人に反抗する。そのうちの一人がウィリアム・ウォリスの父のマイケル・ウォリスだった。しかし彼の父はある日帰らない人となる。
その後の数年間、ウィリアムは叔父と暮らし、戦い方を学び、ラテン語を学ぶ。それはサクソン人の騎士としての教養であった。
その後彼は生まれ故郷に戻って来る。
1296年8月26日、スコットランドの2,000人の貴族、地主を召集して、彼らに臣従を誓わせると共に、彼らの王がイングランド王であることを認める誓約書「ラグマンズ ・ロール」への署名を強要している。
事件は翌年の春、グラスゴー東南のラナクの町で起きた。
市場で、一人のスコットランド騎士がイングランド兵とのトラブルに巻き込まれた。何かの言いがかりでイングランド兵に取り囲まれた騎士は、危うく袋叩きに遭いそうになったが、一人の女性の機転で難を逃れた。その女性は騎士の妻であったともいわれるが、定かではない。いずれにしてもその女性は、騎士を逃がしたとして捕らえられ、ラナクの長官サー ・ウィリアム・ヘゼルリクによって処刑されてしまった。
この無法な扱いに怒った騎士は復讐の鬼と化し、長官ヘゼルリクを殺害し、イングランド軍は騎士を無法者として、全軍に指名手配する大事件へと発展した。
と同時に、これまでイングランド軍の横暴に耐えて平伏していたスコットランド民衆がその騎士をかばい、支持し、次第に彼を「抵抗のリーダー」として祭り上げられるまでになった。
この騎士こそ、グラスゴー西部のレンフルー出身の愛国者、サー ・ウィリアム・ウォレスなのです。
スコットランドの完全な独立を実現したのは、映画にも登場するロバート1世、ロバート ・ドゥ・ブルース(Robert de Bruce,1274~1329)である。彼は、救国の英雄としてスコットランド紙幣にも描かれている。
ウィレスやスコットランドの騎士たちは戦闘の際顔にペインティングを施しています。
このBlogが本当は美容ブログで、美容を中心とした女性コラムをお届けするはずだったのをご記憶orご存知でしょうか???
お化粧に関することも私の得意分野です ホントはね
・・・で、遥か以前お化粧について調べたことがあるのですが、お化粧は初め男性たちが戦闘において施すものが一般的で、女性たちのものになったのは近年のことだったのです。これも鎧の一部でした。戦士たちは顔にペインティングを施して、士気を高めたのです。
また、劇中、ウォレスがエドワード皇太子(後のエドワード2世)の妃イザベラとフランス語で会話するシーンがあります。
当時イギリスよりも文化の進んだフランス宮廷で生まれ育ったイザベルにとって、野蛮と思っていたサクソン人のウォレスの教養の高さは、蔑みから魅力に変わっていきます。
ルネッサンス期以前、総ての書物とカトリックのミサはラテン語で行われていました。ラテン語の習得は貴族にとって必須だったのですが、ウォレスはグラスゴー近郊のペイ図リー修道院で、ラテン語とフランス語を学びます。
この時代のイギリスではまだ英語は確立しておらず、現在「古英語」と呼ばれるサクソンの言葉と、ノルマン人の話すフランス語が話されていたので、フランス語の習得は望ましいことでしたが、総ての貴族が行えるものではなく、ウォレスが身に付けている高い教養と、ウォレスを育てた叔父がローマに巡礼に行ったという会話から、ウォレスがサクソン人の中ではかなり身分ある家柄であることが窺えます。
ですが平民における識字率は大変低く、ウォレスが妻と交わす手紙が絵文字であることも、それを物語っています。
エドワード1世とは正反対に、愚王としても有名な皇太子エドワードを夫に持ち嘆いていたイザベルが、教養あるウォレスの方に惹かれたというのは頷けるのですが、史実では、このときまだイザベルはイングランドの大地を踏んでいないのです。
(詳細は放送後また後ほど…)
戦闘においてアイルランド人を歩兵として先陣を切らせ、味方兵士がいるにも関らず雨霰と平気で矢を放てるのも、味方でありながらイングランド人以外の民族を蔑み、「アイリッシュめ!」と吐き捨てるように叫ぶエドワード1世の言動も、当時のイギリスにおける民族関係があってのことです。
先陣を切ったイングランド側の兵士が、敵兵スコットランド兵と和合してしまうのも、先陣を切ったのはアイルランド人で、元はスコットランド人も同じケルト人の血を引く民族だからです。
(現在人種を蔑む考えはタブーですが、歴史の出来事を理解するとき、差別的な理解も必要になります。こういう事実があって、今日のような平等の価値観が発生し、定着させなければいけないことを心に刻みたいと思います。)
現在イギリスの「皇太子」は「プリンス・オブ・ウェールズ」という称号を得ますが、これはウェールズを併合したこのエドワード1世の時代からで、プリンス・オブ・ウェールズと名乗った最初の英国皇太子は、この中に登場するエドワード王子だったのです。
この映画は史実通りではありません。しかしイギリスの歴史好きには随所に面白いシーンがあるので、その一部でも味わって頂けましたら、嬉しいです。