来週は「節分」です。
「節分」とは、季節の変わり目のときを言い、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指します。特に立春が一年の始まりと考えられていたので、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。
立春を新年と考えれば、節分は大晦日に当たり、前年の邪気を祓う意味をこめて、追儺(ついな)が行われていました。
追儺とは、悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになったものです。
古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。
その「追儺」の一つが節分で、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾りました。
炒った大豆を撒き、蒔かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べます。
豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。
これは、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ち儀式と融合した物とも言われています。
年男、年女、厄年の人、または一家の長がまきます。
まき方ですが「鬼は外」と言いながら玄関から外に2度まき、次に「福は内」と2度いいながら家の中にまきます。その後に自分の年齢、または年齢より一つ多く豆をたべます。そして今年一年間無病息災でいられるように祈ります。
日本の昔話に登場する「鬼」は、色が赤や黄色、青で、髪は黄色や赤。そして縞々パンツを履いた姿で描かれていますよね。
これは白人なのではないかと・・・
北欧のヴァイキングは大海原に出て、ときには日本にまで辿り着いたかもしれません。
白人の肌の色は、日本人には青く見えたかもしれない。日焼けしていたら赤く見えたでしょう。金髪は黄色く見え、赤毛の人もいたでしょう。
日本にはパンツの習慣はありませんでした。
鬼のツノは、ヴァイキングの兜の角だったかもしれない。
そう思いませんか?
昔から節分の夜に出没すると考えれた鬼ですが、ヒイラギの葉が鬼の目を刺すということで、ヒイラギのある家には鬼が来ないといわれていました。また、いわしの頭の異臭が鬼を近づけないとも考えられていました。これらは現代でもヒイラギの小枝にいわしの頭を焼いて刺す「やいかがし」の習慣として残っています。
豆まきはこの「やいかがし」で追い払った鬼に追い討ちをかける役目もあったのです。
スーパーなどにもちゃんとヒイラギにいわしの頭を刺して完成したものが売られていますよ。
我が家ではこれをお玄関の外につけますが、節分の夜には、玄関の外で争奪戦です。近所の猫ちゃんたちがいわしの頭を狙ってハイジャンプしている音が、なんとも本当に鬼が来たかのような音を立てます