1月11日は、お正月のお供えした『お供え餅』の鏡開きの日です。


「鏡開き」は、元々新年の仕事・行事初めの儀式の一つで、「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味します。

昔、武家では正月に鏡餅を供え、正月11日にこれらを割って食べるという習慣があり、これを『鏡開き』と言いました。元々は20日に行われていたそうですが、江戸時代の初めに幕府が武家の具足開きの日を11日に定めた事から、現代でも11日に鏡開きを行うのが一般的になっています。


現在でも家庭や事務所で年の始めに鏡餅を供え、一年の健康と発展を祝って供えた鏡餅で雑煮や汁粉をつくり食べる『鏡開き』が正月の行事として受け継がれています。


ところで、なぜ鏡開というのかご存知でしょうか。

武家社会では「切る」「割る」という言葉は嫌われていました。鏡餅を開く時には、切るにつながる刃物は使わないのがしきたりです。また、「割る」という言葉もおめでたい時には縁起が悪いので使わなかったのです。つまり、この忌みことばは縁起がわるいので、運を「開く」と言う意味をこめて鏡開きとしたそうです。


正月中に飾られていた鏡餅を割るということは大正月の終わりとその年の仕事始めを意味します。

道場では道場開き、商家では蔵開きをして蔵に供えた鏡餅を割って財産が増えることを祈ったそうです。お正月の行事が終わり、新しい年の活動が始まることを意味したのです。



メモ     メモ     メモ     メモ     メモ

なるほど・・・ そういう意味があったのですね。

私の家庭はカトリックの信仰を持っているので、古い習慣の中でも宗教性を帯びた習慣は、他宗教に関ることは行ってきませんでしたが、最近になり、日本の伝統を尊重する思いで、かつてのしきたりを復活させています。

伯父や母たちが子供の頃に祖父母が行ってきたことを思い出して行い、私に伝えてくれていますが、私もその度に、その由来や意味などを確認しています。ずっと行ってきたことでも、改めて確認すると向き合う気持ちが変わることもあるので、それをここでご紹介していますが、日本で行われている多くのことは、宗教性よりも、伝統の意味を感じるものが多く、私の中では抵抗感がどんどん消えていきます。

来年は会社で、鏡開きには新年の行事を行おうかしら?