終戦記念日です。
わたしの予想では、今日一日小泉首相の靖国参拝で持ち切りになるでしょう。
子供の頃、正午にはNHKで放送されていた、日本武道館での「全国戦没者追悼式」の模様を見ていました。
毎年8月には様々な戦争映画が放送されるのも見ていました。
家族は戦争を経験し沢山話を聞いているので、結構戦争には詳しいんですよ。何年経っても、戦争の話題は消えませんね。
小泉さんが総理就任後頑なに靖国参拝を唱え、改めて靖国神社がクローズアップされるようになって、私も一度靖国神社を参拝したことがあります。
参拝・・・ というより、訪れたという方が正確かもしれません。
宗教的に、或いは祭祀者に参拝するという感覚ではなく、見学という感覚でした。
どうせ行くならと選んだ8月15日。
JR市ヶ谷駅から靖国神社までの道のりは大変暑く、「うだるような暑さ」を×3したくらいの参りようでした。
しかしあの大きな鳥居をくぐって境内に入ると、不思議と次第に暑さを感じなくなり、境内を厳かな気持ちで歩みました。
私は本殿などを見学して、境内を散策して神社を後にしましたが、帰り際、配っていた一枚の新聞に目を通して、大変驚いたのです。
終戦当時バチカン教皇大使を務めていたカトリックの神父で、イエズス会
所属のブルーノ・ビッテル神父様が、GHQが取り壊しをほぼ決定していた靖国神社の存続をマッカーサー元帥に直言しました。
その進言により靖国神社の存続が決まったのですが、そのときのビッテル神父様の言葉には感じ入るものがありました。
「わが司令部の将校たちは靖国神社の焼却を主張している。同神社焼却に、キリスト教会は賛成か、反対か。すみやかに貴使節団の統一見解を提出されたい。」
という「覚書」をマッカーサー元帥より受け取ったビッテル神父様は、複数の神父様方と協議の上、
「自然の法に基づいて考えると、いかなる国家もその国家のために死んだ人びとに対して敬意をはらう権利と義務があるといえる。それは戦勝国か敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」
そして、もしも靖国神社を焼き払ったとすれば、その好意は米軍史上不名誉極まりない汚点として残ることであろうと言い、それを「犯罪的行為」とまで言ったそうです。
わたしは子供の頃ブルーの・ビッテル神父様を存じ上げていました。東京・四谷の聖イグナチオ教会 所属の司祭として過ごしていらっしゃいました。ワインを銀瓶で熱燗にして飲むのがお好きだったというエピソードを伺っています。
お亡くなりになったのは、確か1980年代のことだったように記憶しています。わたしが拝見していたのは本当に晩年の晩年のお姿だったように思います。
日本の戦後政策における一人のカトリック神父の大きな役割に、胸の熱くなるものがありました。
あの静かな威厳のある面持ちの神父様がそのようなことをなさっていた方なら、一度そのお話を伺いたかったものですが、子供だったわたしには知るよしもありませんでした。
インターネット上にもこの出来事は数多く取り上げられているのですが、ビッテル神父様の人となりについてのコメント、肖像は探すことができなかったので、今度入手して是非アップしたいと思っています。

